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【和風ファンタジー】蜘蛛網に白羽の矢  作者: 早瀬史田
生活

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過去の軌跡

「そこ、石が並んでいるだろう」


 そこと示された場所がどこなのか、すぐには気づけなかった。


「罠のために己らが作った水路だ」


 説明されて、単なる川としか思っていなかった風景に、朧気(おぼろげ)ながらも過去が見えてきた。

 大きめの石が、川を縦に割くように並べられている。川下に行くに連れて、川岸と石の距離は狭まり、川の勢いが増す。その詰まりに、餌を入れた(うけ)を置いて捕まえるのだ。ここまで大掛かりではないが、衣織も蜘蛛様に教えてもらい、もっと下流の社近くの川に仕掛けてある。


「多く取れた時には、生簀に移した。形は崩れてしまったがあの淵だ。あれは己らが作った。

 ただ、周りにしし垣を作り、淵に布をかけ、鳴子を巡らせておいても、よく獣に食われたな。その獣を狩ることもあったが。……獣の腹から、食べたばかりの魚が出て来たのは、愉快だった」

「その魚はどうしたのですか?」

「食べた猛者もいたが、腹を壊していた」


 笑うと、蜘蛛様の顔にも笑みが浮かんだ。あまり見たことのない邪気のない笑みに見惚れていると、気づかれた瞬間にしらっと潜んだ。


「転ぶぞ」


 さすがにそこまでご心配いただかなくても、と思った瞬間、足元の石に蹴躓(けつまず)いた。しかし倒れる前にぐいと腕を引っ張られ、事なきを得る。


「腕につかまっておけ」

「え。いや、それはさすがに、恐れ多いですから」

「では運ぶぞ」

「それはさらに! えっと……」


 山も深くなり、川べりの石には時々膝まで届くような大きさのものも現れ始め、足元が危うくなってきたことは否めなかった。運ぶという言葉にもいよいよ冗談らしさがない。

 躊躇いながら腕をつかんだ。初めて触れる。きちんと手応えはあるのに、不思議と物足りない感触がした。風をつかんだら、こんな感触のような気がする。

 手を借りながら川を遡り、また森に入る。

 歩き始めの時にはあまり分からなかったが、徐々に「道」が、うっすらとだが見えるようになる。土や草が潰れ、獣の毛がついている。


「己らも昔は、此処より川下に住んでいた。この山は、今よりもずっと広かった。社より先もずっと、獣の住処だった」


 歩きながら、蜘蛛様は話す。衣織に聞かせると言うよりは、記憶をなぞるような無感情さで。


「だが、暴虐の者が来てからは、山奥に居を移すしかなくなった。それでも山が拓かれ、住処が近づく度、手の者が来ては殺された」


 道があっても、枝や草が手足を打つ。生贄になり、蜘蛛様に助けられた日、裸足で山を下りたことを思い出した。

 これでも、住処を追われた人々よりは楽なのだ。背後に刃を感じながら道を切り開くのは、どれだけ辛かっただろうか。

 それを、いまだ忘れられぬ蜘蛛様も。


「……はい」


 語ることの大切さは理解はしているが、語れば語る程、その無感情さの後ろで蜘蛛様自身の恨みや悲しみが大きくなっているように思えてしまう。

 衣織と会ったせいなのか、肉を食べたせいなのか、蜘蛛様は俗に近づいていると言っていた。その変化が、長い時間によって摩耗していた感情を取り戻すことを指すのなら、きっと良いことばかりではない。昨晩感じた不安の理由が、段々と分かってくる。


「此処が最後の住処だった」


 立ち止まったのは、むき出しになった岩肌の手前だった。


「この岩の裏側には洞窟がある。住むには狭いが、隠れるには良かった。普段はこの辺りに天幕を張って、人の気配がすれば片付けた。結局、上手くいかずに、冬に死んだがな」

「……蜘蛛様も、その時?」


 聞かない方がいいのかも知れないと危ぶみながらも、知りたい気持ちに勝てなかった。


「さて。どの記憶も、ある。毒に(たお)れた記憶も、飢えた記憶も、一太刀に斬られた記憶も、病んだ記憶も。己自身に介錯された記憶すらある」

「そんな。それは、あまりに……」


 蜘蛛様は、かつてこの地に生きていた一族の「誰か」なのだと思っていた。けれどもしかして、もはや「誰か」ではなく、「誰でも」になってしまっているのだろうか。知の形で代々命を繋いでいた、その在り方を、全て背負うかのように。

 「蜘蛛」という呼び名も、「彼」の名前ではなく、彼ら全ての総称だという気がする。もう一つの選択肢も「鬼」という、個人名ではない、妖怪の一つだった。薄々分かってはいたけれど、切ない。蜘蛛様、それ以外の名を、衣織が知ることはない。彼という個人がどんな生き方をしたかも。

 一番苦しいのは、きっと彼自身が、それを良しとしていることだ。

 ため息に、雨粒の一つ目が重なった。


「え、雨? 天気良かったのに」

「通り雨だろう」


 山の上の方に来たから、いつもより近くに雲がある。筆で引いたような雲から、空の風の動きが感じられる。

 ぼうっと見ていると、ぱたぱたと立て続けに雨のしずくが顔に落ちた。


「蜘蛛様、一旦、雨宿りしましょう」


 うなずきを見てから、そばにある木に寄ろうとすると、手は違う方向へ引かれた。蜘蛛様は一瞬意外そうな顔をした後、顔をしかめた。


「あぁ……。悪い。雨宿りはそこで充分か。洞窟の方かと」


 その顔にも雨が落ちる。衣織をつかむ手は、やはり何となく感触が薄い。それでも、ここに存在はある。

 この命を繋ぐと決めた。落ち込んでばかりいられない。


「洞窟にお邪魔しても良いのであれば、そちらがいいです。連れて行ってください。……雨脚も強くなってきましたから」




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