宇宙に入る
例えば、こんな話がある――
ハッチが開いた先に、広い宇宙が広がっていた。闇は地上で見るよりずっと澄んでいて、その暗さにもかかわらず、鮮明な景色だった。何光年と先にある小さな星々も、少し歩けば辿りつけそうなほど近くに見えた。
船外活動のための厳格な準備、地上であれば日が暮れてしまうほど長い準備を済ませた宇宙飛行士たちは、それにもかかわらず全く疲労を感じていなかった。ようやく待ちに待った宇宙空間と宇宙遊泳に対する興奮、国家どころか人類レベルにおいて責任重大な役割に対する緊張、いつ起きてもおかしくない事故や死に対する恐怖。いつまで経っても、どれほど訓練を積んでも、それらの感覚は絶えず彼らに付きまとっていた。
ハッチの先を見つめながら各々が自身の感情と向き合ってそれを沈めていた、ほんの十秒にも満たない時間だ。不意に彼らの一人、一番後ろにいた男がもがくように腕と足を大きく振って先頭に躍り出たかと思うと、ハッチのふちを強く蹴ってそのまま宇宙空間へ飛び出していった。
それを見て他の仲間たちは一瞬呆気にとられたが、すぐに顔を見合わせて笑いあった。
「俺たちもアイツに続くとするか」とか、そんな言葉を交わしたのかもしれない。
しかし間もなくして、誰かがくぐもった悲鳴を上げた。次の瞬間には全員その悲鳴の理由を理解して絶句した。飛び出した男に命綱がついていなかったのだ。
ありえない話だった。準備の段階で装備をチェックし、もちろん命綱も全員で確認し合うので、あの男が自発的に命綱を外さない限り、ありえない状況だった。
男の体は宇宙に連れられて少しずつ宇宙船から離れていく。もしすぐに仲間の誰かが飛び出していたら、まだ彼を取り戻すことはできただろう。だがその一瞬を失ってしまった。彼らはとっさに、自分たちの命綱を確認してしまったのだ。
男は無抵抗だった。ジェットパックに手をのばすこともなく、手足を大の字に広げて微動だにしなかった。暗闇にくっきりと浮かぶ彼の姿は、宇宙のふところにもぐりこもうとするかのような、あるいは宇宙を全身で受け止めようとするかのような、そんな風に見えた。
――そういうお話。




