剣鍛冶師 エルヴァン=グリオス
「それと……旅に必要な道具とは別に、武器が欲しいのですが」
私の言葉に、ヨアンがわずかに眉を上げた。
「武器、ですか。ソルフィーユ様ご自身がお使いになるので?」
「ええ。護身用の予備として、一本ほど」
そう言って、私は鞘に収められたナイフを取り出し、静かにテーブルの上へ置いた。
金属が木目に触れる乾いた音。
それはかつて、聖女ソルフィーユの命を奪った刃。
業物だ。切れ味、重量配分、重心の位置。どれを取っても申し分なく、手に吸い付くように馴染む。
だが、わずかに長い。
いま私が使っているこのナイフは、刃長およそ百八十ミリ。体の小さなソルフィーユには、ほんの少しだけ取り回しが悪い。
(……欲しいのは、百三十ミリ前後)
振り抜くよりも、素早く抜き、確実に当てるための長さ。
私は無意識のうちに、その刃を扱う感覚を思い描いていた。
「鋳造より、鍛造の方が良さそうですね。こちらが紹介状です。エルヴァン=グリオスという鍛冶職人に会ってみてください」
「それは助かります」
そうして話がまとまると、旅に必要な道具や保存の利く食料については、すべてグランデル商会で手配してくれることになった。
費用は聖庁持ちだ。
本来なら気にする必要はない。
だが――。
「それは少し高いですね。まとめて頼むのですから、もう少し融通が利くはずです」
リュミエルは懐が痛むわけでもないのに、真剣な顔で値段交渉を始めていた。私はそれを横目に眺めながら、静かに息を吐く。
(……完全に任せた方がいいですね)
彼女のこういうところは、実に頼もしい。
すべての打ち合わせが終わると、私たちはグランデル商会を後にした。
次の目的地は、ミラーナ=クロウニットの工房だ。
「あら、聖女様。いらっしゃい。静黒聖衣に不具合でもあった?」
「いえ、まったくありません。今日は、お礼を申し上げに来ました」
工房に足を踏み入れると、相変わらず室内は物で溢れかえっていた。
布、糸、金具、見慣れない素材。
一歩間違えれば転びそうなほどだが、ミラーナにとってはこれが“整っている”状態なのだろう。
「自動で脱着する機構、申し分ありませんでした」
「それは良かった。私の自信作なのよね」
胸を張るミラーナに、私は素直に頷く。
「本日は別件でお願いがありまして」
「リュミエルの装備でしょ? ヨアンから聞いてる。材料も揃ってるから、あとは寸法を取るだけよ」
「それもありますが……暫く旅に出る予定ですので、長旅に耐えられる外套を作っていただきたいのです」
その言葉に、ミラーナは一瞬だけ目を瞬かせた。
「そっか……暫く会えなくなるのね……」
しくしくと、わざとらしい涙を拭う仕草を見せたかと思うと、次の瞬間には、いつもの調子に戻る。
「最近、魔物が増えてるでしょ? 新種も多くて面白い素材がたくさんあるの。外套に使えそうなのもあるから、二人分、作ればいい?」
「お願いします。費用は聖庁から出ますので」
「はいはい! 交渉は私がやります!」
リュミエルが即座に身を乗り出した。
「任せました」
私は即答する。
金銭の価値に、私はどうにも関心が薄い。
値段が下がるかどうかより、必要なものが必要な形で手に入るかどうか、それだけが重要だった。
その後、リュミエルの採寸を済ませ工房を後にする。
完成までには一週間。
出立には、十分間に合う。
そして最後に向かうのは、ヨアンに紹介された鍛冶師の工房。
ミラーナの工房からほど近い、東門付近。
職人街の一角に、その場所はあった。
「ごめんください。エルヴァン=グリオスという方はいらっしゃいますか?」
店内に足を踏み入れると、ずらりと武器が並んでいた。
剣、短剣、斧、槍。
防具は壁際に申し訳程度に掛けられているだけで、九割は刃物だ。
(……剣鍛冶か)
実戦向け。飾り気はなく、どれも使われる前提で作られている。
「いらっしゃい。何をお求めで?」
奥の部屋から現れたのは、無精髭を伸ばし、眠たげな目をした人族の男だった。鍛冶場の煤が、肌と衣服に染み付いている。
「エルヴァン=グリオスという鍛冶師が、こちらにいると聞きました」
「ふぁ……」
男は欠伸を噛み殺しもせず、頭を掻く。
「その鍛冶師は俺だ。今は注文は受けてねぇ。そこらの武器でも買って帰れ」
一瞥だけ向けられた視線は、貴族の小娘が冷やかしに来た、という評価を隠そうともしていなかった。
そこで、リュミエルが懐から一通の手紙を取り出し、カウンターに置く。
「あん? いくら貴族だろうが、作れねぇもんは作れねぇからな――」
差出人の名を見た瞬間、エルヴァンは顔をしかめ、頭をぼりぼりと掻きむしった。
「……なんだよ。ヨアンの紹介か。だったら、最初からそう言え」
視線が私に戻る。
「で? 何が欲しい。男に剣でも贈るのか?」
「いいえ」
私は一歩前に出て、静かに告げる。
「私に合うナイフを一本作ってほしいのです」
「……お嬢さんが?」
疑念を隠そうともしない声。
私は返事の代わりに、今使っているナイフを鞘ごとカウンターに置いた。
金属が触れ合う鈍い音。
エルヴァンは黙ってそれを手に取り、ゆっくりと鞘から抜いた。
刃を光にかざし、重心を確かめ、親指で刃元をなぞる。
そして、私を睨みつけた。
「……このナイフを、どこで手に入れた」
声音が変わっていた。
「答え次第じゃ、ヨアンの紹介でも仕事は引き受けねぇ」
どうやら、この刃には『いわく』があるらしい。
「……賊が持っていました。返り討ちにして奪ったものです」
エルヴァンは、じっと私を見つめた。
「手のひらを見せろ」
言われるまま手を差し出す。
そこにあるのは、白く、滑らかな掌。
重い物も、水仕事も、刃物も扱ってきた痕跡のない手だ。
「嘘をつくんじゃねぇ」
吐き捨てるように言う。
「そんな手で、このナイフを持った奴を返り討ちにできるわけがねぇ。帰れ、クソガキ」
その瞬間、リュミエルから鋭い殺気が立ち上った。
エルヴァンも反射的に、脇に立て掛けていた剣へ手を伸ばす。
だが――。
柔らかな光が工房を満たした。
「……古傷も消えてしまうようで。タコも消えてしまうのです」
暖かな光。
傷も、痛みも、過去さえも洗い流すような奇跡の輝き。
エルヴァンの動きが止まる。
「……せ……聖女……」
喉が鳴る音が、はっきりと聞こえた。
「聖女ソルフィーユ……様?」
エルヴァンは、はっとしたように顔色を変えたかと思うと、次の瞬間、慌ててカウンターの向こうから身を乗り出した。
そして――
額を、勢いよくカウンターに打ち付ける。
「まだ酒も呑み足りねぇし、女も抱き足りてねぇんだ!頼むから異端審問だけは勘弁してくれ! な! 頼む!」
鈍い音が響く。
「この通りだ! 首だけは、首だけは繋いでくれ!」
あまりに必死な姿に、リュミエルがちらりとこちらを見る。
どうしますか、と無言で問う視線。
私は小さく息を吐いた。
「……誤解を招いたのも、私の言葉足らずです。お気になさらず」
「お、おおっ! 本当か!?」
エルヴァンは顔を上げ、急に生気を取り戻す。
「なんだよ聖女様、最初からそう言ってくれりゃあいいんだ! ナイフなんざ百でも二百でも打ってやるぜ!」
軽口を叩きながら笑うが、背中にはまだ冷や汗が残っている。
リュミエルが再び視線を送ってくる。
本当に任せていいのですか、と。
「……取りあえず」
私はテーブルの上のナイフへと視線を落とした。
「そのナイフについて、詳しく教えていただけますか」
「おう、いいぜ」
エルヴァンは一転して真顔になる。
「こいつはな、『陰』――、そう呼ばれる組織が使ってるナイフだ」
その名を聞き、空気がわずかに冷える。
「量産品だが鋳造じゃねぇ。鍛造だ。殺しに特化した、余計なもんを全部削ぎ落とした刃だな」
やはり、ただの盗賊ではない。
「このナイフはな、『刃』って呼ばれる実行部隊のもんだ」
「……見て、わかるのですか?」
「普通は分からねぇ」
エルヴァンは肩をすくめる。
「だがな、これは――、生き残る使い手を想定してねぇ刃だ」
その言葉は静かで重かった。
「使い捨てってことだ。現に、あと数回使えば折れる」
「……本当ですか?」
私の声に、わずかな疑念が混じる。
「なら、試してみるか?」
エルヴァンは腰に差していた作業用ナイフを抜き、『刃』のナイフに軽く打ち付けた。
金属音。
次の瞬間――
ピシリ、と嫌な音が走る。
刃にい細い亀裂が入っていた。
「な?」
エルヴァンは鼻で笑う。
「とっくに寿命だ。……よくまあ、ここまで折れずに使ってたもんだ」
その視線が、私に向けられる。
「聖女様、あんたの力量は分かった」
彼は腕を組み、口角を上げた。
「特別価格で打ってやる。で、どんなナイフが欲しい?」
それからしばらくの間。
エルヴァンと私は、まるで長年の友人のように刃について語り合った。
重心、刃長、厚み、抜きやすさ。
生き残るための刃ではなく、確実に仕留めるための刃について。
その光景を、リュミエルは少し複雑で、けれど優しい表情で見守っていた。




