新たに得たもの
約束の日より二日前の早朝、リュミエルはミラーナに呼び出されていた。
まだ夜の名残が空気に残る時間帯で、瞼は正直に重いく、それでも、旅装束が完成したと聞けば、足は自然と動いた。
ソルフィーユはいつも通りのルーティンをこなしている。
側にはガルドとアルステル様もいる。今朝は、自分が離れても問題ない――、そう判断しての単独行動だった。
夜明け前だというのに、商業地域はすでに目を覚ましている。
屋台から立ちのぼる湯気と香ばしい匂い。通勤前の職人や行商人たちが、短い朝食を済ませては歩き出していく。
リュミエルは屋台で買ったラップサンドを片手に、ミラーナの工房へと向かった。
「おはようございます。リュミエルです」
扉を数度叩く。
返事はない。
「……?」
嫌な予感が一瞬よぎる。
まさか、また誘拐――、そんな考えを振り払うようにドアノブに手をかけると、拍子抜けするほどあっさりと開いた。
「……ミラーナ殿?」
鍵は、かかっていなかった。
散らかった工房の中へ足を踏み入れる。
布や革、工具が雑然と置かれ、いつもの光景だと安心しかけたところで、ソファーの上に人影が見えた。
毛布に包まり、丸くなって眠るミラーナの姿。
「……」
思わず溜息が漏れる。
「ミラーナ殿。玄関の鍵もかけずに、これは不用心すぎます。起きてください」
「ん〜……むにゃむにゃ……」
数秒の沈黙。
「……はっ!? リュミエル!?」
飛び起きたミラーナが、寝癖のついたままこちらを見る。
「寝ぼけている場合ではありません。はい、朝食です」
差し出したラップサンドを見て、ミラーナの目が輝いた。
「おおっ、ありがとう! 気がきくね〜! ちょっと待って、今お茶入れるから!」
下着姿のまま、ぱたぱたとキッチンへ向かう背中を見送りながら、リュミエルは額に手を当てた。
「……だらしない」
呆れはする。
だが同時に、腕前に疑いは一切ない。
ソルフィーユの聖衣を、あれほどまでに仕立て上げた職人だ。
機能も美しさも、常識の枠を軽々と超えていた。
自分も、あんな服を着てみたいと思ったことはある。
だが、年中軽鎧を身に着ける生活では、私服は最低限しか持っていない。今回の旅にも私服は必要ない。
それでも――、ほんの少し、何か『自分だけのもの』が欲しいとは思っていた。
「おまたせ〜」
差し出されたカップから、琥珀色の湯気が立ちのぼる。
「ありがとうございます」
香りを確かめるように一口含む。
「いや〜、深夜まで夢中で作ってたら、そのまま寝落ちしちゃってさ」
「程々にしてください。体を壊しては意味がありません」
「あはは、気をつけるよ。でもね――」
ミラーナは、にやりと笑った。
「リュミエルの特注装備、ちゃんと完成してる」
「……本当ですか?」
「ほら」
差し出されたのは、小さな指輪だった。
細身で、装飾は控えめ。それでいて、どこか見覚えがある。
ソルフィーユが身に着けている、あの指輪と酷似していた。
「この指、嵌めてみて」
リュミエルは、わずかに息を整えてから指輪を受け取った。
「ささっ、指に嵌めて魔力を流してみて〜」
促されるまま、リュミエルは慎重に魔力を流し込んだ。
次の瞬間――、体をなぞるように、黒と灰のコントラストが美しい軽鎧が展開する。
黒は完全な漆黒ではなく、わずかに光を返す鈍い質感。
装飾は過剰ではなく抑えられているが、随所に匠の仕事が宿っているのが分かる。
関節の可動域、鎧の重心、布と金属の繋ぎ目――、どれもが実戦を想定した造りだった。
マントや腰布には、場違いなほど繊細な花柄の刺繍。
それは実用一辺倒になりがちな装備の中で、確かにミラーナの趣味を主張していた。
「……凄い。とても、素敵です」
「でしょ?」
ミラーナは胸を張る。
「聖女様と一緒に行動する前提で、軽量化の魔縫いも仕込んである。あとね、知り合いの鍛冶師に無理言って、内部構造も特注にしてもらった」
「そんな……」
「まだ驚くのは早いよ〜」
ミラーナは指を立てて笑う。
「なんと! 魔力伝達力が上級品よ!」
「……え?」
「そこらの魔装備よりはるかに上」
「上級魔装備って……作れるんですか?」
実際、聖騎士に支給される武具はどれも中級魔装備だが、それでも全身に身を包めばそれだけで他者を圧倒できる。
様々な職人や錬金術師が魔力伝達の底上げを行ったきたが、上級品は未だに成功したと聞いたことが無かった。
「クックック……私の魔縫いは、常識を縫い直すのが得意なの」
そう言って、少しだけ声を落とす。
「ちなみに私が試着したらね、出力が凄くて、まともに動けずに転んだ」
誇らしげなのか、自嘲なのか分からない笑みだった。
魔装備――
代表的なのは魔剣に代表される、魔力を流すことで性能を底上げする装備群。
『纏い』に比べ燃費が良く、魔力量の少ない者でも扱えるため需要は高い。
同時に、価格も桁外れだが。
「……こんな高価な物、頂いてしまっていいのですか?」
「ん? いいに決まってるでしょ」
ミラーナはあっけらかんと肩をすくめる。
「ちゃんとお金は貰ってるし。それに――」
一瞬だけ、職人の顔から軽さが消える。
「聖女様が心配でさ。あの子、危なっかしいじゃん?」
「……」
「聖女なのに、義賊みたいな真似するつもりでしょ? それに付き合わされるリュミエルも、大変だなって」
少なからず誤解はあったが、リュミエルは否定しなかった。
「私にできることがあれば、協力するよ。困ったら、いつでも来な」
「……ありがとうございます」
その言葉には余計な飾りを付けなかった。
少しの間、ミラーナにソルフィーユの愚痴を聞いてもらい、二人分の旅装束を受け取る。
工房を出る頃には、朝の光が商業地区に満ち始めていた。
ミレニア大聖堂へ戻ると、人気のない中庭でソルフィーユが大の字になって倒れていた。
「ソルフィーユ様!?」
リュミエルが駆け寄ると、意識はあるものの呼吸は荒く、額には汗が滲んでいる。
「これこれ、リュミエル。特訓の邪魔じゃ、どいておれ」
「……アルステル様?」
白い髭を蓄えた老人が、杖を片手に悠然と立っていた。
その姿は相変わらず小柄だが、場の空気そのものを支配している。
「少し離れていなさい」
「は、はい……」
リュミエルは言われるがまま距離を取る。
中庭の空気が、わずかに張り詰めた。
ソルフィーユはゆっくりと身を起こし、右手を掲げる。
凝縮された魔力が集まり、淡く揺らめく魔力剣が形成された。
「身体強化は使うな。そのまま魔力剣を維持せよ」
アルステルの言葉が終わるより早く――
老人の姿が、忽然と消えた。
「――っ!」
直感が叫び、ソルフィーユは咄嗟に剣を振るう。
だが、刃は虚を切った。
次の瞬間、視界の端で影が動く。
アルステルは既に側面へ回り込み、足元を鋭く払っていた。
身体が浮く。
「ほい」
胸元に打ち込まれた掌底。
鈍い衝撃が内側から爆ぜ、肺の空気が一気に吐き出される。
「ぐえっ」
情けない音と共に、ソルフィーユの身体が宙を舞い、数メートル先の石畳へと転がった。
「アルステル様! やり過ぎです!」
「聖女自身が望んだことじゃ。黙って見ておれ」
リュミエルは唇を噛む。
サイファ――、元暗殺者。
その技量を間近で見てきた彼女だからこそ分かる。
「……ふう。まだ、いけます」
息を整えながら、ソルフィーユは立ち上がる。
魔力剣を再び顕現させ、構えを取った。
次の瞬間――、二人が同時に踏み込んだ。
先ほどとは違う。
速度が上がったのか、それとも間合いを読んだのか。
理由は分からない。ただ、動きが噛み合い始めている。
アルステルの一撃を、紙一重で躱す。
返す刃が、老人の外套をかすめる。
「……ほう」
アルステルがわずかに目を細める。
「聖女よ、調子に乗るでない。魔力剣に揺らぎがある」
杖が弾かれ、魔力剣の軌道が逸れる。
「揺らぎは魔力の無駄遣い。切れ味も強度も落ちる。常に心を鎮めよ。波一つ立たぬ水面のごとく、己を研ぎ澄ませるのだ」
その言葉に、リュミエルの記憶が重なる。
――聖騎士たるもの、常に心を鎮めよ。
――波一つ立たぬ水面のごとく、己を研ぎ澄ませよ。
聖騎士の極意。
アルステルは今、ソルフィーユに――
いや、サイファにそれを叩き込んでいる。
一人で守り抜く覚悟。
極限で頼れるのは己の意志のみ。
その瞬間、魔力剣の圧が跳ね上がった。
揺らぎが消え、刃が静まり返る。
「……ふむ」
アルステルは一歩退き、杖を地面に突いた。
「合格じゃ。その感覚、忘れるでない」
「……ありがとうございます、アルス老」
力が抜けたように、ソルフィーユはその場に崩れ落ちる。
「久しぶりに……しんどいな……」
そう呟いたきり、意識を手放した。
アルステルは静かに視線をリュミエルへ向ける。
「リュミエルや。聖女の進む道は、過去の誰よりも苛烈になる」
低く、重い声。
「正しさが裏切られても、最後まで側にいてやりなさい。それはお主しかできぬことじゃ」
「……はい」
リュミエルは、迷いなく答えた。




