水晶鉱山の先に
砕けた水晶が足元に散らばり、松明の光を受けて一見すると美しく煌めいている。だが、その中心に横たわる押し潰された化物の死骸が、幻想めいた光景を容赦なく踏み砕いていた。
その死体を横目に、怪我人の治療にあたるのはソルフィーユ。得意とする『治療』を用い、後方支援に徹すると買って出たのは考えがあった。
力を振るうことはできる。だが、護衛対象が前線に立つのは本末転倒だ。ガルドですらソルフィーユの本気を知らない。それを見せる機会があるとすれば――月下の牙が窮地に陥った、その時だけだ。
治療を終え、ソルフィーユはちらりと化物へ視線を向ける。死体から漂う生臭さに眉をひそめながらも、胸の奥に小さな棘が引っかかったままだった。
元は『子供』だった可能性がある。
その事実が、どうしても拭えない。
得た情報を共有するべく、ソルフィーユは皆にマルタの証言を伝える。
「――というわけで、この坑道の先に行方不明の子供たちが取り残されている可能性があります。そこで皆さんの意見を聞き、進むか戻るかを決めたいと思います」
セレナがすぐに手を挙げた。
「私たちは聖女様の護衛よ。子供を守りながら、あんな化物と戦うなんて御免だし、一度戻るべきよ」
もっともで、現実的な意見だ。護衛任務の範囲を逸脱していると言われれば否定はできない。これ以上の探索は月下の牙にとって負担が大きく、命の危険すらある。ソルフィーユもそれは理解していた。
だが、ガルドが口を挟む。
「ちょっと待てよ。そんな悠長なことを言ってる場合か? 何か起きてからじゃ遅いんだぞ」
「ワシもそう思う。恐らく一刻を争うかもしれん。ライナーはどう思う?」
バロックも同意し、最終判断をライナーに委ねる。
ライナーは天井に埋め込まれた水晶へ視線を向け、しばし黙考したのち、ゆっくりと皆を見渡した。その瞳には、すでに火が宿っている。
「俺たちはソルフィーユ様の護衛だ。たぶん、俺たちが行かないと決めても、ソルフィーユ様は先輩と一緒に奥へ進むのだろ?」
ソルフィーユとリュミエルは静かに頷いた。
今さら引き返すつもりはない。
むしろ、ここで退けば次はない――そんな予感があった。坑道の奥から吹きつける冷気が、理屈を越えてそれを告げている。
「なら決まりだな。俺たちも奥へ行く」
「ライナー、本気なの?」
「ああ。俺たちはソルフィーユ様の護衛でもあるが、あのような化物が人為的に発生しているのなら止める義務がある」
「……分かったわ。ライナーが決めたことを覆したことなんて一度もないものね。その代わり、危険だと思ったら聖女様を抱えてでも逃げるからね!」
「はは、頼むぜ」
どうやら話はまとまったらしい。
一瞬、険悪な空気が流れたが、長年ともに戦ってきた仲だ。互いへの信頼は揺らがない。その確かさが、言葉よりも空気で伝わってくる。
準備を整え一行は坑道の奥へ進んだ。
素足のマルタを見かねて、バロックが背負うことになる。道中、子供をあやすような穏やかな声が聞こえた。
だが、マルタにとっては不安の源へ戻る道だ。またあの化物に出くわすかもしれない。その想像だけで、さすがのソルフィーユも背筋に冷たいものが走る。
「ソルフィーユ様。この水晶鉱山は、バートリー男爵家の所有なのですよね」
不安定な足場を慎重に踏みしめながら、リュミエルがふと問いかける。
「そうらしいですね」
「あの少年の話を聞く限り、バートリー男爵が子供の失踪に関与している可能性は高いように思えます。ソルフィーユ様はどうお考えですか?」
「バートリー男爵とのやり取り、そして今回の件……繋がっているのは確かだと思います」
男爵との会話で覚えた違和感。得体の知れない新種の魔物。保護した子供の証言。
それらが脳裏で結びついた瞬間、点と点が線になるような感覚が走った。
「男爵が直接手を下していないにせよ、何らかの形で関与しているの可能性はあります。そして、私たちがこの水晶鉱山に向かったことも、すでに把握していると思います」
「口封じのために動く可能性は?」
「どうでしょう。私たちが入った時点で、あの魔物が襲ってくると分かっているのなら、放置でも構わないと考えるかもしれません。あるいは――最も確実なのは、鉱山を出た瞬間、でしょうか」
壁の水晶に指先が触れる。ひやりとした感触が、現実を引き戻す。
最悪の展開を想像する。出入口を封鎖する。爆破して生き埋めにする。
それも、十分にあり得る。
だが――。
ソルフィーユはバロックの言葉を思い返す。出入口は複数ある、と。
逃げ道があるという事実は、希望か。それとも、より巧妙な罠か。
――しばらく奥へ進むと、坑道の壁がかすかに光を帯びていることに気づいた。
緑色に輝く物体が水晶に反射し、薄闇の中にぼんやりと輪郭を浮かび上がらせている。
「これは蓄光石じゃの」
「それは、どんな石なんですか?」
リュミエルが興味深そうに問いかけると、バロックは待っていましたとばかりに胸を張る。
「大気中の魔力を蓄えると発光すると言われておる。割れば一瞬だけ強い光を放つが、それだけの石じゃ。価値はそれほど高くない」
ソルフィーユはマルタへ視線を移す。
この暗闇の中を、あの子は走ってここまで逃げてきたのだ。蓄光石の淡い光が道標になっていたのだろう。だが、それでも恐怖は想像を超える。
セレナが坑道の奥へ指先を向ける。指先から柔らかな光が滲み出し、糸のように細い光が風に乗ってすっと奥へ滑っていく。
冷たい空気が頬を撫でる中、その光はやがて引き返し、セレナの指先へ吸い込まれた。
両腕を組んだ彼女はしばし思案し振り返る。眉間に刻まれた皺が、嫌な予感を物語っていた。
「この先、水が多くある場所に……数人の人の気配があるわ」
「他には?」
ライナーが即座に問う。
「あの化物の反応はないわ」
空気が張り詰める。
「……この目で確かめないと何があるか分からない。本当に、いざとなったら退却するぞ」
ライナーが最悪の事態を想定する。
生きて帰るのは当然だ。ソルフィーユもそれは理解している。だが――胸の奥で何かが鳴る。
この先に核心がある、と感じたとき、無意識に歩幅が広くなった。
さらに進むと、強い光が坑道を照らす一角が見え、ライナーはハンドサインをする。
松明と精霊の光を消し、足音を殺して覗き込む。
そこに広がっていたのは、透き通った水を湛えた地底湖だった。水面が淡く光を反射し、洞窟全体を幽かに照らしている。
――男の声が反響する。
「ガキが一人逃げたのか、その後はどうした?」
「核憑きの一体に追わせた」
「おい、馬鹿野郎! あれは失敗作だ! 聖王国側に出たら問題じゃ済まないぞ!」
「そんなに焦るなって。核憑きは燃費が悪い。勝手に死ぬさ。それよりも――」
男の視線が地底湖の縁へ向く。
そこには、一人の子供が横たわっていた。
ソルフィーユたちは岩陰から頭をわずかに出し、様子を窺う。
男たちは子供の胸に何かの石を置いている。
その仕草は、儀式のように静かだった。
「……あれは、一体何をやっているんだ?」
ライナーが低く呟く。
その瞬間、マルタが身を乗り出した。
「あああ、大変だ! お兄さんたち! アレを止めて!」
足元の砕けた水晶が崩れ落ちる。
塊は岩を打ち、何度も跳ね、甲高い音を立てながら地底湖へ転がり、水面へと吸い込まれる。
反響音が洞窟内に響き渡った。
男たちの動きが止まり、ソルフィーユたちがいる坑道へと振り返ると同時に武器を抜いた。




