様々な思惑と旅の準備
王の間を出た途端、どっと疲労が肩にのしかかった。
あの場の張り詰めた空気よりも、自分の知らないところで巨大な歯車が回り始めている――、その感覚が何よりも神経をすり減らす。
恐らく、レオナール国王、アルヴァス教皇、そしてメルドラ宰相。三人それぞれの思惑が、すでに動き出している。
だが、それがどんな理由で、どんな目的を持っているのかは見えない。
本当に聖女の安全を最優先に考えるのであれば、王国内とはいえ自由な移動許可が下りるはずがない。
「ソルフィーユ様、だいぶお疲れのようですね」
私の表情を読み取ったのか、リュミエルが心配そうに声をかけてきた。
「聖女としての本分を思い出せば、仕方のないことです。それより、三大奇跡を使えと言われなかっただけ、まだ良かったのでしょう」
「私も……いつ命じられるのかと、内心ひやひやしていました」
三大奇跡は、基本的に聖女の命を代償として行われるものだ。
今の私には理解できる。
あれは神力の消耗が激しすぎて、結果として命を差し出す形になる。
それを求められず、ただ国内を見て回れと言われただけで終わり、それが、監獄塔でネハル神官に告げられた言葉と重なるのも、少し引っかかる。
「とはいえ、王国内を自由に移動できるのは、私にとっても都合がいいですね。これで、南ディオール地方へ行けます」
「南ディオール地方に、何かご用事があるのですか?」
「ええ。リュミエルの生まれ故郷に行こうかと」
「えええっ!?」
「以前、言いましたよね。リュミエルの故郷に行ってみたいと」
「た、確かに……そんなことを仰っていたような気もしますが……何もないところですし、家族も、その……少し変わっていて……」
「観光だと思って、気軽に行きましょう」
私は微笑んで続ける。
「各地の教会を巡って仕事もしておけば、上から余計な口出しをされることもないでしょう」
あの場所で言い渡された内容を要約すると、こうだ。
地方教会と聖職者の視察。
神力および奇跡の行使状況の記録。
過去の聖女に関する地方伝承の調査。
異変地域での巡回と抑止。
有力領主への表敬訪問。
要するに――、遊んでいないで、きちんと仕事をしろ、ということだ。
そして、最初の行き先を南ディオール地方に定めた理由は単純だった。
季節は冬に入り、南の方が幾分か気温が高い。
そして、あの魔族の女が語った言葉――。
旅をするなら、まずは南から回るのが無難だと判断したのだ。
加えて、リュミエルの実家も南ディオールに領地を持つ。
彼女の両親は領主であり、表敬の挨拶は避けて通れない。
そう考えれば、これ以上ない好機でもあった。
「わかりました。私も関係各所へ連絡を入れ、旅支度を整えますね」
「旅支度なら、グランデル商会へ行きましょう。最近は冒険者向けの装備や道具を多く扱っていると聞いています。私も、少し興味がありますし」
「かしこまりました。後ほど、グランデル商会へ向かいましょう」
リュミエルが聖騎士会と銀翼の騎士団へ向かっている間、私は大聖堂内の図書室へ足を運んだ。
借りていた書物を返却するためだ。
そして、夜の図書室での出来事は伏せるにしても、トワレ司書長ならアレを知っている可能性がある。
「ノワレ司書長。こちらの本をお返しに来ました」
「ありがとうございます。お役に立ちましたか?」
「はい。とても参考になりました。ところで……図書室で、何か変わったことはありませんでしたか?」
「変わったこと、ですか?」
ノワレ司書長は少し考え込み、やがて思い出したように顔を上げる。
「ああ、そういえば……影の執筆者。聖女様が仰っていた“謎の事件簿”ですが、何者かに改竄された痕跡が見つかった後、更新が止まっているようです」
「止まっている、ですか。期間は?」
「およそ三カ月ほどです。これほど長く更新が途絶えたのは、初めてですね」
やはり、あの奇妙な内容は改竄された後のものだったらしい。
そして、思い返せば――
その更新が止まった時期は、私が監獄塔へ赴き、戻ってくるまでの期間と重なっている。
影の執筆者の身に、何かが起きた可能性は高い。
だが、その正体はいまだ不明であり、こちらから接触する手段があるのかどうかも分からない。
現状は何か進展があるまで待つしかない。
その後、トワレ司書長としばし世間話を交わし、暫く大聖都ミレニアを離れる予定があることも伝えた。
「お土産、買ってきますね」
「お気遣いありがとうございます」
挨拶を済ませ、図書室を後にする。
約束の時間になり、変装を整えて乗合馬車の停留所へ向かうと、すでにリュミエルが待っていた。
「お待たせしました」
「いえ、私も今来たところです。少しお話がありますので、馬車の中へ入りましょう」
幌馬車に乗り込み、簡素なシートに腰を下ろす。
「お話、とは?」
「はい。ソルフィーユ様の国内外遊についてですが……護衛として、聖騎士を三名新たに追加する案が浮上していまして」
「聖騎士を、三名ですか」
「はい。その三名は、メルドラ宰相の推薦した人物とのことで、私も詳しい素性は把握できていません」
「案、ということは……まだ確定ではないのですね?」
「はい。聖女様と相談の上で決めたい、と伝えてあります」
「よくできました、リュミエル」
なし崩しに、素性の知れない聖騎士を護衛と称して組み込まれれば、人気のない森の中で本性を現される可能性もある。
もちろん、サイファとして返り討ちにするつもりはある。
だが、そんな面倒な事態は、そもそも起こさせない方がいい。
「それについても、グランデル商会で聞いてみましょう」
「あ、なるほど。グランデル商会は、国内外で輸送業も手掛けていますからね」
「ええ。自社製品や素材を盗賊や魔物から守るため、人を雇っているはずです。ヨアンなら、信用できる人材を紹介してくれると思いませんか?」
「はい!」
メルドラ宰相の思惑を、ひとまず出鼻で挫く形になるだろう。
そう判断し、私はリュミエルと共にグランデル商会の門を叩いた。
「ヨアン、いますか?」
「あっ! いい人のお姉ちゃん!」
「プッ」
背後でリュミエルが吹き出したが、今は無視する。
「ライム。ヨアンはいますか?」
「奥でお客さんとお話してるよ」
「商談中ですか。それなら、またの機会にしましょう」
「大丈夫だと思うよ? ついてきて」
「あ、ちょっと――」
そう言う間もなく、ライムに手を引かれ、商店の奥にある商談室へと連れて行かれる。
「お父さん、いい人のお姉ちゃん来たよ」
ヨアンは一瞬、誰だという顔をしたが、すぐに変装した私だと気づいたようだった。
「え……ソルフィーユ様? わざわざ足を運んでいただかなくとも、私がご案内しましたのに……」
「いえ、ライムが案内してくれると言い出したので、つい」
室内に視線を巡らせると、ソファに腰掛けた見知った人物が、こちらを見て穏やかに笑っていた。
「よお、聖女様。今日は人助けじゃなくて、お忍びかい?」
「……ライナーさん?」
そこにいたのは、ライナー=ヴォルクだった。
「敬称は要らない。ライナーでいい。仲間同士、その方が気が楽だろ?」
冒険者という生き方のせいだろうか。
確かに私も、さまざまな肩書きや呼び名で呼ばれるより、素直に名前を呼ばれる方が気楽だ。
「それなら、私もソルフィーユで構いません。一緒にライムを救った仲間ですし」
「ははっ。不敬罪で、異端審問官に首を刎ねられそうだ」
冗談めかした口調に、場の空気が和らぐ。
「ライナー君は、ヨアン殿と仕事の話だったのですか?」
そう問いかけると、リュミエルが一歩引いて様子を窺った。
「どうします、ソルフィーユ様」
「俺は構わないよ。ヨアンと話してくれ。俺は外で待ってるから」
リュミエルが判断を仰ぐと、ライナーは気を使ってか、席を立ち上がる。
――いい機会だ。
月下の牙にも、きちんと話を聞いてもらうとしよう。




