祈りの中にいない者
日が昇り、村に差し込む太陽の光が、冬の冷えた空気をゆっくりと温めていく。
村に残るのは血の匂いと、ゴブリン特有の鼻を突く異臭。それらは村民たちの手によって処理され、大きく掘られた穴へと次々に投げ込まれていった。
傍らに置かれた木箱の中には、小さな赤い石――魔石が集められている。
「月下の牙の皆様、本当にありがとうございます」
白髪の老人が、ライナーに深く頭を下げた。
「それだけではありません。これほどの魔石まで分けていただけるとは……感謝してもしきれません」
「気にしなくていい。俺たちは、そのために戦ったんだ」
そう言ってライナーは、右手に握った魔石を見下ろす。
拳大の赤黒い魔石。
あの異形の魔物の体内にあったもので、他の魔石とは明らかに違う。
内包されている魔力の量が、異常と言っていいほど濃い。
「そういえば、聖女様があなたをお探しでしたよ」
「そうか。教えてくれてありがとう」
ライナーはそう答えると、教会の方へと足を向けた。
ソルフィーユは、村へ戻った後も休むことなく、戦闘に参加した村民たちの治療を優先しているはずだ。
「おーい、ガルド」
壊れた家屋の解体を手伝っている、ガルドの背中を見つけて声をかける。
「おう。こっちは、だいたい片付いたぜ」
「お前もいい加減怪我を診てもらえよ」
「セレナは魔力切れで寝てるんだよ」
「だからだ。ソルフィーユ様に頼め。今、教会にいるだろ?」
「ソルか……」
ガルドは少し間を置き肩をすくめた。
「まあ、頼んでみるか」
ライナーとガルドが教会に足を踏み入れると、ソルフィーユは祭壇の前に立ち、聖句を唱えながら村民たちに聖レイディア教の教えを説いていた。
ステンドグラスを通した朝の光が差し込み、ソルフィーユの銀色の髪を照らす。光を受けた髪は七色にきらめき、白い肌はまるで純白の陶器のように滑らかに映えていた。
おとぎ話の挿絵に描かれる『聖女』――、その言葉が、そのまま形を持ったかのような光景に、ライナーは思わず息をのむ。
「よっ、ソル。今、大丈夫か?」
「おい、ガルド。空気を読め。今はソルフィーユ様の仕事中だぞ」
その声に、ソルフィーユの聖典朗読が静かに止まった。
「……本日は、ここまでです。皆様、昨夜は大変な目に遭われましたが、きっとこれも女神レイディア様のお導きなのでしょう。どうか互いに手を取り合い、共に乗り越えて参りましょう」
教会に集まっていた村民たちは、次々とソルフィーユに礼を述べ、静かに教会を後にしていく。
「ソルフィーユ様、邪魔をして申し訳ない」
「いえ。ライナーを呼んだのは私ですし、ガルドも、早く怪我を診ましょう」
教会奥の個室へ向かうと、ソルフィーユは椅子に腰を下ろし、ガルドに近くへ来るよう促した。
「……全身打撲ですね。ですが、大した怪我ではありません」
「いやいや、全身ボロボロだぞ。すげぇ痛ぇ。あのデカブツ、タフすぎだろ」
「そんな凶暴な魔物が……生きて戻れて、本当に良かったです」
ソルフィーユはすべてを見ていたが、あえて触れなかった。
ガルドもまた、戦闘中に感じていた違和感を口にすることはなく、彼女が何も言わない理由を察していた。
「はい。これで治りましたよ」
言葉と同時にソルフィーユの神力が流れ、ガルドの傷は瞬く間に消えていた。
「うおっ……神力ってすげぇな。精霊魔法の治療より早いじゃねぇか。もっと早く頼めば良かったぜ」
「次からは我慢せずに来てくださいね」
「おう!」
ガルドは軽く跳ねるように立ち上がり、体をひねりながら調子を確かめる。
引き締まった筋肉と毛並みは、戦いの跡を感じさせないほど健全だった。
「ソルフィーユ様」
「ああ、ライナー。お待たせしました。お伝えしたいことがあります」
ライナーは姿勢を正し、彼女の言葉を待つ。
「今回の騒動はゲイズが仕組んだもののようです」
「本当か? なら捕まえて吐かせないと――」
「それは難しいでしょうね」
ソルフィーユは、窓の外に広がる村の風景へと視線を向けた。
「彼は、すでにこの世にはいません」
「……なぜだ?」
「昨夜の騒動に巻き込まれて亡くなったようです。詳しい確認は取れていませんが」
ゴブリンの大群、そして異型の魔物。
あの混乱の中にいれば無事でいられる方が不自然だ。
「……わかった。とりあえず、旅の障害が一つ消えたのは助かるな。俺はまだゴブリンの処理が残ってる。また後でな」
ライナーは軽く手を振り、部屋を後にした。
「なあ」
見送った後、ガルドが静かに声をかける。
「……本当のことは言わねぇのか?」
「ガルドの鼻は誤魔化せませんね」
「ソルが手を汚す必要はないと思っただけだ。ヤツが動いたら、俺がやるつもりだったしよ」
「……タイミングが悪かったのです。仕方ありません」
「ま、いいか。俺も手伝ってくる」
そう言い残し、ガルドもまたライナーの後を追って教会を出ていった。
部屋に残されたのは、ずっと口を閉ざしていたリュミエルだけだった。
彼女は、ようやく小さく息を吸い、口を開く。
「ソルフィーユ様……ゲイズに、何かされましたか?」
「まさか。私が遅れをとることはありませんよ」
「ゲイズは、それなりに腕の立つ聖騎士でした。特に戦闘に関しては生き残ることに長けております」
「……では」
ソルフィーユは一瞬だけ間を置き、静かに言う。
「私の方が、ゲイズより生き残ることに長けていただけのようですね」
「むむむ。仮にも聖騎士相手に戦うのは、お気をつけください。彼らには『秘匿した力』を持っている者も多いのです」
「気をつけます」
ソルフィーユは反省の色も無く、懐からナイフを取り出した。
太陽光を受けた刃を確かめるように指先でなぞる。
「試し斬りにはなりませんでしたが……」
淡々と事実だけを口にする。
「新しい毒を試せたのは大収穫です」
「……毒ですか」
リュミエルは小さく息を吐いた。
「また、そんな危険なものを……。いえ、もう驚くことはやめます」
そう言って話題を切り替える。
「それでは、次の目的地は決まっておりますか?」
オルロレアンの森から現れた魔物の大群と、異型の怪物。
本来であれば掘り下げるべき案件だが、まずは報告が先だ。
「バートリー男爵が治める町、ペルジーオを予定しています」
「ペルジーオ……鉱山を抱える、山の麓の町ですね」
「ええ」
ソルフィーユは頷いた。
「バートリー男爵は、違法な奴隷オークションにも顔を出していました。資金の出どころも含めて、調べる価値はあります」
「……それだけではありません」
ソルフィーユは静かに言葉を継いだ。
「この村の異変も気になります」
「異変……ですか?」
リュミエルは小さく首を傾げる。
「昨夜の騒動で、村中の人々が教会に避難してきました。全員ではなかったかもしれませんが……」
そこで、言葉が一拍止まる。
「――子供が、一人もいませんでした」
「あ……」
リュミエルの喉から、かすれた声が漏れた。
言葉にならない沈黙が、二人の間に落ちる。
魔物の襲撃。
異型の怪物。
そして――、いなかった子供たち。
偶然で済ませるには揃いすぎている。




