ペルジーオの町の違和感
リュミエルは、深い青の宝石が埋め込まれた髪留めを、壊れものを扱うように両手で包み込んでいた。
その微笑みを眺めていると、贈ったこちらの胸までゆっくりと温まっていく。
「着けるのが勿体ないくらいですね」
「着けてくれないと、買った私が惨めです」
相場が銀貨二十枚なのかは分からない。だが、決して安い品ではなかった。 使ってもらえた方が、髪留めも、そして私も報われる。
そういえば、女性に贈り物をしたのは随分と久しぶりだ。
▽
「お前には、これが合うと思う」
一本のナイフを目の前の女へ差し出す。
女は受け取ると、迷いなく鞘から抜き、掌の上で軽く回した。
順手から逆手へ、刃を遊ばせるように取り回しを確かめ、満足げに口元を緩める。
「ありがとう、サイファ。まさか貴方から、こんなセンスの良いナイフを貰えるなんて思わなかったわ」
「ハンドラー。オペレーターのお前には不要だと思っていたが……任務次第では、現場に出ることもある。一本は持っておけ」
「そうね。でも私は常に後方支援。サイファみたいに、単独で敵陣に突っ込む役回りじゃない」
私は組織の暗殺者で、彼女は私を支援する存在、コードネーム『ハンドラー』。
十年以上の付き合いになる。
私が四十を越え、彼女はまだ二十代半ば。
その彼女にナイフを贈った——、それが、サイファとして最初で最後の贈り物だった。
▽
「ソルフィーユ様?」
リュミエルの声に、意識が引き戻される。
「すみません。少し、考え事をしていました」
「お悩み事がありましたら、私、聞きます!」
「悩みというほどのものではありません。少し、昔のことを思い出しただけです……ところで」
言葉を切り、周囲へと視線を巡らせる。
往来を行き交う人々の足元を、小さな影が走っていた。
「リュミエル。気づいていると思いますが……ペルジーオの町には子供がいますね」
「はい。以前立ち寄った村では、一人も見かけませんでした。それに、他の村でも子供が失踪していると聞きました」
「ですが、ここにはいます。少し事情を聞く必要がありそうです」
私はリュミエルと視線を交わし、先ほど髪留めを購入した露店の店主へ向き直った。
「店主。最近、近隣の村で子供の失踪が相次いでいると聞きましたが、何かご存じですか?」
「ん? ああ……周辺の村で、子供が大量に消えてるって話だな」
「ご存じなのですね」
「そりゃあな。ペルジーオでも、最初は数人いなくなったさ」
店主は一瞬だけ言葉を選ぶように間を置き、肩をすくめた。
「だが、バートリー男爵が警備を増やしてくれてな。それ以来、この町じゃ子供の失踪は出ていない。問題は……ペルジーオの外だ。そこまでは手が回らねえらしい」
「なるほど。バートリー男爵は、迅速に手を打ったわけですね」
「まあな。ケチな領主だが、仕事は回してくれるし、住んでる側からすりゃ悪くない町だ」
店主はそう言って、どこか割り切った笑みを浮かべる。
「外の村は気の毒だが……いずれ男爵が何とかするだろ」
アクセサリー屋を後にしながら、私は先ほどのやり取りを思い返していた。
守られている場所と、そうでない場所。その境界が、思っていた以上に明確であることを。
宿に戻ると、少し遅れて月下の牙の面々が帰ってきた。
「お疲れ様でした。ギルドの様子はいかがでしたか?」
ソルフィーユの問いに、ライナーは一瞬言葉に詰まり、困ったように眉を寄せた。
「村を襲った化物の件を報告したんだがな……そんな魔物は存在しない、見間違いじゃないか、だとさ」
「……本当ですか?」
「ああ。俺も耳を疑った。だが、それ以上話を聞こうともしなかった」
ライナーは肩をすくめて続ける。
「あの魔石もな。鑑定の結果は、オークの変異個体だとよ。もっと高値がついたはずだが……そのまま売ってきた」
「そうですか……それは災難でしたね」
「ほんと最悪!」
セレナが顔をしかめる。
「もしあれがオークなら、私たちが食肉用に狩ってるオークまで、気味悪くて食べられなくなるわ」
ソルフィーユも遠目ではあるがあの化物を見ている。
オークは本来、豚に似た顔立ちを持つ魔物だ。
だが、月下の牙が相手にしていた存在は、頭部らしい形状がなく、胴体そのものに口が開いていた。
……同じだとは思えない。
聖王国各地で魔物災害が確認されている中でのギルドの対応。
そこには、拭いきれない違和感が残った。
もっとも、ソルフィーユにとってギルドは馴染みのない組織だ。
荒くれ者を日々相手にしていれば、対応が荒くなったり、事なかれ主義になることもあるのだろうと、無理に納得する。
その後、ソルフィーユとリュミエルは、ペルジーオで得た情報を月下の牙に共有した。
「なるほどな……」
ライナーが腕を組み、頷く。
「あの村の子供たちは、教会に避難しているものだと思っていたが……そもそも、いなかったわけか」
「でもよ」
ガルドが苛立ちを隠さず言う。
「バートリーって男爵が対策してるんだろ? なら犯人を捕まえられないのかよ。ミレニアでも、スラムでも獣人の子供が攫われた。どうにかならねぇのか?」
私たちは現状の情報を整理しながら、意見を交わす。
だが、子供の失踪については、手がかりらしい手がかりがない。
調べるにしても、どこから手をつけるべきかすら見えなかった。
「――しかしのお」
沈黙を破ったのはバロックだった。
「ワシらの任務は、あくまで聖女の護衛じゃ。子供の捜索は仕事ではない。その点ははき違えてはならん」
「樽爺の言う通りね」
セレナも頷く。
「余計なことをしても、一銭にもならないわ。率先して首を突っ込むのは反対よ」
二人の意見は至極もっともだった。
私自身、本来の旅の目的を思えば、これは明らかに逸脱している。
行方不明者の捜索は、その地を治める者の責務だ。
――それでも。
子供の失踪という事実が、胸の奥に引っかかって離れない。
「皆さん、落ち着いてください」
ソルフィーユは静かに声を出す。
「確かに、子供の捜索は私たちの仕事ではありません」
「ソル、それで本当にいいのかよ」
「……まさか」
ソルフィーユは首を振った。
「私も、大聖都ミレニアにいた頃から、この件を気にしていました。それは、ガルドも知っているでしょう?」
「…………」
ガルドは答えない。
だが、彼女がこれまで見てきたものを、理解していることは分かっていた。
だからこそ、ソルフィーユは一歩踏み込む。
「そこで、私は領主に会おうと思っています」
「領主に?」
「はい。もともと、私の仕事には貴族への表敬訪問が含まれています。ついでに、バートリー男爵から直接話を聞くとしましょう」
「……それなら、筋は通るな」
ライナーは小さく息を吐き、頷いた。
「俺たちも、このままモヤモヤするのは御免だ。ソルフィーユ様、頼む」
「はい」
軽く頭を下げるライナーに、ソルフィーユは柔らかく微笑み返した。
「私が突然伺っては、先方も困るでしょうから……」
そう言って、ソルフィーユはその場で一枚の手紙を取り上げた。
迷いはない。羽根ペンを走らせ、数行で書き終えると、すぐに蝋を垂らす。
赤い蝋が柔らかく広がったところで、右手の人差し指に嵌めた指輪を押し当てた。
指輪の面に刻まれた紋章が、くっきりと蝋に残る。
「はい。これを、バートリー男爵の御屋敷へ届けてもらえますか?」
手紙を差し出されたリュミエルは、それを受け取り、思わず目を瞬かせた。
「……もう書き終えたのですか? もう少し時間がかかるものだと思っていました」
「用件は一つだけですから」
ソルフィーユは穏やかに答える。
「『表敬訪問に伺います』と、それだけです。私の蝋印があれば、断る理由もないでしょう」
あまりにも簡潔だ。
貴族同士の書簡であれば、前置きに季節の挨拶、相手への敬意、関係性の確認――、本題に入るまでに、何段もの言葉を重ねるのが常だ。
だが、この手紙にはそれがない。
あるのは、要件と拒否を許さない印だけだが、それだけで十分な意味は含まれている。
「……わかりました」
リュミエルは、それ以上何も言わなかった。
形式としては失礼に等しい。だが、それが意図的なものだということも、十分に理解している。
手紙を懐に収めると、軽く一礼し、静かに部屋を後にした。




