表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
64/67

一騎打ちの行方

 リュミエルは、再び剣先をタイガー=ブラッドファングへと向けた。


 呼吸を整える。

 余計な力を抜き、意識を一点へと収束させる。


『聖騎士たるもの、常に心を鎮めよ。波一つ立たぬ水面のごとく、己を研ぎ澄ませるのだ』


 かつて、尊敬する人物から受けた教えが脳裏に浮かぶ。


『その誓いと覚悟、確かに受け取りました。聖騎士リュミエル。私がその使命を終える時まで、どうか私を護ってください――』


 聖女ソルフィーユとの誓い。

 逃げないという覚悟。


 リュミエルは、『器』の魔力を全身に巡らせた。


 荒れも、濁りもない。流れは一定で、乱れはなく、血液のように静かに循環していく。


 外から見れば、魔力は感じ取れない。

 だが――、タイガーの目と鼻には、その流れがはっきりと映っていた。


「……ほう」


 低く、感心したように唸る。


「『聖騎士の極意』か」


 次の瞬間。

 リュミエルの瞳が、鋭く輝いた。


 一歩、踏み込む。


 空気の抵抗すら置き去りにする一閃。

 常人では目で追うことすら不可能な速度。


 タイガーの瞳孔が、わずかに収縮する。


 時間が引き延ばされ、音が遅れて届き、空気の歪みが視界を揺らす。


 ――速い。


 タイガーは紙一重でかわし、反射的にカウンターへ移ろうとする。


 だが、剣の軌道が途中で変わった。


 首元へ迫る刃。


 体を捻って回避。

 次の瞬間、剣は引かれ――即座に、正確な突き。


 掌で逸らす。

 同時に、爪をリュミエルの胸元へ。


 だが、その位置にはすでにシールドが置かれていた。


 シールドが爪を弾く。


「――チッ」


 間合いが、噛み合わない。


(……急に、動きが読めなくなった)


 タイガーは眉をひそめる。


 今までは違った。

 目で追えた。

 匂いで先が読めた。


 だが、今の聖騎士は違う。


 攻撃はすべて嫌なところへ来る。

 踏み込み脚。

 手首。

 体勢が崩れる寸前。


 カウンターを打てば、そこに防御がある。


 狙っている。

 殺しに来ていない。


 ――止めに来ている。


「……面白ぇな」


 タイガーの口元から、笑みが消えた。


 獣としてではない。

 戦士として、目の前の相手を見る。


「聖騎士……お前、俺を“制御”しようとしてやがるな」


 リュミエルは答えない。


 剣を構え、ただ立つ。


 隙はない。

 だが、それ以上に――、折れる気配が、どこにもなかった。


「……ふう」


 タイガーが、深く息を吐いた。


「なら、俺も少しは本気を出さねぇと、失礼ってやつだな」


 次の瞬間。


 虎の体毛が逆立ち、空気が震える。

 魔力が、筋肉そのものになったかのように全身を覆い尽くす。


 その圧が、リュミエルの皮膚を直接刺した。


 圧倒的な魔力量。

 

 だが――、リュミエルは揺れない。


 恐怖も、迷いも、すでに置いてきた。


 ここで止める。

 それだけだ。


 銀翼の騎士団。

 獣王傭兵団。

 囚人、傭兵。


 総勢二千を超える視線が、二人に集まる。


 次で決まる。

 誰もが、そう悟っていた。


 ――同時。


 風が裂け、二人はすり抜ける。

 

 遅れてリュミエルの左腕が肩から消えた。


 血が噴き、体が傾き、そのまま地面へと崩れ落ちる。


「リュミエル!」


 アーセナルの叫びが、戦場を切り裂く。


「やったぞ! お頭の勝ちだ!」


 傭兵たちが吠える。


 武器を構え、銀翼の騎士団へと詰め寄る。


 この先に待つのは、一方的な虐殺だ。


「防御陣形!」


 ガイアスの怒号。


「円陣を組め! 一秒でも、耐えるんだ!」


 盾が重なり、円を描く。

 だが、全滅は時間の問題だった。


 ――その時。


「お前ら」


 低く、だが戦場全体を震わせる声。


「引き上げるぞ」


 タイガーの一声で、空気が凍る。


「はぁ!? なんでだよ、お頭!」


 傭兵の一人が叫ぶ。


「賭けは、聖騎士の勝ちだ」


 タイガーは、そう言い切った。


「約束通り、命は助けてやる」


 その胸元に、薄く、しかし確かな傷が走っている。


 あの一瞬。

 リュミエルは、自身を顧みず、一矢報いたのだ。


「それにな……」


 タイガーは、ゆっくりと丘の方へ視線を向ける。


「このままだと、俺たちが――、全滅だ」


「……は?」


 傭兵たちも、つられて振り返る。


 丘の上。


 そこにあったのは、風に翻る――、無数の旗。


 規律正しく並ぶ陣列。

 重装歩兵。

 騎兵。

 軍旗。


 正規軍。


 聖王国ディオールの国旗が朝の光を受け、はっきりと掲げられていた。


「……チッ」


 タイガーが歯を鳴らす。


「やっぱり来やがったか。老いぼれ騎士団長……」


 その呟きは、戦場に立つ誰よりも、重かった。


「ベルク、撤退だ! 号令を出せ!」


 ベルクは上空に飛ぶ鳥獣人に合図を送ると、鳥獣人は色のついた煙玉を落としていく。

 すると、監獄塔にいた傭兵団たちはぞろぞろと北へと移動を開始していく。


「これからの時代、楽しくなるぜ!」


 ベルクの乗るグリフォンにタイガーは跨ると、上空へと飛び、遥か北へと飛んでいった。


 ▽


 リュミエルとタイガーが一騎打ちが始まった直後、聖王国ディオールの正規軍が到着し、銀翼の騎士団が陣を敷いた場所に布陣していた。


 丘の上から見下ろせば、戦況は一目で理解できた。


 監獄塔は陥落。

 銀翼の騎士団は包囲され、崩壊寸前。


 このままでは、全滅。


「寄せ集めの軍じゃが……どうやら、間に合ったようじゃのう」


 白い髭を撫でながら、アルステル=ヴァン=グレイブは、ほっと息を吐く。


 状況は最悪だ。

 だが――覆せないほどではない。


「銀翼の騎士団へ向かって、全軍前進じゃ」


 静かな命令。


「後は勝手に、敵は逃げるじゃろうて」


 低く、重い笛の音が戦場に響く。

 続いて太鼓が鳴り、正規軍の部隊が規律正しく展開を始めた。


 重装歩兵。

 騎兵。

 軍旗。


 ――戦争の音だ。


 その直後、空に三色の煙が上がる。


 それを見た傭兵たちは、迷いなく撤退を開始した。


 すでに勝負は、決していたのだ。

 


「団長! これは一体……!」


 アルステルが銀翼の騎士団のもとへ馬を進めると、ガイアスが驚愕の表情で駆け寄ってくる。


「ワシはワシの仕事をしたまでじゃ」


 淡々と答え、続ける。


「して、被害状況はどうなっておる」


「死者十五名。負傷者百五十一名。そのうち、重傷者は二名です」


「……そうか」


 アルステルは小さく頷いた。


「随分と被害を抑えたの。良くやった」


 視線を巡らせる。


「リュミエルとゼルファードはどうした? 姿が見えんが」


 人垣が割れ、二人の騎士が担架の上に横たわっているのが見えた。


 アーセナルが必死に治癒魔法を施しているが、傷は深く、出血が止まらない。


「……二人は、タイガー=ブラッドファングとの戦いで重傷を負いました。このままでは――」


 アルステルは言葉を遮るように、空を見上げた。


 先ほどまで晴天だったが。急に雲が渦巻き、曇天の空が、異様な重さを帯びている。


「……監獄塔で、何かが起きたようじゃな」


 静かな声。


「ワシが、聖女を連れてくる」


 その一言で、空気が変わる。


「その二人を、決して死なせてはならぬ。よいな」


「「ハッ!」」


 アルステルは馬腹を蹴り、崩壊した監獄塔へと駆け出した。


 アルステルは地下への階段を下りた瞬間、足を止めた。そこには無数の亡骸が、折り重なるように転がっていた。


 原形を留めぬほど損壊した死体。

 焼け焦げた遺体。

 四肢を失い、血と臓物に塗れた骸。

 衣服や装備の残骸から、それらの多くが傭兵であることは一目で分かる。


 だが、戦場特有の匂いとは、どこか違う。


 鼻を突くのは死臭だけではない。空気そのものに、粘つくような違和感があった。


 ――神力の残滓。


 しかも、ただの神力ではない。

 歪み、混ざり、濁ったものだ。


「……これは」


 アルステルは眉をひそめる。


「何かの“儀式”を行ったか」


 視線を巡らせる。


 傷の付き方は確かに戦闘のそれに見える。

 だが、ここまで一方的で、ここまで徹底した破壊は、人の殺意だけでは説明がつかない。


 そして何より――、地下の奥から、はっきりとした“流れ”を感じる。


 神力が、下から上へと昇っている。


 まるで、何かが目覚め、呼吸を始めたかのように。


「……聖女は、無事なのか」


 三大儀式を執り行った聖女は、例外なく命を落としてきた。

 アルステルは長い人生の中で、何人もの聖女を見送ってきた。

 奇跡を起こし、その代償として消えていった者たちを。

 そして、監獄塔に送られた聖女が、無事であった例はない。


 ここに連れて来られた以上、何かしらの儀式を“強いられた”と考えるのが自然だった。


 さらに下へ。


 やがて、亡骸の山の中から、剣先をこちらへ向ける影が現れる。


「生存者か。よくもまぁ、この状況で生き延びたものじゃの」


「……アルステル=ヴァン=グレイブ? 何故、あなたがここに」


「話は後じゃ。聖女ソルフィーユは、どこにおる」


「恐らく、最下層だ。生きているかは……分からん。それより、傭兵どもはどうした」


「全て撤退した。今は正規軍が、生存者の手当をしておる」


 アルステルは一拍置いて続ける。


「お前さんも、仲間を連れて地上へ戻れ。ここは、もう“人の居場所”ではない」


 エルディオの背後には、疲弊しきりながらも、確かに生きている異端審問官が二人いた。


 アルステルは彼らを一瞥し、何も言わず、さらに下へと足を進める。


 最下層。


「おやおや……これはこれは。随分と、懐かしいお顔がいらっしゃいましたね」


 柔らかく、だが底知れぬ声。


 ネハル=ロスティア拷問神官。

 その隣には、聖女ソルフィーユが立っていた。


「え……? アルス老?」


「久しいの聖女よ。無事で何よりじゃ」


 ソルフィーユは、甲冑を纏った老人を見つめ、目を見開く。何故、この人がここに――。


「ネハル。いったい、何をした」


 低く抑えた声。


「今は急を要する。聖女が無事なら、すぐに地上へ連れて帰る」


「ええ、構いませんよ」


 ネハルは、どこか満足げに微笑んだ。


「私の“目的”は、すでに達成されましたから」


 その言葉に、アルステルは一瞬だけ目を細める。


「……聖女よ」


 向き直り、静かに告げる。


「お主の聖騎士が、今にも死にそうじゃ。すぐに、地上へ来てくれぬか」


「リュミエルが……来ているのですか?」


「左様。傭兵団の動きを察知してな。騎士団を動かした」


 一呼吸。


「結果として、今は瀕死じゃ」


 その瞬間。


 ソルフィーユの中で何かが切れた。


 魔力を隠すことなく、身体強化を展開。

 空気が震え、足元の血溜まりが跳ねる。


 彼女は一気に地上へと駆け出した。


 道中、異端審問官の姿が視界に入る。

 だが、もう構わない。


(待っていろ……! リュミエル!)


 その背後。


 地下深くで、目に見えぬ“門”が、

 確かに開き始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ