待ち伏せ
「ハァ……ハァ……今日は何度も死にかけた……」
仰向けに倒れ込んだライナーの胸が荒く上下する。
冬の空気が肺に刺さるほど冷たい。それでも、坑道の粉塵よりはずっと澄んでいた。
地面に座り込む他の月下の牙たちも、誰一人すぐには立ち上がれない。鎧は土にまみれ、指先は震え、額から流れた汗がようやく冷え始めている。
「風の精霊が教えてくれたお陰で一発で出られたわ」
セレナが額の汗を拭いながら言う。
暗闇の中、下層へ続く坑道はいくつも枝分かれしていた。
だが風は嘘をつかない。わずかな空気の流れが出口へと導いてくれた。迷わず進めたことが、どれほど大きかったかとソルフィーユたちは実感した。
「突然崩落してきたときは、さすがに死んだかと思ったぜ!」
天を仰ぎガルドが苦笑する。
「崩れる気配はあったからの。いつでも補強できるよう、土の精霊を備えておった」
バロックが静かに答える。
崩れ落ちる坑道。裂ける梁。沈む足場。
危険な箇所はいくつもあった。
だがドワーフとしての経験と勘、そして岩の鳴き声を聞き分ける耳。それらが彼らをここまで運んだ。
こうして再び日の光を浴びているのは偶然ではない。
「予定より時間がかかりました。馬が心配です。最初に入った抗口を探しましょう」
ソルフィーユが立ち上がる。
「おし、なら俺に任せろ」
ガルドが跳ね起き鼻をひくつかせる。
その瞬間。
彼の毛がぞわりと逆立った。
「……複数の匂いが混ざってる。俺たちの馬の周りに、誰かいる」
先程までの開放感が消え去り、空気が張り詰める。
「ソルフィーユ様、あの二人組が待ち伏せしているのでしょうか?」
「断定はできません。ですが、相手に気付かれないよう確認する必要があります。ガルドを先頭に、馬車へ移動しましょう」
全員が無言で頷く。
敵の数も素性も不明。だからこそ慎重に歩きだした。
――脱出した抗口は南側。
かつてトロッコで鉱物を搬出していたらしく、錆びたレールの痕が残っている。
そこから外れ、西の山道を歩く。
枯葉を踏みしめる音を最小限に抑え、低く、速く進む。
やがて見覚えのある岩壁が現れた。
どうやらここは最初に入った抗口、西寄りの入口だったらしい。
余韻に浸ることなくセレナが音もなく木に登り、枝の上から息を殺して覗き込む。
視界に入ったのは――武装した集団。
抗口の前でたむろし、馬と馬車を囲んでいる。
「――本当に聖女たちが中に入ったのか?」
「この馬も馬車も聖女のものだ。間違いねぇ」
「なら、いつ出てくる? 奥から響く音、相当ヤバいことになってるぞ?」
笑い声が連鎖するように男たちの中で広がっていく。
「中で生き埋めになってりゃそれでいい。もし生きて出てきたら――全員殺すだけだ」
言葉にためらいはなかった。
セレナの長い耳がわずかに震え、胸の奥からふつふつと怒が噴き上がる。
だが彼女は目を閉じ、ゆっくり息を吐いた。
感情に呑まれれば仲間たちに迷惑をかける。
枝から枝へと移り、音もなく地へ降り立つ。
仲間たちのもとへ戻り、神妙な赴きな声で告げた。
「……待ち伏せよ。武装した集団。馬も押さえられてるわ」
坑道から生還したばかりの身体に、再び戦の気配がまとわりつく。
――ソルフィーユとリュミエルが、山道から姿を現す。
陽光を背に、二つの影がゆっくりと歩み出る。
「貴方がた、私たちの馬車の前で何をしているのですか? 物取りでしたら返しなさい」
静かな声だった。
だが、その静けさが逆に場の空気を裂き、男たちが一斉に振り向く。
「おい、なんでこいつら外にいるんだ?」
「別の出口だろう? まぁいい。やることは変わらねぇ」
ねっとりとした視線が二人を舐め、下卑た笑いが、乾いた山道にこびりつく。
リュミエルが腰の剣の柄に手をかけると、金具がわずかに鳴った。
男たちは円を描くように広がり、包囲。
距離を徐々に詰める。
刃が光と殺気を反射する。
それでも――
ソルフィーユもリュミエルも、呼吸ひとつ乱さず、瞬きすら少ない。
それを異様だと感じる知性は彼らにはなかった。
▽
――背後にいる男が「殺れ」と短い命令を放つ。
次の瞬間、男たちが地を蹴る。
一人の男が奇妙な感覚に襲われた。
身体が軽い。いや――浮いている?
視界がぐるりと回る。
空。雲の隙間から陽光が降る空。
自分はなぜ空を見上げているのか。
視線を横に流す。
仲間の一人が首から血を噴き上げている。
別の男の頭には矢が深々と突き刺さっていた。
石でできた槍が誰かの胸を貫き地面に縫い止める。
そして――
獣人の男が巨大な大剣を振り回し、鉄塊が唸りを上げていた。
骨が砕ける音。
肉が裂ける音。
仲間だったものが布切れのように宙を舞う。
理解が追いつかない。
――なぜ
――いつの間に。
その瞬間、視界がさらに低くなる。
自分の身体が遠くに立っているのに気がついた。
首から噴き出す赤。
――ああ。
――斬られたのか。
硬い地面に頭部が当たる衝撃が遅れて伝わる。
雲で埋もれた空が、ぐらりと傾き。
男の意識は音もなく闇へ沈んだ――。
▽
「お前、どこかで見た顔だな」
ライナーが凄んだ顔で、降伏した男の顔を覗き込む。
武装集団の後方で指示を飛ばしていた男。
額に大きな古傷がある特徴的な男で、ソルフィーユとリュミエルの記憶にもその男の顔は新しい。
リュミエルがはっと目を見開き、掌を軽く打つ。
「えっと……たしか、ダッド=ラハマッタでしたっけ? ペルジーオの上級騎士」
男の顔色が変わる。
「ぐっ……まさか、あの貴族の女が聖女だったなんて……。バートリー様から聞いたときは耳を疑ったが……どうやら本物のようだな」
吐き捨てるように言うが、その声は震えている。
「そのバートリー男爵の指示で、私たちを襲ったのですね?」
リュミエルが一歩、間合いを詰めると、抜いた剣先が夕陽を反射して赤く染まる。
「何か言い残すことはありますか?」
「ま、待て! 俺は命令されただけだ! 聖女を捕まえろと!」
必死に叫ぶ。
「その割には“生きて出てきたら全員殺す”って、こそこそ話してたじゃない。私、しっかり聞いたわよ?」
セレナが冷ややかに言と、「あ、あれは……その……」とダッドは動揺し視線が泳ぎ、しどろもどろになる。
「ガルド」
静かにソルフィーユはガルドを呼ぶ。これから行われることを理解しているのかガルドが前に出る。そして拳を鳴らすと乾いた音が山道に響く。
「全部吐いてもらうぜぇ」
……
…………
………………
――空が茜色に染まり、紺色が混ざり合う帳の下。
ダッドの顔は原型を留めていなかった。
腫れ上がり、血が滲み、騎士の威厳などどこにもない。
個人識別はかなり困難な状態だ。
「……この騎士の話が本当ならバートリー男爵は帝国と通じ、聖王国内部に帝国関係者を引き入れていたことになる」
ライナーの怒りを抑えた声に反応しリュミエルが腕を組んで話を続ける。
「それが事実なら反逆罪に問われる可能性が高いですね」
淡々としている。だがダッドを見つめる目は鋭い。
「しかし……ここまで大がかりな誘拐計画を、聖王国の上層部が知らなかったなど、あり得るのでしょうか?」
僅かな沈黙。
夕陽がゆっくりと沈みかけ、辺りは次第に暗くなっていくと、ソルフィーユが静かに答える。
「……あり得るか、あり得ないかで言えば、あり得ます」
一拍置くと、リュミエルに視線を合わせる。
「バートリー男爵、帝国。そして聖王国内部で利権で結ばれている可能性は高いでしょう」
冷たい風が水晶鉱山の山頂から吹きつける。
「この騎士を連れて帰り、バートリー男爵に会いましょう」
意気消沈したダッドを縄で縛り、馬車の後ろで繋いだ後、ソルフィーユたちは夜の帳が落ちた山道を折り始めた。
99話目ゾロ目です。




