謎の追跡者
翌朝、日が昇る前にソルフィーユは目を擦りながら体を起こした。
隣を見ると、リュミエルは毛布にくるまったまま、深い眠りに落ちている。
長時間の馬車移動で尻が痛いとこぼし、途中から徒歩になったせいもあるのだろう。呼吸は穏やかで、警戒の気配はない。
昨夜の酒場でのことを思い返す。
追っ手の目的は間違いなく私、その可能性は高い。
真っ先に脳裏に浮かぶのは、メルドラ宰相の顔だ。
ソルフィーユの命を狙うタイミングは大聖都ミレニアの外で実行される、と。だが、今回は質が違う気がする。
あの夜のことを思い出す、ソルフィーユの胸にナイフを刺した暗殺者とあの酒場にいた追っ手は、動きも間合いも覚悟も数段劣る。
思考を巡らせていると隣で小さな動きがあった。
リュミエルが身じろぎし、眠気を残したまま上体を起こす。
「……おはようございます、ソルフィーユ様」
「おはようございます、リュミエル」
ソルフィーユは声を落とし穏やかに続ける。
「今日は忙しくなるかもしれません。気を引き締めていきましょう」
「……はい」
まだ完全に覚醒していない様子だが、その一言で、リュミエルの目に騎士の光が戻る。
ライナーたちと話し合った通り、仕掛けるならあの森。
逃げ場が少なく視界が遮られ、数で押せる場所。
待ち伏せにはうってつけだ。
ソルフィーユは静かに息を吐いた。
来るなら来い。
軽い準備運動にはちょうどいい。
日が完全に昇る前に、月下の牙の面々を起こし、酒場で簡単な朝食を済ませた。
朝の静けさの中、口火を切ったのはバロックだった。
「馬も馬車も、積み荷も問題なしじゃ。妙な細工も匂いもない」
「なら目的は――」
ライナーが腕を組み言葉を継ぐ。
「聖女様だな」
その一言にセレナが卓を両手で叩いた。
「あーもう! こんな面倒事に巻き込まれるなら、もっと報酬を吹っかけとくべきだった!」
「事前に説明はしています」
リュミエルが淡々と返す。
「聖女様は狙われています。その上で、護衛をお願いしました」
「わかってるわよ、わかってるけど言いたくなるの!」
セレナは不満を吐きながらも、弓の弦を確かめる手は正確だった。
軽口は飛ぶが空気は緩むことなく、全員の視線が自然と出入口や窓、互いの死角に向いている。
長く冒険者をやってきた特有の気配が、彼らの心を戦場に切り替えていく。
この面子なら遅れは取らない、ソルフィーユはそう判断する。
あのナイフの切れ味を試す暇すらないかもしれない。
それでも構わない。
刃は必要な時に振るえばいい。
「さあ、行こう。敵さんは待ってくれないからな」
ライナーの言葉を合図に一斉に立ち上がる。
荷物をまとめ、手慣れた動きで馬車へと乗り込んだ。
冬の訪れを告げる朝の冷気が肌を刺すと、眠気を押し流すには十分な冷たさだった。
馬たちに餌と水をしっかり与え、宿場町を後にした馬車は、バートリー男爵領へ続く街道をゆっくりと進む。
数時間も経たないうちに視界は深い森に覆われ、鳥の囀りがソルフィーユたちを歓迎してくれているようだった。
「ここがオルロレアンの森だ。この先を抜ければ、バートリー男爵領に入る」
ライナーが地図を示す。
「入口は複数あるが、今回選んだのは最短距離の道。大街道とは違い、人の往来はほとんどなく魔物の出没も多い。そして、今回は追跡者を撃破するのも目的だ」
「……ちゃんと、付いてきてるわ」
セレナが低く呟く。
「いつ来るか楽しみだぜ」
「ワンコロは随分と浮かれとるのう」
軽口は叩くが緊張が緩んでいるわけではない。
空気は張り詰め、全員の感覚が研ぎ澄まされているのを感じる。
ソルフィーユの肌にもチリチリとした違和感が走る。獣道の奥から向けられる悪意。
月下の牙が本気で警戒に入っているのが分かった。
森の奥へと進み、しばらくしたところでセレナが声を上げる。
「後方の連中、速度を上げたわ」
「よし。速度を上げる! 振り落とされるなよ!」
ライナーは即座に鞭を振るい馬に合図を送ると、馬車が一段ギアを上げたように加速し、振動が馬車に伝う。
激しい揺れに思わず手すりを掴む。
――ヒュッ。
空を裂く音が、バロックの戦鎚の鎚頭で乾いた音とともに矢を弾き飛ばした。
追跡者の一人がついに口火を切ったのだ。
景色が矢のような速さで後方へ流れていく。
背後から迫るのは馬に乗った男が四人。
そのさらに後方に馬車が一台。
弓を構えているのはその中の二名だ。
さらに、矢が馬車を狙って放たれる。
正確な射撃をリュミエルとバロックが確実に防ぐが、いくつかは幌馬車をかすり、生地が裂け、馬車に刺突き刺さる。
不安定な馬上で矢を番えている時点で、追跡者の腕は相当と見ていい。
だが――
それ以上に弓を極めた者がこちらにはいる。
幌馬車が大きく暴れる中、セレナが身を乗り出した。
視線は迷わず呼吸も乱れない。
一瞬の静止、狙いを定め――放つ。
空気を切り裂いた一筋の矢は、寸分の狂いもなく弓を構えていた男の眉間に吸い込まれた。
男は声も上げずに落馬し、倒れた馬体が後続の馬車の進路を乱す。
だが、それだけだった。追っ手の馬車は左右にぶれ、減速したものの完全には止まらなかった。
「この先に、拓けた場所がある!」
ライナーが叫ぶ。
「迎え討つぞ!」
やがて、森のトンネルが途切れ視界が一気に開けた。
広く草もまばらな更地。
そして、その先に武装した男たちが数名が、すでにこちらへと武器を向けている。
「……やはり待ち伏せか。全員降りろ、応戦する!」
ライナーの号令と同時に全員が馬車から飛び降りる。
前方の待ち伏せには、ライナーとセレナ。
後方から迫る追っ手は、ガルドとバロックが引き受けるように動く。
瞬時に組まれた布陣だった。
「ソルフィーユ様、私から離れないでください」
リュミエルが迷いのない声で言う。
「任せましたよ、リュミエル」
ソルフィーユは短く答え、迫る戦場を見据えた。
「お前たち、何者だ」
鈍く光る剣先を追ってたちに向けるが、ライナーの問いかけに男たちは答えない。
沈黙そのものが明確な敵意だった。
ここまで来てソルフィーユたちに剣を抜いた以上、取れる選択は少なくない。
ライナーが追っ手の集団へと一直線に駆け出す。
「オラッ! 俺たちに挑んだことを後悔させてやる!」
怒号と同時に、側面から剣が振るわれる。
「囲んで殺せ!」
複数の刃を掻い潜り刃が頬を掠めて血が舞うが、冷静に次に来る斬撃をライナーは小盾で受け流すと、その反動を利用して正面の男へ踏み込んだ。
躊躇はない。
刃が突き立ち、喉を鳴らして崩れる。
「もらったッ!」
生まれた隙を逃さず、ハンドアックスを構えた男が飛びかかる。
だが、その瞬間――
弦を弾く音と共に、放たれた矢が弧を描き、男の側頭部を正確に貫いた。
身体が回転し、そのまま地面に叩きつけられる。
「助かった、セレナ!」
「感謝は後。次っ!」
短い声が飛び、戦場の空気がさらに血の匂で染まっていく。




