ゲイズの企みと、希望の光
半日をかけ私たちは森を踏破した。
最短距離とはいえ、獣道を辿るこのルートは想像以上に長い。だが、悪い道行きではなかった。
あの後、賊が現れることはなく魔物が時折姿を見せる程度で、その都度、月下の牙が難なく対処している。
別のルートを選べば森の中で野宿を強いられ、人が暮らす拠点を経由する迂回路が存在するのも、旅人の安全を考えてのことだろう。
「やっと、森を抜けましたね」
「ソルフィーユ様、見てください」
リュミエルが指差した先には、一面の緑が広がっていた。
整えられた畑は作物が規則正しく植えられており、冬本番に向けて収穫を待っているのだろう。
「畑の左手奥に見えるのが、バフォル山脈です」
彼女の視線の先には連なる岩肌が見えた。
頂上付近には真白な雪化粧、上空には巨大な鳥の姿もも見える。
「あの一帯は複数の鉱山があり、バートリー男爵領最大の収入源となっています」
――バートリー男爵。
違法な奴隷オークションに参加していた人物だ。
資金の流れも掴めている。高額な奴隷を買えるということは、それ相応の裏がある。
いずれ必ず顔を合わせることになるので、調べておく必要がある。あの件についても。
「ソルフィーユ様。今夜は、あの村に泊まります」
御者席から、ライナーが前方に見える村を示した。
今日はいろいろなことが起きた。
静かに休みたいが、確認したいことが沢山ある。
――そして、その夜。
私は認識阻害のマスクと『静黒聖衣』を身に纏い、ある人物を闇の中から観察していた。
「――どうなっている。護衛の冒険者は、全員生きているではないか」
林の奥、影に溶けるようにして立つ二人の男の会話が、微かに耳に届く。
風に揺れる草の音、枝葉の擦れる音に紛れ、ソルフィーユは音を殺したまま距離を詰めた。漆黒の衣装は夜に溶け込み、気配すら残さない。
「相手が『月下の牙』だぞ。そんな簡単な連中じゃない」
一人が低く言う。
「冒険者ギルドじゃ、護衛や魔物狩りで名が通ってる。奴らの技量を見誤ったあいつらが間抜けだっただけだ」
「なら、どうするつもりだ」
短い問いに男は一拍置いた。
「……俺に考えがある。これを使う」
懐から何かを取り出す気配。
「ほう。なるほど」
「ゲイズは、女を教会に張り付けさせろ。後は俺がやる」
「もう時間が無い。失敗したら、死んだ奴らの分の金も払えんぞ」
低い声が、念を押す。
その声には有無を言わせない圧があった。
「大丈夫だ俺に任せろ――」
言葉を残し、ゲイズともう一人の男は、何事もなかったかのように別れた。
ソルフィーユはその背中を見送ることなく、闇の中に留まる。
――今の会話を、頭の中で整理すると単純だった。
ゲイズが賊を使いソルフィーユたちを襲ったが、今回の襲撃は失敗している。しかし、会話を聞く限り計画そのものは終わっていない。
次の舞台は教会で何かをするつもりだ。
聖女が拒めず、護衛が動きにくい場所。
狙いは最初から一つだけ。
ゲイズが何かを企み、他者と手を組み、月下の牙を狙い――、そして、ソルフィーユを狙っている。
恐らく、動くなら今夜。
日が昇る前までに、何かを起こす可能性が高い。
焦りが胸をかすめるのを抑え、ソルフィーユは村へ戻った。
村はすでに眠りに落ちていた。
家々は静まり返り、足音も闇に溶け込む。
ソルフィーユはリュミエルのもとへ向かい、そっと体を揺らす。
「――ん、ソルフィーユ様? どうかなさいましたか?」
「ゲイズが動きそうです。月下の牙の皆を起こし、万が一に備えてください」
「かしこまりました!」
即座に理解し、リュミエルは足早に部屋を出ていった。
(ゲイズは、何をするつもりだ?)
あの協力者が何かを起こすのは間違いない。
だが、方法が読めない。
思考を巡らせる間に――。
村の外から微かな振動が伝わってきた。
最初は、気のせいかと思うほど小さい。
だが、それは次第に重さを増し、確実にこちらへ近づいてくる。
地を踏み鳴らす複数の足音。
――カン、カン、カン、カン。
物見櫓から、金属を打ち鳴らす音が村中に響いた。
「魔物だーっ! 魔物の群れが迫っているぞーっ!」
叫び声と同時に扉が勢いよく開く。
リュミエルが息を切らし、部屋へ飛び込んできた。
その表情が、ただならぬ事態を物語っている。
「ソルフィーユ様! 魔物です! 魔物の群れが森から迫っています! 今すぐ避難を!」
「わかりました。月下の牙は?」
「村の人たちと、魔物を食い止めるため外へ。ライナーが、教会に避難しろと」
――魔物を呼び寄せた?
どうやって……?
今はライナーの指示に従う他ないようだ。
「……わかりました。一旦、教会へ向かいましょう」
「はい!」
混乱が広がる村の中を抜け、ソルフィーユたちは教会へと駆け込んだ。
中には、すでに避難してきた老人や女性が身を寄せ合っている。
聖レイディア教の聖句を小声で唱える者もおり、不安が祈りとなって漂っていた。
「……聖女もここにいたのか」
扉を開けて教会へ何食わぬ顔で入ってきたのはゲイズだった。
「……魔物が迫っています。聖騎士であるなら、村のために剣を振るってはいかがですか」
「無論、そのつもりだ」
ゲイズは胸を張り教会内を見回す。
「この教会を死守し、弱きを守り、そして――聖女を救う。それが、聖騎士の務めだ」
そう言って、胸当てに刻まれた聖騎士の紋章を誇示するように見せつけた。
その瞬間だった。
「今、聖女と……?」
一人の老婆が、震える声を上げる。
「それに、あなたは……聖騎士様なのですか?」
「そうだとも」
ゲイズは即座に答えた。
「私は、ここにおられる聖女ソルフィーユの聖騎士である」
「「聖女様!」」
歓声が教会内に広がる。
安堵と期待が、波のように押し寄せた。
「ゲイズ! どういうつもりですか!」
ゲイズの目の前にリュミエルが一歩踏み出した。
「あなたの職務は、ソルフィーユ様の護衛ではありません!」
「私は聖騎士だ。民を救い聖女を守る責務がある」
ゲイズの声が冷たく響いた。
「いくらお前でも、聖騎士の資格を失えばただの人間だ。元聖騎士のお前なら理解できるはずだ」
「……っ」
ギリギリと食いしばり、リュミエルが言葉を詰まらせる。
「リュミエルよ。ここは俺が受け持つ」
ゲイズは、当然のように続けた。
「お前は教会の外へ出て、魔物を近づけさせるな」
「しかし――」
「良いのです」
「ソルフィーユ様!?」
ソルフィーユはリュミエルと視線を交わし、静かに合図を送った。
心配はいらない。――後は、私が引き受ける、と。
リュミエルは鼻を鳴らし、ゲイズを睨みつけると何も言わず教会の外へ出ていった。
「さて、聖女よ――」
ゲイズが言葉を継ごうとした、その時。
「怪我人はいませんか」
ゲイズが言いたいことは分かる。
奴のペースに合わせるつもりはなく、聖女として職務を全うする。
「私の神力で癒します」
その一言で空気が変わる。
「胸が……少し苦しくて……」
「私は、逃げるとき足を痛めました……」
数名が恐る恐ると集まってきた。
女性の手を取り「大丈夫です。順番に、奇跡で癒しますので」と告げると次々と神力を行使する。
――怪我を。
――痛みを。
――不安を。
――人々の前で丁寧に。
村民の多くは生涯に一度も聖女や神力を見ることなく生きていく。
祈りはあっても奇跡は遠い。
――そんな彼らの目に、今夜の私はどのように映っているのだろうか。
教会の外から、魔物の叫び声と人の怒号が重なって聞こえ、戦闘の激しさから教会の柱に振動が伝わる。
それに呼応するように、避難していた村民たちの間から小さな悲鳴が漏れた。
彼らを安心させるため神力を行使し、教会の空間にいくつもの光の玉を展開する。
柔らかな光が天井から降り注ぐと、避難した人々は目を輝かせた。
一時しのぎではあるが、不安は確かに薄れていく。
「これも奇跡なのですか?」
老婆が期待を隠さない瞳でソルフィーユを見上げる。
「お母さん、やめてください。この方はとてもお偉い方なのよ」
「大丈夫ですよ」
老婆の娘らしき人物が止めるが、それを優しく受け答える。
「私も、ここに避難してきた一人の人間です」
老婆の視線がまだ離れない。
「私の力は奇跡を起こすことができます。怪我を治したり、病を癒したり……こうして、光る玉を生み出すこともできます」
先ほど空中に浮かべた祝福の奇跡を、手のひらに引き寄せて光らせる。
神力の無駄遣いではあるが、恐怖を抑えるための必要な演出は、お手玉のように手から手へと光を移し、くるくると空中で回してみせる。
教会に満ちていた重苦しさが、少しずつ和らいでいくのを感じた。
「しばらく、この光る玉が皆さんを照らします。光が消える頃には、外の魔物はすべて撃退されているでしょう」
村民たちは聖レイディア教の聖句を唱え、祈りを捧げ始めた。
――この緊急時に興味が村民と聖女だけの聖騎士ゲイズ=ノイマン。
視線を向けると、ゲイズは優越感に浸ったような満足げな表情で、光の玉に祈りを捧げる村民たちを眺めていた。
まるで――
この光景こそが、自分の功績だと言わんばかりに。




