阿呆の言葉 表面
「最も賢い生活は一時代の習慣を軽蔑しながら、しかしその又習慣を少しも破らないように暮らすことである。」阿呆の言葉より
例えば、こんな話がある――
ある男は昔から何事においても、そつがない人間だった。とりわけ秀でた能力を持っているわけではないが、人並みの努力で人並みかそれ以上の成果を出せる人間だった。ただ一つ、彼は世間をひどく軽蔑していた。それが今まで壁にぶつからず生きてきた自信からくるものなのか、自分が社会の中で突出したものを持っていない僻みからくるものなのか、それは分からない。
小中高を通して彼は一度も問題行動を起こさなかったので、親や教師に叱られたことがなかったし、手のかからない子供として、ほとんど注意を払われずに過ごしてきた。それは大学生になっても同じことだった。彼は持ち前の平均的な能力で、一発で隣県の国立大学の入試に受かった。それから彼は大学生らしく遊びと酒と女を知ったが、それも人並みで限度を踏み越えることはなかった。勉学の方面でも講義の単位を一つも落とすことなく、留年もせずに卒業した。
彼自身、楽しい学生生活だと思っていたが、大学やら就活やらをひっくるめた世間を軽蔑せずにはいられない瞬間もあった。
卒業後、彼は一流とまではいかないが十分名の知れた企業に新卒で入社した。仕事を覚えるのにたいして時間はかからなかった。部署自体の成績が振るわない時期はあったが、彼自身はその中でも並みの成果を出していた。彼は周囲とマメにコミュニケーションをとった。飲み会にできるだけ参加したし、休みの日に同僚と遊びに行くこともあった。業務外の上司との付き合いにも、嫌な顔一つしなかった。彼はそれなりに順調に出世した。エリートというわけではないが誰もが認めてくれる、そんなポジションだった。
彼は三十歳手前で結婚したし、その数年後に子供も産まれた。マイホームさえ建てた。さざ波一つない、順調な人生だった。しかし、世間への軽蔑は歳を重ねるごとに染みついていった。日本の企業風土、大企業への過度な忖度と中小企業に平然と行われる無茶振り、老人ばかりの上層部。結婚しろ、子供をつくれ、親の面倒を見ろ、家族を大事にしろ、という常識の圧力。
もちろん、それに対して反抗することはなかった。彼は必要なら上司に媚びを売ったし部下をこき使った。同期だった友人たちも蹴落とした。大企業にしっぽを振って仕事をもらったし、下請けにハードスケジュールを押しつけた。
家族のことも大事にした。妻との記念日を忘れたことは一度もないし、子供の誕生日も毎年祝っていた。家事だってキッチリ分担しているし、休みの日は可能な限り子供を遊びに連れていった。父親が亡くなった時は、仕事を休んで最後までそばにいたし、衰えた母親の介護も妻の負担にならないよう率先してやった。勘違いしないでほしいのは、彼は家族のことを本当に愛していたということだ。ただ、それらを当たり前としている世間を軽蔑せずにはいられなかったのだ。
そのような彼にも、最後の時間が訪れた。ベッドに静かに横たわる彼は、妻と子供たち、そして孫たちに見守られていた。ありがたいことに苦痛はなく、ぼんやりとした半醒半睡のような感覚だった。彼は意識が途切れる最後の瞬間も、世間を軽蔑せずにはいられなかった。愛する家族たちがこれからも身を置く世間、多大な労力と苦悩を習慣と銘打って合法的に強要する、それに背いた人が異常者に見えるように人々を洗脳する社会や文化を。
――そんなお話。
芥川「侏儒の言葉」の一つである「阿呆の言葉」をもとに。
書いてる途中で混乱してきたせいで、ゴチャゴチャした文章になってるかもです




