目には目を歯には歯を
目の前のテーブルは、瞬く間に赤黒い湖に変わった。
肉の皿、飲み干された木製ジョッキ、鎧の金具のすべてが血に沈み、さっきまで下卑た笑いに溢れていた騎士団の宴は、三秒で地獄に変貌した。
誰も動けなかった。
理解が追いつかないのだろう。
その間が命取りだ。
俺は隣の男の側頭部にナイフを突き立てる。
骨を割る感触。その下で脳が震え、命が途切れた。
ウェイターの女が遅れて悲鳴を上げる。
その声を合図に、店内にいた全員がようやく現実を飲み込んだ。
「て、てめぇ……!」
「だ、誰かっ、応援だ! 応援を呼べ!」
「こんな場所で堂々と殺し!? ただの女じゃねぇ……!」
金髪の男、さっき、俺の挙動に一番早く気づいたやつが即座に立ち上がり、冷静に的確な指示を出す。
「全員武器を抜け! 手足を落としても構わん、生かして捕らえろ!」
その声で騎士たちが一斉に動いた。
踏み込み、構え、斬り上げ──そのどれもが訓練で磨かれた動きだ。
だが遅い。
ひどく、致命的に遅い。
上腕動脈を切り裂き、痛みで前かがみになった瞬間、後頭部にナイフを突き刺す。
こいつらは自分より強い相手を見たことがない動きをしている。
「ちっ……なんだ、この女は!」
一人の騎士が剣を振り下ろす。
俺はソルフィーユを襲った暗殺者から奪ったナイフを構え、魔力を刃へ流す。
魔力強化高等技術──纏い。
「やめろ! そいつの刃に触れるなッ!」
金髪の騎士が叫ぶ。
だが遅い。振り下ろされた剣は止まらない。
金属同士の衝突音はしなかった。
抵抗の感触すらなかった。
騎士の剣はバターのように真っ二つになり、
そのまま俺のナイフが男の首を滑るように通り抜けた。
静寂。
半呼吸遅れて──頭が床に落ちた。
酒場は完全な死の空間になった。
騎士団数名が武器を構えたまま固まり、一般客は悲鳴を飲み込み、壁際で震えている。
少女の姿をしている俺が、複数の熟練騎士を一瞬で殺しているのだから、当然だ。
誰もが思っていた。
これは幻か、悪夢か、目の前の少女は一体何者なのか。
だが、まだ殺し足りない。
こいつらから真相を吐かせるまでは。
さて、戒律隊や騎士団が来ると面倒だ。
町が騒ぎ始めた音が、じわじわ近づいてくる。
ならば、生き残ったリーダー格のコイツから情報を引き出すのが最優先だ。
「逃がすかよ」
一歩踏み込む。
靴底が石畳を抉り、視界が流れる。
その一瞬で男との距離がゼロになる。
狭い店内ではロングソードは不利だと判断したのか、金髪の男はショートソードに切り替えていた。
しかも、纏いを使っている。
「ほう。纏いが使える騎士もいたか」
「舐めてんじゃねぇ……!」
互いの刃が交差する。
だが、人間の魔力濃度は誤魔化せない。
俺の魔力濃度は、相手の十数倍以上。
纏いで強化されたショートソードが、豆腐のように斬り裂ける。
男が瞠目した瞬間、俺は床に片手をつき、反動で身体を回転させてドロップキックを叩き込んだ。
「ぐっ──!」
男の身体は店の壁を破り、外の道へ吹き飛ぶ。
木材が砕け散り、埃が舞う。
「おい、簡単に死ぬなよ。お前にはいくつか聞きたいことがある」
地面に倒れた男が血を吐きながら笑う。
「……マークインのこと、だったか。お前……何者だ?」
「お前は俺の質問にだけ答えればいい」
「金鎖の騎士団に喧嘩売って……タダで済むと思うなよ……」
「なら、その騎士団ごと潰すまでだ」
その言葉に、男の眼が一瞬だけ揺れた。
だがすぐに踏ん切りをつけたように、ロングソードを引き抜く。
魔力が激しく渦を巻き、身体から光があふれる。
「身体強化……か」
魔力基礎にも書かれていた技術。
筋力・反応速度・動体視力を数倍に引き上げる代わり、燃費は最悪。
短期決戦型だ。
「どちらの身体強化が上か、試すにはいいな」
俺も魔力のバルブを開放する。
吹き出す魔力を、纏いの応用で皮膚から一センチほどに留める。
禍々しい邪悪な黒い炎のように、俺の身体が揺らめいた。
「……バケモンかよ」
相手の観察をしている時間はない。戒律隊が来れば面倒極まりない。
「一瞬で終わらせる」
ナイフをしまい、無手の構えを取る。
地面を蹴った瞬間、視界が歪んだ。
相手は身体強化と纏いを重ねたロングソードで斬りかかってくる。
まともに受けたら鎧ごと骨が粉になるだろう。
普通の相手ならば、の話だ。
俺の魔力は、この世界の魔力体系とは似ても似つかぬ物だ。
生前の感覚と殺しを続けた経験を混ぜたイメージ強化が骨の奥で脈打つ。
それを身体強化に乗せることで、魔力そのものの扱いが別段階に移行する。
黒焔纏。
器の奥底で燃える魔力を黒い焔のように流し、身体の外殻に纏わせる。
それは前世の殺し屋としての俺の経験と知識、このせかいの魔力を練り上げ作り上げた、独自の強化方法だ。
斬撃が迫る。
俺はタイミングを合わせ、左手の甲で軽く弾いた。
甲冑を砕く威力はただの金属音に変わり、ロングソードが吹き飛ぶ。
「……は?」
男の驚愕は無視し、懐へ半歩踏み込む。
右足に体重を乗せ──
黒焔纏・崩肩。
単純だが強化された肉体から体重を載せ、当身から放たれた魔力が爆ぜ、男の身体強化ごと胸骨を砕く。
金属が砕け、男の巨体が二十、三十メートル先まで飛んでいった。
「やりすぎたか?」
男の前に歩み寄る。
まだ死んでいない。さすが俺に向かってきた騎士団。
「……ゴフッ。金鎖がお前を地獄まで追う。家族諸共、異端で火刑だ……」
「そうか。それは楽しみだ」
髪を掴み、人のいない裏路地まで引きずる。
喚くので、数発殴って黙らせた。
「さて──いいか?俺は基本的にメリットで動く。俺が欲しい答えを出せば痛みは減るし、逆なら増える。ただそれだけだ。理解できたら頷け」
「……」
「無言は肯定とする。まずはマークインの情報だ。見た目、年齢、立ち位置、趣味、女癖、睡眠時間──知っていることを全部だ」
「は……?」
常識的な反応だ。
この国の尋問は組織情報しか聞かないらしい。
「それは、俺の求めてる答えじゃない」
右耳を削ぎ落とす。
「ギャァァッ!」
「もう一度聞く。全部話せ」
「あ、ああっ……マークインは戒律院の補佐官で、年齢は二十代後半……ガンブレイ様の右腕で……頭の切れる男だ。見た目はメガネを掛け、髪は水色で……かなりの色男だ……後は家族でもなきゃ……」
「リュミエルを狙った理由は?」
「……あんた……あの女聖騎士の関係者か……銀翼にお前みたいなのはいなかった……!」
俺は男の太腿に力を込め、そのまま踏み抜いた。
大腿骨が砕け、スイカを踏んだような感触が伝わる。
「アアアアァァッ!!」
「俺はな──愚かな人間と、馬鹿な人間と、同じ失敗を繰り返す人間が嫌いなんだ」
俺は男の震える肩越しに月を見た。
銀光が落ち、ソルフィーユの髪が静かに揺れる。
「さあ、マークインは何故リュミエルを狙った?」
「あ……あの女聖騎士が邪魔だったらしい……ただ、詳しいことは知らねぇ、マークインは羽振りだけは良かったからな……」
こいつらは所詮捨て駒か。
リュミエルを潰し、代わりに都合のいい護衛を置く。
恐らく、俺と婚姻を結ぶ段取りを整えたいガンブレイ。
その右腕のマークインが金鎖を使ってリュミエルを私刑。
目の前のこいつらは金で釣られた実行犯に過ぎない。
これで充分だ。こいつらの処遇は確定した。
「俺の飼い犬に傷をつけたツケだ。しっかり取り立てる」
「な……何を……?」
俺は帽子を脱ぐ。
銀の髪がさらりと流れ落ち、男の瞳孔がぎゅっと縮まる。
「せ……聖女、ソルフィーユ……。そ、そんな……」
「クックック。そうだ、私は聖女と呼ばれている者だ」
「聖女は……神力しか……使えない……はず、なのに……」
俺は魔力で身体を強化したまま、神力を流し込む。
身体の輪郭が光に染まり、男は恐怖と理解不能の狭間で息を呑んだ。
「……魔力と神力が……共存してる……だと……」
「さて、実験するか」
「や、やめ──」
俺は男の顔を掴み上げる。
神力を媒介にして、男の魔力を引き剥がすように侵食させる。
黒い魔力が、光の中でゆらゆらとほどけていく。
「ぐ、あ……! や、やめろ……あ……」
「はは……これは面白いな。魔力を喰える。補充し放題だ。神力にも転換できる。……無制限にだ」
もし器の中で魔力と神力の変換ができるなら、他者の魔力も同じ原理で吸収できるのでは。
そう考えて試してみたが、あっさりと成功してしまった。
ごく自然に、当たり前の動作のように。
男の魔力が尽きた瞬間、蝋燭の火が消えるように命も潰えた。
俺の手に残ったのは、ただの喋らぬ肉塊だけだった。




