崩落する闇の中で
フロンタンの亡骸を静かに弔うと、地底湖の奥から子供たちの笑い声がいくつも重なって聞こえた。
水面にぽつりぽつりと光の玉が浮かび上がると、それらはゆっくりと昇り天井の岩肌に触れ、透き通るように消えていった。
その光景は眺めていたソルフィーユは「安らかに」とに思いを込めた。
「……地底湖の底に、数え切れない人骨があった」
ソルフィーユの隣でライナーが低く呟く。
その声にソルフィーユは静かに耳を傾ける。
「もしかしたら……行方不明になっていた子供たちかもしれない」
「遺体を引き揚げて、身元につながる物を集めれば……聖王国内で発生している子供失踪事件の手がかりになるかもしれません」
リュミエルが沈痛な面持ちで言う。
その意見に異論はない。
この場所で子供たちに何かを埋め込み、『人造魔兵』と呼ばれる怪物を生み出した結果、それが聖王国内に現れ村を襲った。
偶然とは思えなく、陰謀の匂いが濃いとソルフィーユは感じるし、事情を聞こうとした二人組はいつの間にか姿を消していた。
バロックが徐ろに足元から一枚の板を拾い上げ、表面の埃を払い眉をひそめた。
「むぅ……こいつは魔道端末じゃな」
「なんだそれ?」
ガルドが覗き込む。
「魔道具の一種じゃ。聖王国内で出回っとる魔光器とは比べ物にならんほど高度な代物じゃな。あの二人組が落としていったのだろう」
「それは使えるのですか?」
ソルフィーユの問いに、バロックは首を横に振る。
「どうじゃろな。ヒビが入っとるし、ワシは魔道具は専門外じゃ」
ソルフィーユは板のような魔道具を受け取ると、板の質感を確かめる。
聖書ほどの大きさと厚み。黒い石碑のような重厚さ。
微かに魔力の気配が残っている。
これが魔道具ならば、起動には魔力が必要なはずだ。
ソルフィーユは慎重に少量の魔力を流し込む。
――ブン。
低い振動音と機械めいた音とともに、表面に淡い光が灯る。
そして、浮かび上がる紋章。
「……この紋章、カレドニア帝国のものですね」
リュミエルのポツリと呟くと空気が一瞬、張り詰める。
「カレドニア帝国は南ディオールからこの山脈地帯を隔てた先にある大国ですよね?」
「はい。聖王国から西に北西辺りは帝国との摩擦はありますが、最近は大規模の争いは起こっていないません」
リュミエルはソルフィーユの問いに丁重に答える。
「ああ。南ディオールは険しい山脈が緩衝材となって侵攻は難しいとされている。現に南ディオールは一度も戦火に見舞われていない」
捕捉としてライナーが付け加えた。
「帝国製、あそこは魔導技術が発展しとる。作れても不思議ではない」
バロックが唸る。
ソルフィーユは魔道端末を見つめたまま、思考を巡らせる。
戦争とは無縁のこの地で何故帝国の名前が出てくるかは分からないが、この魔道具が意味することは大きい。
帝国。
人造魔兵。
子供の失踪。
そして、バートリー男爵。
「……このことを、バートリー男爵は知っていたのでしょうか。私の予想が正しければ――」
疑念は静かに形を持ち始めていた。
もし知っていたのなら共犯。
知らなかったのなら利用されている。
どちらにせよ、ただの偶発的な事件ではない。
彼と対面したときに覚えた、あの違和感。
もう一度、バートリー男爵と会わなければならない。
この水晶鉱山のこと。
保護したマルタの証言。
謎の二人組。
そして帝国製の魔道具。
すべてを突きつけ、問いただす必要がある――そう思った、その瞬間だった。
地底湖の水面がかすかに震える、ぽつり、と波紋が広がる。
直後、遠くで何かが爆ぜるような音が響いた。
次第に振動が強くなる。足元が揺れ、洞窟全体が低く唸る。
天井から、ぱきり、と乾いた音。
小石が音を立て、地底湖の水面に小さな波紋をいくつも広げる
そして、大きな亀裂が走る。
「お前たち! さっさとこの鉱山から抜け出すぞ!」
バロックが怒鳴る。
いつもの豪放さではない。危機を察した声だった。
「ど、どうしたバロック?」
ライナーが驚いて聞き返すその間にも、岩片がぱらぱらと落ちてくる。
「爆破じゃ! 奴ら、証拠隠滅のつもりじゃろう!」
轟音が連鎖する。
地底湖の奥から崩落音が迫ってくる。
水面が大きく揺れ波が岩壁を打つ。
水晶洞窟が、死にかけの獣のように軋んだ。
――それからは死に物狂いで坑道を駆け抜けた。
セレナが灯す光が揺れる。揺れるたびに影が歪み、坑道の壁が牙のように迫る。
爆発の余震が地を震わせ足場は砂を噛んだように滑る。視界は白く濁り、肺に入り込む粉塵が喉を焼いた。
バロックはマルタを背負ったまま走る。
鎖帷子越しに伝わる体温が、生きている証のように背中へ優しく包み込む。
足下の水晶を飛び越え、落ちてくる石塊を鉄兜で弾き、バロックはただ前へ。
「大丈夫じゃ。しっかり掴まっておるのだ!」
「うん!」
小さな返事が背中に震えた。
この子だけは救わねばならん。
それだけが足をバロックの足を止めぬ理由だった。
だが――
轟音と共に視界が塞がれる。
目の前を塞ぐ巨石。坑道を支えていた木枠はひしゃげ、腐った梁が無惨に折れている。
爆発の振動がとどめを刺したのだろう。
セレナが巨石を叩く。
「最悪! このまま生き埋めなんて嫌よ!」
乾いた音が虚しく響く。
来た道を戻るしかない。
だが、背後ではまだ崩落音が続くのと、地の底で何かが軋み、砕け、月下の牙を追い詰める。
そのとき。
「落ち着いてください」
凛とした声が粉塵の中を切り裂き、声の主に視線が集まると、ソルフィーユは周囲を見渡して静かに言う。
「思い出してください。バロックがこの坑道へ足を踏み入れたとき、風の流れについて仰っていましたよね?」
「うむ。風の流れがいくつもある。恐らく出入口は複数ある。しかし……」
バロックは眉間に皺を寄せながら、次の言葉を紡ぐ。
「人が通れるとは限らん。小動物しか通れぬ穴もある。別の出入口を探すなら、賭けじゃ」
誰もが理解する。
巨石を壊せば崩落の危険が増す。
別の出口が使えぬ可能性もある。
一度進めば、引き返せぬかもしれない――と。
やがてバロックが口を開いた。
「この鉱山は平坑が主じゃ。しかしワシらが入った抗口は中腹よりやや下。運搬効率を考えれば……さらに低い位置に別の抗口がある可能性はある」
「おい、本当に大丈夫かよ? 下に行って行き止まりでした、じゃ笑えねぇぞ!」
ガルドが声を荒げると、ライナーが低く手を出して制した。
「バロック。可能性はあるんだな?」
沈黙。
バロックの喉が小さく鳴る。
「……あるにはある。だが……ワシの言葉を信じて死んだ友を思い出すと、胸を張って大丈夫とは言えん」
その声は、岩より重かった。
――誰も問いはしない。――なぜ鉱夫を辞めたのか。――なぜ冒険者になったのか。
答えは今、目の前にあるが誰もその言葉に返す言葉はない。
それでも背中から小さな声が届く。
「髭のおじいちゃん。行こう。一緒に、みんなでここから出よう」
バロックは視線を落とす。
背中に伝わる鼓動がバロックの芯まで届く。
やがて、ゆっくりとバロックは顔を上げた。
その瞳にかつての鋭さが戻る。
それを見たライナーが一歩前へ出る。
「よし。ソルフィーユ様、行き止まりでも文句は言わないでくれよ」
「言いません。ですが、死ぬつもりもありません。ライナー、号令を」
ライナーが頷く。
「セレナ、先頭で風の精霊を使い、流れを読め。バロック、崩れそうな場所は補強だ。俺は殿。先輩、ソルフィーユ様を頼んだ」
「言われなくとも!」
来た道を戻り走り出す。
セレナが目を閉じ、風の精霊に囁くと空気のわずかな流れが頬を撫でる。
地下へ続く坑道へ――進路を変える。
崩落音が迫る。
それでも彼らは走った。
生きて帰るために。




