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聖女に転生したけど中身は世界最凶の暗殺者でした  作者: じゃむばた
聖女と南ディオール地方編
78/98

新たに得たもの

 約束の日より二日前の早朝、リュミエルはミラーナに呼び出されていた。

 まだ夜の名残が空気に残る時間帯で、瞼は正直に重いく、それでも、旅装束が完成したと聞けば、足は自然と動いた。


 ソルフィーユはいつも通りのルーティンをこなしている。

 側にはガルドとアルステル様もいる。今朝は、自分が離れても問題ない――、そう判断しての単独行動だった。


 夜明け前だというのに、商業地域はすでに目を覚ましている。

 屋台から立ちのぼる湯気と香ばしい匂い。通勤前の職人や行商人たちが、短い朝食を済ませては歩き出していく。


 リュミエルは屋台で買ったラップサンドを片手に、ミラーナの工房へと向かった。


「おはようございます。リュミエルです」


 扉を数度叩く。

 返事はない。


「……?」


 嫌な予感が一瞬よぎる。

 まさか、また誘拐――、そんな考えを振り払うようにドアノブに手をかけると、拍子抜けするほどあっさりと開いた。


「……ミラーナ殿?」


 鍵は、かかっていなかった。


 散らかった工房の中へ足を踏み入れる。

 布や革、工具が雑然と置かれ、いつもの光景だと安心しかけたところで、ソファーの上に人影が見えた。


 毛布に包まり、丸くなって眠るミラーナの姿。


「……」


 思わず溜息が漏れる。


「ミラーナ殿。玄関の鍵もかけずに、これは不用心すぎます。起きてください」


「ん〜……むにゃむにゃ……」


 数秒の沈黙。


「……はっ!? リュミエル!?」


 飛び起きたミラーナが、寝癖のついたままこちらを見る。


「寝ぼけている場合ではありません。はい、朝食です」


 差し出したラップサンドを見て、ミラーナの目が輝いた。


「おおっ、ありがとう! 気がきくね〜! ちょっと待って、今お茶入れるから!」


 下着姿のまま、ぱたぱたとキッチンへ向かう背中を見送りながら、リュミエルは額に手を当てた。


「……だらしない」


 呆れはする。

 だが同時に、腕前に疑いは一切ない。


 ソルフィーユの聖衣を、あれほどまでに仕立て上げた職人だ。

 機能も美しさも、常識の枠を軽々と超えていた。


 自分も、あんな服を着てみたいと思ったことはある。

 だが、年中軽鎧を身に着ける生活では、私服は最低限しか持っていない。今回の旅にも私服は必要ない。


 それでも――、ほんの少し、何か『自分だけのもの』が欲しいとは思っていた。


「おまたせ〜」


 差し出されたカップから、琥珀色の湯気が立ちのぼる。


「ありがとうございます」


 香りを確かめるように一口含む。


「いや〜、深夜まで夢中で作ってたら、そのまま寝落ちしちゃってさ」


「程々にしてください。体を壊しては意味がありません」


「あはは、気をつけるよ。でもね――」


 ミラーナは、にやりと笑った。


「リュミエルの特注装備、ちゃんと完成してる」


「……本当ですか?」


「ほら」


 差し出されたのは、小さな指輪だった。

 細身で、装飾は控えめ。それでいて、どこか見覚えがある。


 ソルフィーユが身に着けている、あの指輪と酷似していた。


「この指、嵌めてみて」


 リュミエルは、わずかに息を整えてから指輪を受け取った。


「ささっ、指に嵌めて魔力を流してみて〜」


 促されるまま、リュミエルは慎重に魔力を流し込んだ。


 次の瞬間――、体をなぞるように、黒と灰のコントラストが美しい軽鎧が展開する。


 黒は完全な漆黒ではなく、わずかに光を返す鈍い質感。

 装飾は過剰ではなく抑えられているが、随所に匠の仕事が宿っているのが分かる。

 関節の可動域、鎧の重心、布と金属の繋ぎ目――、どれもが実戦を想定した造りだった。


 マントや腰布には、場違いなほど繊細な花柄の刺繍。

 それは実用一辺倒になりがちな装備の中で、確かにミラーナの趣味を主張していた。


「……凄い。とても、素敵です」


「でしょ?」


 ミラーナは胸を張る。


「聖女様と一緒に行動する前提で、軽量化の魔縫いも仕込んである。あとね、知り合いの鍛冶師に無理言って、内部構造も特注にしてもらった」


「そんな……」


「まだ驚くのは早いよ〜」


 ミラーナは指を立てて笑う。


「なんと! 魔力伝達力が上級品よ!」


「……え?」


「そこらの魔装備よりはるかに上」


「上級魔装備って……作れるんですか?」


 実際、聖騎士に支給される武具はどれも中級魔装備だが、それでも全身に身を包めばそれだけで他者を圧倒できる。


 様々な職人や錬金術師が魔力伝達の底上げを行ったきたが、上級品は未だに成功したと聞いたことが無かった。


「クックック……私の魔縫いは、常識を縫い直すのが得意なの」


 そう言って、少しだけ声を落とす。


「ちなみに私が試着したらね、出力が凄くて、まともに動けずに転んだ」


 誇らしげなのか、自嘲なのか分からない笑みだった。


 魔装備――

 代表的なのは魔剣に代表される、魔力を流すことで性能を底上げする装備群。

 『纏い』に比べ燃費が良く、魔力量の少ない者でも扱えるため需要は高い。

 同時に、価格も桁外れだが。


「……こんな高価な物、頂いてしまっていいのですか?」


「ん? いいに決まってるでしょ」


 ミラーナはあっけらかんと肩をすくめる。


「ちゃんとお金は貰ってるし。それに――」


 一瞬だけ、職人の顔から軽さが消える。


「聖女様が心配でさ。あの子、危なっかしいじゃん?」


「……」


「聖女なのに、義賊みたいな真似するつもりでしょ? それに付き合わされるリュミエルも、大変だなって」


 少なからず誤解はあったが、リュミエルは否定しなかった。


「私にできることがあれば、協力するよ。困ったら、いつでも来な」


「……ありがとうございます」


 その言葉には余計な飾りを付けなかった。


 少しの間、ミラーナにソルフィーユの愚痴を聞いてもらい、二人分の旅装束を受け取る。

 

 工房を出る頃には、朝の光が商業地区に満ち始めていた。


 ミレニア大聖堂へ戻ると、人気のない中庭でソルフィーユが大の字になって倒れていた。


「ソルフィーユ様!?」


 リュミエルが駆け寄ると、意識はあるものの呼吸は荒く、額には汗が滲んでいる。


「これこれ、リュミエル。特訓の邪魔じゃ、どいておれ」


「……アルステル様?」


 白い髭を蓄えた老人が、杖を片手に悠然と立っていた。

 その姿は相変わらず小柄だが、場の空気そのものを支配している。


「少し離れていなさい」


「は、はい……」


 リュミエルは言われるがまま距離を取る。

 中庭の空気が、わずかに張り詰めた。


 ソルフィーユはゆっくりと身を起こし、右手を掲げる。

 凝縮された魔力が集まり、淡く揺らめく魔力剣が形成された。


「身体強化は使うな。そのまま魔力剣を維持せよ」


 アルステルの言葉が終わるより早く――


 老人の姿が、忽然と消えた。


「――っ!」


 直感が叫び、ソルフィーユは咄嗟に剣を振るう。

 だが、刃は虚を切った。


 次の瞬間、視界の端で影が動く。

 アルステルは既に側面へ回り込み、足元を鋭く払っていた。


 身体が浮く。


「ほい」


 胸元に打ち込まれた掌底。

 鈍い衝撃が内側から爆ぜ、肺の空気が一気に吐き出される。


「ぐえっ」


 情けない音と共に、ソルフィーユの身体が宙を舞い、数メートル先の石畳へと転がった。


「アルステル様! やり過ぎです!」


「聖女自身が望んだことじゃ。黙って見ておれ」


 リュミエルは唇を噛む。

 サイファ――、元暗殺者。

 その技量を間近で見てきた彼女だからこそ分かる。


「……ふう。まだ、いけます」


 息を整えながら、ソルフィーユは立ち上がる。

 魔力剣を再び顕現させ、構えを取った。


 次の瞬間――、二人が同時に踏み込んだ。


 先ほどとは違う。


 速度が上がったのか、それとも間合いを読んだのか。

 理由は分からない。ただ、動きが噛み合い始めている。


 アルステルの一撃を、紙一重で躱す。

 返す刃が、老人の外套をかすめる。


「……ほう」


 アルステルがわずかに目を細める。


「聖女よ、調子に乗るでない。魔力剣に揺らぎがある」


 杖が弾かれ、魔力剣の軌道が逸れる。


「揺らぎは魔力の無駄遣い。切れ味も強度も落ちる。常に心を鎮めよ。波一つ立たぬ水面のごとく、己を研ぎ澄ませるのだ」


 その言葉に、リュミエルの記憶が重なる。


 ――聖騎士たるもの、常に心を鎮めよ。

 ――波一つ立たぬ水面のごとく、己を研ぎ澄ませよ。


 聖騎士の極意。


 アルステルは今、ソルフィーユに――

 いや、サイファにそれを叩き込んでいる。


 一人で守り抜く覚悟。

 極限で頼れるのは己の意志のみ。


 その瞬間、魔力剣の圧が跳ね上がった。

 揺らぎが消え、刃が静まり返る。


「……ふむ」


 アルステルは一歩退き、杖を地面に突いた。


「合格じゃ。その感覚、忘れるでない」


「……ありがとうございます、アルス老」


 力が抜けたように、ソルフィーユはその場に崩れ落ちる。


「久しぶりに……しんどいな……」


 そう呟いたきり、意識を手放した。


 アルステルは静かに視線をリュミエルへ向ける。


「リュミエルや。聖女の進む道は、過去の誰よりも苛烈になる」


 低く、重い声。


「正しさが裏切られても、最後まで側にいてやりなさい。それはお主しかできぬことじゃ」


「……はい」


 リュミエルは、迷いなく答えた。


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