一騎打ちの行方
リュミエルは、再び剣先をタイガー=ブラッドファングへと向けた。
呼吸を整える。
余計な力を抜き、意識を一点へと収束させる。
『聖騎士たるもの、常に心を鎮めよ。波一つ立たぬ水面のごとく、己を研ぎ澄ませるのだ』
かつて、尊敬する人物から受けた教えが脳裏に浮かぶ。
『その誓いと覚悟、確かに受け取りました。聖騎士リュミエル。私がその使命を終える時まで、どうか私を護ってください――』
聖女ソルフィーユとの誓い。
逃げないという覚悟。
リュミエルは、『器』の魔力を全身に巡らせた。
荒れも、濁りもない。流れは一定で、乱れはなく、血液のように静かに循環していく。
外から見れば、魔力は感じ取れない。
だが――、タイガーの目と鼻には、その流れがはっきりと映っていた。
「……ほう」
低く、感心したように唸る。
「『聖騎士の極意』か」
次の瞬間。
リュミエルの瞳が、鋭く輝いた。
一歩、踏み込む。
空気の抵抗すら置き去りにする一閃。
常人では目で追うことすら不可能な速度。
タイガーの瞳孔が、わずかに収縮する。
時間が引き延ばされ、音が遅れて届き、空気の歪みが視界を揺らす。
――速い。
タイガーは紙一重でかわし、反射的にカウンターへ移ろうとする。
だが、剣の軌道が途中で変わった。
首元へ迫る刃。
体を捻って回避。
次の瞬間、剣は引かれ――即座に、正確な突き。
掌で逸らす。
同時に、爪をリュミエルの胸元へ。
だが、その位置にはすでにシールドが置かれていた。
シールドが爪を弾く。
「――チッ」
間合いが、噛み合わない。
(……急に、動きが読めなくなった)
タイガーは眉をひそめる。
今までは違った。
目で追えた。
匂いで先が読めた。
だが、今の聖騎士は違う。
攻撃はすべて嫌なところへ来る。
踏み込み脚。
手首。
体勢が崩れる寸前。
カウンターを打てば、そこに防御がある。
狙っている。
殺しに来ていない。
――止めに来ている。
「……面白ぇな」
タイガーの口元から、笑みが消えた。
獣としてではない。
戦士として、目の前の相手を見る。
「聖騎士……お前、俺を“制御”しようとしてやがるな」
リュミエルは答えない。
剣を構え、ただ立つ。
隙はない。
だが、それ以上に――、折れる気配が、どこにもなかった。
「……ふう」
タイガーが、深く息を吐いた。
「なら、俺も少しは本気を出さねぇと、失礼ってやつだな」
次の瞬間。
虎の体毛が逆立ち、空気が震える。
魔力が、筋肉そのものになったかのように全身を覆い尽くす。
その圧が、リュミエルの皮膚を直接刺した。
圧倒的な魔力量。
だが――、リュミエルは揺れない。
恐怖も、迷いも、すでに置いてきた。
ここで止める。
それだけだ。
銀翼の騎士団。
獣王傭兵団。
囚人、傭兵。
総勢二千を超える視線が、二人に集まる。
次で決まる。
誰もが、そう悟っていた。
――同時。
風が裂け、二人はすり抜ける。
遅れてリュミエルの左腕が肩から消えた。
血が噴き、体が傾き、そのまま地面へと崩れ落ちる。
「リュミエル!」
アーセナルの叫びが、戦場を切り裂く。
「やったぞ! お頭の勝ちだ!」
傭兵たちが吠える。
武器を構え、銀翼の騎士団へと詰め寄る。
この先に待つのは、一方的な虐殺だ。
「防御陣形!」
ガイアスの怒号。
「円陣を組め! 一秒でも、耐えるんだ!」
盾が重なり、円を描く。
だが、全滅は時間の問題だった。
――その時。
「お前ら」
低く、だが戦場全体を震わせる声。
「引き上げるぞ」
タイガーの一声で、空気が凍る。
「はぁ!? なんでだよ、お頭!」
傭兵の一人が叫ぶ。
「賭けは、聖騎士の勝ちだ」
タイガーは、そう言い切った。
「約束通り、命は助けてやる」
その胸元に、薄く、しかし確かな傷が走っている。
あの一瞬。
リュミエルは、自身を顧みず、一矢報いたのだ。
「それにな……」
タイガーは、ゆっくりと丘の方へ視線を向ける。
「このままだと、俺たちが――、全滅だ」
「……は?」
傭兵たちも、つられて振り返る。
丘の上。
そこにあったのは、風に翻る――、無数の旗。
規律正しく並ぶ陣列。
重装歩兵。
騎兵。
軍旗。
正規軍。
聖王国ディオールの国旗が朝の光を受け、はっきりと掲げられていた。
「……チッ」
タイガーが歯を鳴らす。
「やっぱり来やがったか。老いぼれ騎士団長……」
その呟きは、戦場に立つ誰よりも、重かった。
「ベルク、撤退だ! 号令を出せ!」
ベルクは上空に飛ぶ鳥獣人に合図を送ると、鳥獣人は色のついた煙玉を落としていく。
すると、監獄塔にいた傭兵団たちはぞろぞろと北へと移動を開始していく。
「これからの時代、楽しくなるぜ!」
ベルクの乗るグリフォンにタイガーは跨ると、上空へと飛び、遥か北へと飛んでいった。
▽
リュミエルとタイガーが一騎打ちが始まった直後、聖王国ディオールの正規軍が到着し、銀翼の騎士団が陣を敷いた場所に布陣していた。
丘の上から見下ろせば、戦況は一目で理解できた。
監獄塔は陥落。
銀翼の騎士団は包囲され、崩壊寸前。
このままでは、全滅。
「寄せ集めの軍じゃが……どうやら、間に合ったようじゃのう」
白い髭を撫でながら、アルステル=ヴァン=グレイブは、ほっと息を吐く。
状況は最悪だ。
だが――覆せないほどではない。
「銀翼の騎士団へ向かって、全軍前進じゃ」
静かな命令。
「後は勝手に、敵は逃げるじゃろうて」
低く、重い笛の音が戦場に響く。
続いて太鼓が鳴り、正規軍の部隊が規律正しく展開を始めた。
重装歩兵。
騎兵。
軍旗。
――戦争の音だ。
その直後、空に三色の煙が上がる。
それを見た傭兵たちは、迷いなく撤退を開始した。
すでに勝負は、決していたのだ。
「団長! これは一体……!」
アルステルが銀翼の騎士団のもとへ馬を進めると、ガイアスが驚愕の表情で駆け寄ってくる。
「ワシはワシの仕事をしたまでじゃ」
淡々と答え、続ける。
「して、被害状況はどうなっておる」
「死者十五名。負傷者百五十一名。そのうち、重傷者は二名です」
「……そうか」
アルステルは小さく頷いた。
「随分と被害を抑えたの。良くやった」
視線を巡らせる。
「リュミエルとゼルファードはどうした? 姿が見えんが」
人垣が割れ、二人の騎士が担架の上に横たわっているのが見えた。
アーセナルが必死に治癒魔法を施しているが、傷は深く、出血が止まらない。
「……二人は、タイガー=ブラッドファングとの戦いで重傷を負いました。このままでは――」
アルステルは言葉を遮るように、空を見上げた。
先ほどまで晴天だったが。急に雲が渦巻き、曇天の空が、異様な重さを帯びている。
「……監獄塔で、何かが起きたようじゃな」
静かな声。
「ワシが、聖女を連れてくる」
その一言で、空気が変わる。
「その二人を、決して死なせてはならぬ。よいな」
「「ハッ!」」
アルステルは馬腹を蹴り、崩壊した監獄塔へと駆け出した。
アルステルは地下への階段を下りた瞬間、足を止めた。そこには無数の亡骸が、折り重なるように転がっていた。
原形を留めぬほど損壊した死体。
焼け焦げた遺体。
四肢を失い、血と臓物に塗れた骸。
衣服や装備の残骸から、それらの多くが傭兵であることは一目で分かる。
だが、戦場特有の匂いとは、どこか違う。
鼻を突くのは死臭だけではない。空気そのものに、粘つくような違和感があった。
――神力の残滓。
しかも、ただの神力ではない。
歪み、混ざり、濁ったものだ。
「……これは」
アルステルは眉をひそめる。
「何かの“儀式”を行ったか」
視線を巡らせる。
傷の付き方は確かに戦闘のそれに見える。
だが、ここまで一方的で、ここまで徹底した破壊は、人の殺意だけでは説明がつかない。
そして何より――、地下の奥から、はっきりとした“流れ”を感じる。
神力が、下から上へと昇っている。
まるで、何かが目覚め、呼吸を始めたかのように。
「……聖女は、無事なのか」
三大儀式を執り行った聖女は、例外なく命を落としてきた。
アルステルは長い人生の中で、何人もの聖女を見送ってきた。
奇跡を起こし、その代償として消えていった者たちを。
そして、監獄塔に送られた聖女が、無事であった例はない。
ここに連れて来られた以上、何かしらの儀式を“強いられた”と考えるのが自然だった。
さらに下へ。
やがて、亡骸の山の中から、剣先をこちらへ向ける影が現れる。
「生存者か。よくもまぁ、この状況で生き延びたものじゃの」
「……アルステル=ヴァン=グレイブ? 何故、あなたがここに」
「話は後じゃ。聖女ソルフィーユは、どこにおる」
「恐らく、最下層だ。生きているかは……分からん。それより、傭兵どもはどうした」
「全て撤退した。今は正規軍が、生存者の手当をしておる」
アルステルは一拍置いて続ける。
「お前さんも、仲間を連れて地上へ戻れ。ここは、もう“人の居場所”ではない」
エルディオの背後には、疲弊しきりながらも、確かに生きている異端審問官が二人いた。
アルステルは彼らを一瞥し、何も言わず、さらに下へと足を進める。
最下層。
「おやおや……これはこれは。随分と、懐かしいお顔がいらっしゃいましたね」
柔らかく、だが底知れぬ声。
ネハル=ロスティア拷問神官。
その隣には、聖女ソルフィーユが立っていた。
「え……? アルス老?」
「久しいの聖女よ。無事で何よりじゃ」
ソルフィーユは、甲冑を纏った老人を見つめ、目を見開く。何故、この人がここに――。
「ネハル。いったい、何をした」
低く抑えた声。
「今は急を要する。聖女が無事なら、すぐに地上へ連れて帰る」
「ええ、構いませんよ」
ネハルは、どこか満足げに微笑んだ。
「私の“目的”は、すでに達成されましたから」
その言葉に、アルステルは一瞬だけ目を細める。
「……聖女よ」
向き直り、静かに告げる。
「お主の聖騎士が、今にも死にそうじゃ。すぐに、地上へ来てくれぬか」
「リュミエルが……来ているのですか?」
「左様。傭兵団の動きを察知してな。騎士団を動かした」
一呼吸。
「結果として、今は瀕死じゃ」
その瞬間。
ソルフィーユの中で何かが切れた。
魔力を隠すことなく、身体強化を展開。
空気が震え、足元の血溜まりが跳ねる。
彼女は一気に地上へと駆け出した。
道中、異端審問官の姿が視界に入る。
だが、もう構わない。
(待っていろ……! リュミエル!)
その背後。
地下深くで、目に見えぬ“門”が、
確かに開き始めていた。




