王の間
翌日、大聖堂ミレニアにヨアンとライムがやって来た。
応接間へ通し、改めて話を聞くことにする。
「ソルフィーユ様! ライムを助けてくださり、本当にありがとうございます!」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
ヨアンは大理石のテーブルに額を当て、深く頭を下げた。
「どうか、顔を上げてください。ライムを助けたのは、そこのリュミエルと月下の牙の皆さんです。お礼は、彼らにお願いいたします」
「それがですね……」
ヨアンは、どこか申し訳なさそうに事情を語り始めた。
月下の牙には礼として金銭や冒険者用の装備を差し出したが、すべて断られてしまったという。
理由は単純だった。
世話になっている人の子供を救っただけで、金のために助けに行ったわけではない、と。
その話を聞き、私とリュミエルも同様に、丁重に礼を辞退する。
「お気持ちだけで、十分です」
「そんな……このままでは、返しきれない恩を抱えたままになってしまいます。それでは、いずれ恩に潰れてしまいそうです……」
「大げさですよ」
私は穏やかに微笑んだ。
「これからも、グランデル商会には贔屓にします。今まで通りで、何も変える必要はありません」
終始、何度も頭を下げるヨアン。
その隣で、ライムが小さな手で父の手を握っている。
その姿は、とても自然で――、良い親子に見えた。
「……子供って、いいですよね」
ヨアン親子を見送った後、ポツリと言葉が溢れた。
「……!?」
リュミエルが、思わずという様子でこちらを見る。
「どうして、そこまで驚くんですか?」
「いえ……今まで、そういうことを仰らなかったので。てっきり、子供はお好きではないのかと」
「好きか嫌いかで言えば、普通です」
少し考えてから、言葉を選ぶ。
「ただ……ライムを見ていたら、子供が欲しい、と思いました」
リュミエルの表情が、わずかに揺れた。
「ですが、私はサイファであり、ソルフィーユです。彼女の身体を借りて、他人と恋愛や結婚をするつもりはありません」
静かに、言い切る。
「つまり――、子供を持つことは、望めないでしょう」
それでも、ソルフィーユの“やりたいことリスト”には、確かに存在していた。
――幸せな家庭を築きたい。
孤児だった彼女は、家族の温もりを、ずっと求めていたのかもしれない。
その後、私はリュミエルと共に温室へ足を運んだ。
冬が近づくにつれて、この温室は本来の価値を発揮する。
「暖かいですね〜。ここに引き籠っていたいです」
「気持ちはわかります。暖かく、楽しい空間ですから」
そう言いながら、私は一株の草を抜き取った。
ノワレ司書長から借りた植物事典によれば、このヤドレの草は、根に毒を持つ。
服用すれば吐き気や目眩を引き起こすが、傷口に塗布すれば殺菌に加え、止血の効果もある。
「……また毒薬を作ろうとしてますよね。ソルフィーユ様の“楽しい”は、正直理解できません」
「これは探究心というものです」
私は平然と答える。
「未知の成分が身体にどう影響するのか。それを実際に確かめ、役立てられるなら、世の中への貢献にもなります」
「……」
リュミエルは、言いたいことを飲み込んだような目で私を見つめた。
だが、この世界の薬草や毒草は、いまだ未知の領域が多く、植物事典を眺める限り、世に出回っている情報は一割にも満たないだろう。
猛毒もあれば、特効薬になり得る根や葉もあるはずだ。
もっとも――、精密な器具など存在しないこの世界では、実際に体内へ取り入れ、体感で判断するしかないのだが。
そんなことを考えていると、温室の扉が静かに開いた。
文官の装いをした男が、一礼して中へ入ってくる。
「聖女ソルフィーユ様。国王陛下より、お手紙をお預かりして参りました」
その言葉に、胸の奥がざわついた。
「ご苦労さまです」
リュミエルが、男から手紙を受け取る。
「……中身は、確認した方がよさそうですね」
「ええ。見ないわけにはいかないでしょう」
高価な質感の紙。
蝋印には、聖王国ディオール王家の紋章。
ペーパーナイフで封を切る。
簡潔に書かれていた内容は、一行。
――王城へ来い。
いわゆる、召喚命令だった。
ソルフィーユは落ち着いた柄の聖衣に身を包み、リュミエルは聖騎士の礼服仕様に着替えた。
「教皇にお会いするときは、その礼服ではありませんでしたね」
「はい。聖レイディア教の礼服と、王城で着用する礼服は別物です。特に国王陛下は品格を重んじるお方で、正装でなければ王の間のカーペットすら踏ませていただけません」
「私の聖衣は問題ありませんか?」
「ええ。何の問題もありません。とてもお似合いですよ」
この聖衣も、かつての聖女が着用していたものだ。
今回は正装用として、大聖堂から借り受けている。
王城へと足を踏み入れ、案内された大きな扉の前に立つ。
扉が開かれると、左右には家臣と思しき貴族たちが整然と並び、その奥、玉座の前に国王と教皇の姿があった。
カーペットの上を歩くと、貴族たちが小声で「神力と魔力――」、「異端なのでは?」、「神託の聖女――」などが微かに聞こえる。
その雑音の中でも視線を逸らさず、ソルフィーユを射抜く視線がある。
その光景に、ソルフィーユの記憶が呼び起こされる。
数々の戦争を勝利へ導き、魔族との戦いでも名を馳せた王。
だが、聖レイディア信仰には深く傾倒しておらず、信仰も聖女も「使える道具」として見ている――そんな印象を受けていた。
一定の距離までカーペットを進んだところで、鋭い眼光の男が一声を放つ。
「そこまでだ」
私とリュミエルは足を止め、膝をついて頭を垂れた。
「聖女ソルフィーユよ。久しいな。面を上げ、楽にせよ」
言葉に従い立ち上がり、国王を正面から見る。
レオナール=ディオール=アルケイン。
記憶の中の姿より、わずかに老いたように見える。
最後に会ったのは、聖女任命式の場だった。
あれから六年余りが経っている。
「本日、お前を呼んだのには理由がある」
私は口を開かず、ただ言葉を待つ。
「先の監獄塔については、すでに報告を受けている」
一拍の間を置いて、国王は続けた。
「国内外から、我が国を陥れようとする動きがある。帝国、商業国家連合、獣人王国……名を挙げればきりがない」
玉座に座したまま、王は淡々と語る。
「聖女という抑止力がある以上、表立った行動は控えるだろう。だが、問題はそこではない」
視線が、私に向けられる。
「あの日以降、世界各地で異変が起きている。その事実を、お前は知っているか?」
「はい。存じております」
魔物の異常発生。
すでに王国全土に影響が及び始めている。
「原因は不明だ。だが、アルヴァスより提案があった」
王は教皇の方へと視線を移した。
「お主を大聖都の外へ出し、各地を巡らせ、調査をさせるべきだと」
「それについては、私からご説明いたします」
一歩前へ進み出たのは、アルヴァス=イル=レイディア教皇だった。
「神託の書に記された、聖女――、その者を聖女ソルフィーユと断定いたします」
その一言で、王の間にざわめきが走った。
左右に並ぶ貴族たちが、互いに視線を交わし、囁き合う。
「静粛に!」
鋭い声が空気を切り裂く。
「……アルヴァス教皇。軽々しく口にしてよい言葉ではあるまい」
声を発したのは、鋭い目つきの男だった。
宰相、メルドラ。
この国において実質的に三本の指に入る権力者。
そして――、聖女ソルフィーユの命を奪う命令を下した張本人。
「メルドラ宰相も信じ難いでしょう。ですが、『儀式』の発動が観測されました」
王の間が、さらにざわつく。
(――儀式?)
特段の異変は感じなかった。
思い当たることがあるとすれば、儀式と言い、ネハル神官をウィッピングで叩いた、あの一件くらいだが……。
「アルヴァスよ」
玉座から、低く響く声が落ちてくる。
「それは、真か」
レオナール国王の声には、感情の揺れはない。
ただ、事実のみを求める声音だった。
「ええ。女神レイディア様に誓って」
一瞬の沈黙。
「……あの儀式は、百年前に予言されたものだ」
国王は静かに言葉を続ける。
「それが発動したというのならば、アルヴァスの言う通り、大聖都に留め置く理由はない」
視線が、私に向けられる。
「大聖都を出て、各地を巡り、この異変の正体を確かめるがよい」
「しかし、陛下」
メルドラが一歩前へ出る。
「聖女が大聖都を離れれば、他国に渡る危険も――」
「それはありません」
その言葉を遮ったのは、アルヴァスだった。
「聖女が他国へ渡る未来は、神託には存在しません。メルドラ宰相――運命は、すでに動き出しているのですよ」
その断言に、メルドラの表情が強張る。
拳を握りしめ、わずかに震えているのが分かった。
(……状況が読めないな)
神託。
儀式。
真なる聖女。
(神託の書について、改めて調べる必要があるな)
その後、幾つかの応酬があったが、最終的にはレオナール国王の一言で場は収められた。
「聖女ソルフィーユ。お前には、聖王国各地への自由な移動を許可する」
それは、命令であり、同時に解放でもあった。




