表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女に転生したけど中身は世界最凶の暗殺者でした  作者: じゃむばた
聖女と南ディオール地方編
92/120

バートリー男爵

 翌朝、目を覚ますと宿の中庭から剣が風を切る音が聞こえてきた。規則正しい呼吸と、鈍い衝撃音が、まだ冷たい空気に混じっている。


 窓から覗くと、ライナーとガルドが向かい合い素振りを繰り返していた。

 二人は毎朝欠かさず鍛錬を続けている。

 その積み重ねこそが、戦場で生き残る理由なのだろう。


 ソルフィーユは身支度を整え、中庭へと出た。


「おはようございます。今日も精が出ますね」


「おはようございます、ソルフィーユ様」


「ソルもやるか? 素振り」


 ガルドが大剣の柄をこちらへ向ける。

 その刃は、ソルフィーユの身長を軽く超えていた。


 身体強化を施せば振れなくはない。

 だが、この剣を訓練とはいえ振るうことには、どうしても抵抗がある。


「……遠慮しておきます」


「そっか。気が向いたら、いつでも貸してやるぜ」


「ありがとうございます」


 短く礼を返し、ソルフィーユは井戸へ向かった。

 桶に水を汲み、そのまま顔を洗う。

 冬の冷気と井戸水の冷たさが、眠気を一気に追い払った。


 昨夜、リュミエルから報告は受けたことを思い出した。

 バートリー男爵の屋敷へ手紙を届けた件だ。


 最初は、聖女の名を使った不審者として警戒されたらしい。

 だが、男爵とリュミエルには面識があり、最終的には手紙を直接受け取ったという。


 日が昇りきる頃、朝食を取るため、リュミエルと連れ立って屋台へ向かった。

 手軽なサンドウィッチを買い、石垣に腰を下ろす。そして自然とバートリー男爵の話題になる。


「バートリー男爵……明らかに動揺していました」

 

 リュミエルが噛みしめるように言う。

 

「ソルフィーユ様が来ると伝えても、終始、信じられない様子でした」


「ペルジーオの門兵にも知らせずに入っていますからね」

 

 ソルフィーユは淡々と答える。


「男爵が知らなかったのも、無理はありません。ですが……よい布石にはなったかもしれません」


「布石、ですか?」


「ええ」

 

 ソルフィーユはサンドウィッチを一口かじり、ゆっくりと言葉を選ぶ。

 

「私、違法な奴隷オークションに関わるような貴族を、信用できませんから」


 リュミエルの視線が、わずかに強まる。


「それに――私は以前『聖女が奴隷オークションに参加していた』という証言をされました。その結果、異端審問官に連行され、監獄塔へ連れて行かれたのです」


 淡々とした口調とは裏腹に、その内容は重い。

 あの場、地下の違法奴隷オークションにいた者たちは、戦闘が始まると一斉に逃げ出した。

 目撃者など、いないものだと考えていた。


 だが、考えが甘かったのかもしれない。


 認識阻害の仮面は着けていた。

 それでも、ナスター=ヘスペリアとの会話を聞かれていれば、変装の下にいるのが誰か、察する者がいてもおかしくはない。


 まして、ハイエルフの子供を競り落とした一件がある。

 恨みを買っていたとしても、不思議ではなかった。


「……つまり」

 

 リュミエルが静かに言う。

 

「バートリー男爵が、その証言を戒律院や異端審問官に流した可能性がある、と」


「ええ。そう考えれば、辻褄は合います」


 ソルフィーユは頷いた。


「だからこそ、先触れを渡したときの男爵の挙動を聞いたとき、だいたい察しました。それは――心当たりのある人間の反応です」


 ほんのわずか、唇に笑みが浮かぶ。


「今日、彼と会うのが楽しみです」


 ▽


 昼時。太陽が山々を照らし、澄んだ光が丘の上の屋敷を際立たせていた。


 聖衣を纏ったソルフィーユと、礼服姿のリュミエルを乗せた馬車が、バートリー男爵邸の門前で止まる。


 扉が開くと同時に、白髪の老執事が一歩前に出た。背筋は伸び、所作に無駄がない。


「よくお越しくださいました、聖女ソルフィーユ様」


「突然の訪問にもかかわらず、ご対応いただきありがとうございます」


「バートリー男爵様は貴賓室にてお待ちです。お食事もご用意しておりますので、どうぞごゆるりと」


「あら……お気遣い、痛み入ります」


「すべて男爵様の意向にございます。こちらへ」


 庭を抜け、重厚な玄関扉が開かれる。


 中へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。


 高く吊られた大きなシャンデリア。

 靴が沈むほど厚い絨毯。

 壁には高価と分かる絵画が並び、花瓶には手入れの行き届いた花が飾られている。


 誇示ではない。

 だが、隠そうともしていない。


 これだけの財を持ちながら、男爵止まり……。


 奴隷オークションで聖金貨を投じられる男。

 鉱山資源を抱え、交易都市を支配する領主。


 それでも昇爵していない。


 理由がないはずがない。


 考えを巡らせているうちに、執事が一つの扉の前で立ち止まった。


 控えめなノック。


「聖女ソルフィーユ様が、いらっしゃいました」


 わずかな間の後、低く通る声が返る。


「――入りたまえ」


 扉が開く。


 室内は豪奢でありながら、過度ではない。

 選ばれた調度品が整然と並び、趣味と計算が同居している。


 そして――視線が合う。


 男は椅子に腰掛けたまま、微動だにしない。


「――はじめまして。ソルフィーユと申します」


 一歩、優雅に進み出る。


「アルドリック=ヴァン=バートリーだ」


 名乗る声音は穏やか。

 だが、その奥に、相手を量る冷たい響きが混じっていた。


 執事に案内され、ソルフィーユは男爵と向かい合う席に腰を下ろす。

 リュミエルは一歩後ろに控え、静かに立つ。


「大聖都ミレニアから遠路はるばる。連絡を頂ければ、こちらから迎えに上がったものを」


「お気遣い感謝いたします。ですが、事情がありましたので」


「……そうか」


 一瞬だけ、男爵の視線が揺れる。


「軽い食事を用意した。摘まみながら話そう」


「ええ、ぜひ」


 食事が運ばれる。


 話題は無難だった。

 大聖都の近況、聖女の公務、聖庁の様子。


 どれも探り合いにすらならない整った会話。


 だからこそ、ソルフィーユは静かに話題を変えた。


「そういえば、あまり見かけない魔物に遭遇しました」


 男爵の指先が、わずかに止まる。


「……見かけない魔物、か。上位種なら鉱山付近や森に多いが。変わった報告は聞いていない」


「巨体で腹部が口になっており、異常な再生能力を持っていました」


 男爵の眉が、ほんの僅かに動く。


「それは危険だな。近隣の村が危うい。私兵に調査させよう」


「ありがとうございます」


 ソルフィーユは頷き、間を置く。


「それと……周辺の村で、子供が失踪していると聞きました」


 沈黙。


 男爵の喉が、小さく鳴った。


「……数年前からだ。子供が攫われている。誰の仕業かは分からん。私兵も動かしているが、ペルジーオを守るだけで手一杯だ。力不足を痛感している」


 攫われている。


 その言葉を、ソルフィーユは逃さなかった。


「ご家族のお話を伺い、胸が痛みました。大聖都へ戻り次第、魔物討伐と失踪事件について掛け合ってみます。私の権限で、騎士団か聖騎士を動かせるかもしれません」


「そ、それは……」


 男爵の声が一瞬詰まる。


「あ、いや……ありがたい申し出だ。本来なら私が嘆願すべきことだが、ぜひお力を借りたい」


 額に滲む汗を、男爵は袖で拭った。


「数日、滞在されるのか?」


「はい。教会で祈りを捧げ、聖庁へ報告もいたします。それと、鉱山も見学する予定です」


 男爵の呼吸が、わずかに浅くなる。


「聖庁に……報告、か」


「ええ。公務ですので」


「……そうだな」


 笑みを作るが、目が笑っていない。


「本日は有意義でした。出立前に、改めてご挨拶を」


「あいわかった。どうか、ペルジーオで英気を養ってくれ」



 ――屋敷を出た後、用意された馬車の中で。


「リュミエル」


「はい」


「バートリーは黒です」


「……あの会話だけで、ですか?」


「失踪としか伝わっていないはずです。ですが彼は、攫われている、と言った」


 ソルフィーユは静かに続ける。


「犯人の存在を前提にしている。知らなければ出ない言葉です」


「ですが、それだけでは関与の証拠には……」


「証拠はありません」


 視線を窓の外へ向ける。


「ですが、騎士団や聖騎士の派遣、聖庁への報告を口にした瞬間。視線が泳ぎ、呼吸が乱れ、汗が増えました」


 あれは恐怖だ。

 バートリー男爵の精神が手に取るようにわかる。


「王国側に踏み込まれたくない理由があるのかもしれません」

 

 鉱山。

 採石場。

 

 あの男が、あそこに触れられたくない理由。

 馬車の窓越しに流れる山々を見つめながら、ソルフィーユは静かに目を細めた。


 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ