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潜入捜査

 奇跡の力は奇跡なんかじゃない。

 術者の命の消耗と引き換えに起こる『神』という名のシステムが課した対価契約だ。


 神力聖典には難解な言葉で飾られた理論が書かれていたが、結局こうだ。

 

 三大奇跡を発動した聖女は、例外なく短命。

 器が擦り切れ、魂が摩耗し、最後に命が消える。


 ソルフィーユは器が小さすぎて、三大奇跡など夢のまた夢。

 それでも国内で魔法治療が効かない病や怪我を治すため、魂を削り続けていたらしい。


「リラックスしてください。すぐに済みます」


 リュミエルの手に触れた瞬間、神力が勝手に情報を流し込んできた。

 呼吸の乱れ、筋肉の緊張、皮膚の熱、骨の軋み


 全部、一瞬で見える。


 だがそこで、違和感があった。


 訓練でできる怪我じゃない。


 大腿骨にヒビ。

 歩くのも本来なら困難なレベル。

 全身の打撲痕、手首に残る防御痕。

 複数人に一方的に殴られた、あるいは蹴られた痕跡。


 誰に、とはまだ聞かない。

 怒りが先に立つだけだ。


 今は実験が先だ。


 神力に意識を向け、そこから魔力へと手を伸ばす。

 器の奥にたまっている魔力の塊を神力へ変質させるイメージ。


 だが最初の試みは失敗した。

 神力が魔力を侵食し、むしろ神力の絶対量が増えたのだ。


 ──理解した。


 神力は使うたび減るが、魔力は自然に回復する。

 つまり、魔力を神力に変換し続ければ……


 『命を削らずに奇跡を無限に行使できる』のではないか。


 癒しの奇跡を発動させると、柔らかい光がリュミエルを包む。

 その光が消えたとき、彼女の表情は穏やかで、体は力が抜けたように緩んでいる。


 もう一度、神力で状態を確認する。


 大腿骨のヒビは完全に塞がり、打撲も消えた。

 防御痕は跡形もない。


 ──完治。


 リュミエルは自分でも気づいたらしく、ぽかんと目を見開いた。


「え……痛みが……全部……?」


 驚きと安堵が混ざった声だった。


「一つお聞きしたいことがございます。この怪我は訓練でできた怪我の度を越えています。何をされたのですか?」


「……本当に訓練です。私、要領が悪いのでいつもこんな感じなんです」


 ふっと視線を伏せた。

 彼女は何も言わない。

 痛めつけられた理由も、相手が誰かも。


 言わないのではない。

 言えないのだ。


 それが彼女という人間の弱さであり、強さでもあると理解できた。


 リュミエルの膝の上には、平民服、助祭服、騎士街用の実用衣装。

 サイファはその中から一つを手に取る。


「……丁度いいですね。外の空気を吸いたかったところです」


 潜入任務の前に緊張はない。

 それは前世で何百回と繰り返してきた日常の作業だった。


「あの、ソルフィーユ様? どちらへ……?」


「少し。確認したいことがあります」


 ソルフィーユの声は、静かで冷たかった。



 太陽が沈みかけた頃、俺は繁華街の中の人混みに紛れていた。繁華街に来る前に、騎士団の訓練場に侵入し、情報を収集し始めた途端、リュミエルの話題が耳に入って来たのだ。


 結論から言うとリュミエルに対して行われた訓練とは名ばかりの私刑だった。

 聖女の専属護衛になって態度が悪くなったとか、その他もろもろ大半はやっかみだが、少し気になった点として、金の話が聞こえた。

 怪我をさせて数日護衛任務から外させ、新たな護衛騎士を充てがう内容だった。


 そして、俺はこいつらから詳しい事情を聞くために、繁華街のとある酒場まで付けてきたのだ。


「アハハ。臨時収入が入ったからパーッと飲もうぜ!」


 賑やかな会話が聞こえる。


 俺はカウンターに座り、マスターにキツい酒をくれと注文するのだが、


「……嬢ちゃんにはまだ早い。これでも飲んでろ」


 出されたの白い液体が入っている。一口飲んでみると、ぬるいミルクだった。

 そうだ、今の俺はサイファではなく、ソルフィーユだった。年齢も十六歳だし、少し酒も早かったか……いや、この国の酒が呑める年齢は十六歳からなので、ソルフィーユは呑めるのだが、見た目の問題だろうか……。


「あの女騎士の足に魔力で強化した棍棒で叩いたらいい音がしたな」


「痛みを堪えて泣いていた顔がゾクゾクしたぜ」


 ソルフィーユになって少し平和ボケしたかな。こうゆうクズが近くにいるのをすっかり忘れていた。

 俺の中でカチリとスイッチの音が聞こえる。


「そこの女の子一人で食事中かい? おれらと一緒に飲まないかい?」


 騎士の一人が声を掛けてくる。

 マスターは面倒事だと判断し、そそくさと離れる。


「……別にいいですけど、高くつきますよ?」


「お? いいね。子供かと思ったけど、女の色気があるじゃねぇか」


 俺は騎士が屯するテーブルに行くと、空いている席に座らせられ、接待をさせられる。

 こいつら取り敢えず酒だけ飲ましておけば後処理が簡単だ。


 酒が入り口が緩くなった騎士団連中は、騎士団トップの陰口や待遇が悪いだのと言いたい放題だった。その中で、やはりリュミエルの話題が出てくる。


「あの女をボコって、銀翼の団長が出てきたらどうすんだ?」


「それは大丈夫だ。最近、銀翼の団長は加齢のせいか、代理の副団長に任せているらしいし、マークインが対応してくれる約束だ」


「それって本当か?」


「マークインは銀翼の副団長とも懇意だし、冤罪をかけるのもマークインなら簡単さ」


「そのマークインさんってどんな方なんですか?」


 俺は始めて会話に割り込んだ。

 恐らく主犯だと思われるが、少しでも情報が欲しい。


「さっきから随分と冷静な嬢ちゃんだな。俺たちが騎士団と知っているなら、普通なら近づかないか、逃げるかななんだが」


 一言も喋らず、酒も飲まない金髪の男がギラリと視線を向ける。

 この男の雰囲気が他の騎士団とは違ったので警戒はしていたが、向こうも警戒していたという理由だった。


 金髪の男が、静かにグラスを傾け、俺の一挙一動を観察している。

 騒いでいる他の騎士とは違う。

 酒場に入った瞬間から、こいつだけは俺の存在に気づいていた。


 真正面から俺を見据えていた理由が、ようやくわかった。


 こいつは群れないタイプだ。

 戦場では厄介な個体。


「……そのマークインって人、騎士団の方ですよね?」


 俺が当たり障りのない表情で尋ねると、茶髪の騎士が鼻息荒く答える。


「違う違う! あの人は戒律院の補佐官様でな。俺たち騎士団とは立場が違うんだ。上級貴族出身で、上に顔が利く。うちら騎士団長だって頭が上がらねぇんだとよ」


「へぇ……権力者なんですね」


「そうそう! しかもうちら金鎖の団長の弱みも握ってるらしくてよ、ちょっとした指示ならなんでも通る。だからあの女騎士だって──」


 笑ってごまかしたが、内心は冷えていく。

 リュミエルを殴り、折り、泣かせた連中が、俺の目の前で酒を飲み散らしている。


 この国がどうだの、政治がどうだの。

 そんなものはどうでもよかった。


 あの少女を泣かせた。

 ただその一点だけで、十分すぎる理由になる。


「へへへ。じゃ、嬢ちゃんも飲めよ。お前みたいな愛想いい子なら、騎士団の宴会に持ってこいだぜ?」


「私、お酒は飲めませんけど……話くらいならできますよ?」


 わざと頬を染めてみせる。

 聖女ソルフィーユが使っていた愛想笑いの記憶が、都合よく役に立つ。


「で、マークインさんってどんな人なんです?」


 俺の問いに、金髪の男の視線が鋭さを帯びた。

 それは“狩人の目”だった。


「嬢ちゃん……何故マークインにこだわる。今まで、こいつらが話た内容は、平民たちにとっても珍しい内容だったのに」


「え? そのマークインさんって人が気になったので、他は割とどうでも……」


「それにしても、女騎士とマークインだけにやたらとお前の魔力……反応していたな。何を知っている?」


 男はグラスをテーブルに置いた。

 静かだが、周囲の空気が一段冷えた。


 魔力基礎の本にも載っていたな。感情で魔力が暴走するって。

 確かに体内で魔力が膨張して暴れている感じがする。

 更に俺はミスをしていた。魔力を見れる人間がいるということを。


「嬢ちゃん、名前は?」


「ソ、……サイファです」


 危なかった。

 癖で本名を言いかけたが、すぐに誤魔化す。


「サイファ……か。変わった名だ。ところで……サイファ、マークインに恨みでもあるのか?」


「え?」


 その瞬間、他の騎士たちはまだ酔って馬鹿騒ぎしているのに、この男だけは別の戦場を見ていた。


 勘が鋭い。強者の匂いがする。


 普通の騎士ではない。

 恐らく、腕の立つ騎士一人だろう。


「マークインの名なんて、普通の平民は興味なんて出ないだろう。で、何を知っていて、何の目的で聞いてる?」


 周りの雑音が遠くなる。

 酒場の空気が、急に研ぎ澄まされた刃に変わる。


 さて、どうするか。


 かわすのは簡単だ。

 逃げることもできる。

 殺すのも──たやすい。


 しかし今必要なのは『情報』だが、これ以上誤魔化しても後手に回る可能性が高い。


 俺は軽く肩をすくめ、あえて無邪気な笑みを作った。


「だって──」


「リュミエルさんをいじめた人たちの名前、知りたいじゃないですか」


 テーブルにいた酔いどれ騎士たちの笑い声が消える。


 金髪の男が、ゆっくりと立ち上がったと同時に、俺はバケットの中に隠してあったナイフで、隣の茶髪の男の喉を切り裂いた。

 


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