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【和風ファンタジー】蜘蛛網に白羽の矢【木土19時更新】  作者: 早瀬史田
生活

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墓所

 基本的な生活用品は、神社に併設されていた社務所で揃った。やはり長く放置されていると見え、状態は悪いものばかりだったけれど、今の衣織にとっては宝物だ。何よりかまどがあって火が使えることが、食料事情を大いに助けた。

 食料は裏山にある木の実や木の根、草が主になった。

 その日も衣織は、蔓であちこち留めて動きやすくした白装束をまとって、裏山から食料になりそうな草を採り、社務所に戻ろうとしていた。

 前触れはなかった。

 手元の陰りに「太陽が雲で隠れたのか。天気は大丈夫かしら」と何の気なしに空へ目を向けた時、目の端で、あの小さな祠のように密やかに佇み、じっと衣織を見るその人に気がついた。

 ふっと胸が苦しくなって、せっかく集めた草をどさりと落としたのにも気づかないくらい、目を奪われた。

 昼日中に見れば、はっきりと分かる。やはり異様。幻ではなかった。あの時と同じ姿で、確かに実在している。着流しを身にまとい、人間の形をしてこそいるが、白髪から覗く金の眼光や爪の鋭さは、只者ではない。

 ただ、恐ろしいとは今度も思わなかった。風貌こそ恐ろしげながら、佇まいには牡鹿のような気高さがある。衣織を見る目にも、猿を見たような気色しかない。ここで出会ったのも、単なる偶然のように思われた。


「こんにちは……」


 間抜けだなと思いながらも、そう声をかけてみる。彼の表情は動かない。


「先日から、お邪魔してます。申し遅れましたが、名前は衣織と言います」


 少し彼の表情が変わった。嫌そうに見える。慌てるけれど、何が原因か分からない。早く出ていけと思われているのだろうか。邪魔になっているのなら早く立ち去るべきだろうが、現実的に難しい。


「まだ、身の振り方は決まらなくて。……申し訳ございません。考えます」


 頭を下げながら、自分は彼の前に出ない方がいいのかも知れないと思った。思えば助けられた時も、全ての意図は計りかねたけれど、衣織に好意的な雰囲気はなく、むしろ怒っている気配があった。彼にとっては衣織を助けたことは親切心でもなんでもなく、別の理由があって、だから衣織が一方的に親しく思っていても、ただ不快なだけかも知れない。

 けれど、胸に何か、すんなりと割り切れない感情がある。

 この三日間、何をしている時でも、あの時に見た全てを思い返していた。

 顔も見ずにお礼を言うだけでは、気持ちが落ち着かないからだと思っていた。けれど彼を目の前にすると、それだけでは片付かない心の揺らぎがある。今も、叶う限りあの姿を見ていたいと、心のどこかで考えている。

 神様に出会ったら、こんな風だろうか。


「どうか、今しばらく、お許しください」


 ぼんやりと言っていた祝詞が、今になって胸によみがえった。

 かしこみかしこみもまをす。


「ここで死ぬな」


 降ってきた声を、一瞬、彼のものだと認識出来なかった。穴の中で聞いた時とはだいぶ様子が違った。気づいた瞬間、思わずばっと顔が上がった。


(けが)れる」


 顔を上げた先にあったのは心なしか面倒臭そうな顔ではあったけれど、日が差したように衣織の心は明るくなった。


「は――はい! それはもちろん! 死ぬ時はよそで!」

「ならば、その草は食うな」

「え」

「人が食えば、痺れ、糞尿を撒き散らし、呼吸を失って死ぬ」


 その草、と言われて足元に落とした草の束を見たが、どれが死ぬ草なのか判別ができない。元々そう詳しい訳ではなく、乏しい知識で摘んでいる。


「……物知らずめ」


 端的な罵倒に思わず首をすくめると、彼は何でもないことのように、距離を詰めてきた。そんなことが許されるのか。何となくけして縮まらない距離だと思っていた。心臓がばくばくと鳴る。


「その、先の割れた五つ葉だ。隣。羽のような形をした葉を持つそれも危ない。目眩と嘔気を起こして死ぬ」

「申し訳ないです……」

「覚えろ。学べ」


 要領を得ない衣織に痺れを切らしたのか、彼は自らしゃがみ込んで草を選別し始めた。衣織は一緒にしゃがんで覚えようとすると、一つ一つ、見分け方や注意点を説明してくれる。


「二輪草と草鳥頭(とりかぶと)は、見た目が似て、生える場所も同じだが、違う。今の時期は特に見分けられない。分からなければ手を出すな」

「はい! 手を出しません」

「毒芹は臭いで判別出来る。根でも分かる。節があるものは毒だ。ただし、これは触れるだけでも危うい」

「え、ということは、私はもう手遅れなのですか」

「まずはよく流せ。井戸は生きているか」

「水はありますが、井戸浚え(さらえ)をしていないのか、ごみが……。濾して使っておりますが、その水でも良いですか」

「良くはない。漉した後、泡が立つまで熱してから流せ」

「熱いまま流すのですか」

「冷めてからでいい。念入りに、水を惜しまぬように」

「はい」


 冷ますのなら何故熱するのだろうと不思議に思いながらも、意味があるのだろうと自分を納得させる。山に住む人は秘術を使うと噂話に聞いたことがある。

 話しているうちに畏れは少し和らいで、そのせいか、この知恵があればもしかして、と欲が湧いた。


「その」


 教わったように草を選り分けながら、恐る恐る口にした。


「私の村は今、作物の病害に苦しめられています。厚かましいお願いとは百も承知ですが、そのお知恵を――」

「断る」


 途端に返ってきたのは、これまでの親身さが嘘だったかのような、冷ややかな声だった。反射的にその場で平伏する。

 さらに、突き放すように言われた。


「村など知ったことか。己が守るのはこの地だけだ。

 其方も片隅で一匹の鼠の如く生きるなら見逃してやるが、害が度を過ぎれば容赦はせぬ。どうせその細腕では山には向かぬ。盗みでもして蓄えを持ち、別の地に行け」


 嫌だ。

 顔を上げると、思いの外近くで目が合った。口の中に、牙としか言えないような歯が見えた。

 穴を掘り返した力といい、この歯といい、彼がその気になれば衣織など容易く黙らせてしまえるだろう。むしろ何故、今そうしないのか、不思議なくらい。

 遠ざけられるよりは、まだ、その牙で食べてくれた方がいいのに。


「聞いているのか」

「は。聞いてます」


 突然湧き上がった強い思いに戸惑いながらも、一旦無視して、再度深く頭を下げる。


「申し訳ございません。助けてもらうばかりであるのに、身勝手なことをお願いしてしまって。

 でも、盗み、盗みは……出来ません」

「何故」

「他の人が飢えてしまいます」


 衣織を生贄に出す程に、今の村は飢えている。盗めば、衣織が生き延びる代わりに、誰かが死ぬ。もしかしたら衣織に逃げろと言ってくれたあの子が。近所の子供が。あるいは、その子供の親たちが。


「もし、私の盗みのせいで誰かが死ねば、死んだお母さんとお父さんに顔向けできません」

「親は何よりも子の命を望むものだ。気にせんから盗め」

「うっ、うぅん……それは……」


 今はもう会えない二人が、何を喜ぶ人なのか、衣織は知らない。長く生きる方が望まれると言われてしまえば、盗んで、誰かを虐げてでも生きた方がいいのかも知れないと、迷ってしまう。


「どうせ、其方が贄を止めれば、村は飢えるのだろう」


 迷っている内にぐさりと核心に言葉を刺された。何も言えずにいると、金の瞳が遠ざかる。


「その弱さで、身の振り方を決めるなど、よく言えたものだ」

「あっ……」


 だってそんなの選びようがない、などと弁解はできない雰囲気。そもそもどんな弁解にも意味はないだろう。求められているのは行動だ。

 立ち去ろうとする姿にぐっと胸が苦しくなる。

 思わず、喉を切るような痛みと共に口から出たのは、自分でも意外に思うような熱だった。


「神様を喜ばせるには、どうしたらいいですか」


 唐突な問いかけに一瞬驚いたような素振りをするけれど、返事はそっけない。


「神のことなど知らん」


 この人が神様ではないのかと悲しくなった。その悲しみで、自分は神でもなく村でもなく、この人の為に何かしたかったのだと知った。


「じゃあ、貴方は。どうしたら喜んでくれますか」


 立ち去りかけていた体がこちらに傾き、目が鋭く、刺すように衣織を見る。畏れたように風が吹き、頭上の鳥が羽ばたいていった。

 しかし衣織は逃げられないし、逃げようと思わない。

 じっと見返していると、不意に目から険しさがなくなった。


「ここは墓だ。死者への祈りだけが意味を持つ」


 墓。神社でなく墓。誰の墓なのか。疑問はあるが、彼がこの地での人の死を厭う理由は少し分かるような気がした。

 しかし、と眉根が寄る。もし生贄に戻るとしたら、この地で死ぬことになるのではないか。

 さっきは勢いでよそで死ぬと言ってしまったけれど、それではたぶん生贄としての意味がなくなる。生贄としてという理由もなく、ただ死ぬのは、衣織もさすがに避けたい。

 葛藤を割くように、声が森に響く。


「死者への祈りが最も喜ばしい。だが、災厄が訪れ初めて慌てて縋るような、誠意なき祈りは要らぬ。

 せめて死者の眠りを妨げるな。この地から過去を奪うな。己の願いはそれだけだ」


 声にこもった切実さは、痛々しい程だった。

 胸を抑えて、さっき突然湧き上がった、彼の喜ぶことをしたいと願う熱の在処を探る。

 自分で自分が怖くなる。

 生贄に戻るか辞めるか。あっさりと決めていいはずがないのに、今の切実な声で胸のどこかに、自分の答えが生まれてしまったような気がする。

 村のためには生贄が必要。自分がそれを命じられたのだから、役割を全うしなければという責任感は、死の恐怖を感じた今もある。もっとすぐに死ねる方法か、嗅ぐと心が麻痺するあの香と一緒に埋めてもらえるのなら、きっと出来る。

 しかし、この地で死んで、彼に疎まれることを考えると、村を切り捨ててしまえという気持ちが圧倒的に優勢になってしまう。それどころか、身勝手なことをしてしまったという自責と、儀式の場にいた者たちへの怒りさえ湧いてくる。

 こんな熱は知らない。これまでの人生で感じたことがない。それが怖い。

 彼の目が、今は心臓を狙う刃のように映る。唾を飲み込んだ。


「貴方のことを知れて良かったです。村も大切だけれど、貴方に嫌な思いをさせてまで生贄の儀式を続けたいとは、私は思えないので。ただ、だからこそ私はまだ、決断する前に、もっと、考えなくてはならないという気がします」


 はやる気持ちを抑えてそう絞り出した。


「つまり、決まらぬと」

「申し訳……」

「いい」


 謝罪すら受け取られなくなったことに落ち込みうつむくと、ふと唐突な問いかけが降ってきた。


「生贄になったのは、志願か」

「い、いえ。そんな立派なことは出来ません。なれと言われ、断らなかった、だけです」

「であれば、決まらぬのも当然のことだ。自分の生死すら自らの意志の下になかった者が、他人の死まで背負えるはずもない」


 見上げると、その目に笑みが混じった。


「毒を食って死ぬくらいならば、己に聞け。呼べば来てやる」


 予想外も予想外の言葉と初めて見た笑顔に、顔が熱くなった。表情を見るに、かなり呆れられた末の温情のようだけれど、だとしても、舞い上がってしまう。


「何とお呼びしたらいいですか!」


 前後を忘れて問いかけると、その人は少し考えた後、皮肉っぽく言った。


「蜘蛛か、鬼とでも呼ぶがいい」




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