銀翼を阻む者
二番隊による聖槍騎馬隊の突貫により、後方に布陣していた傭兵部隊は、致命的な損失を受けた。
中央を貫いた騎馬隊は、人も物も区別なく蹂躙し、戦場そのものを、混乱の渦へと叩き込む。
その裂け目へ、後続の銀翼の騎士団が雪崩れ込み、
傭兵団は左右へと散り散りに逃げ惑った。
恐怖は、瞬く間に戦場を伝播する。
傭兵団は、すでに監獄塔を落としたことで気が緩んでいた。
隊列は崩れ、統制も失われ、内部に侵入した者たちは略奪に夢中になっている。
そこへ突然の警報。
爪の傭兵団、壊滅。
さらに、敵部隊が迫っているという報。
情報が中枢まで届かない傭兵たちにとって、
それは「聖王国の正規軍が反撃に出た」という断片的な恐怖でしかない。
混乱は当然だった。
彼らは生きてなんぼ、稼いでなんぼの世界にいる。
死ねば一銭にもならない。
「おい! 外に出ろ! 隊列を組み直すぞ!」
「今さら、組み直せるかよ!」
「お前、どこの傭兵団だ!? オラの団はどこ行った!?」
怒号と罵声が飛び交う。
もはや烏合の衆だった。
部隊長ですら略奪に加わり、指揮など存在しない。
リュミエルたちは、この混乱を予測していた。
だからこそ――監獄塔を、あえて囮にしたのだ。
「ベルク団長はどこだ!?」
「地下だ! 地下牢に降りていった!」
「誰か、報告に行け!」
伝令役の鳥獣人が、青ざめた顔で地下牢獄の入口へと飛んでいく。
その背後で、さらに悲鳴が上がった。
「中央に展開していた『土踏まずの傭兵団』――全滅! 手の空いている傭兵、応援を寄越せ!」
だが、その叫びに応える声は、どこにもなかった。
▽
騒然とした戦場に、鋭い叫びが走る。
「監獄塔の門が開いています!」
騎士の声に、リュミエルは即座に視線を向けた。
半壊した監獄塔の正門。
そこには、雪崩れ込むように傭兵団が団子状に詰め寄っている。
「――全部隊、突入!」
迷いはなかった。
「号令、鳴らせ!」
ラッパが軽快なリズムを刻む。
二番隊は進路を変え、城門へと突き進んだ。
一気に内部を制圧し、地下へ。
聖女ソルフィーユを救出する――それが目的だ。
騎馬隊が敵を薙ぎ倒しながら進む。
その時だった。
「――騎馬隊! 緊急散開!」
二番隊隊長ゼルファード=ラインハルトが、異変を察知し叫ぶ。
次の瞬間、騎馬隊の進行方向に巨大な影が、砂煙を巻き上げて降り立った。
「ほう……」
唸るような低い声。
そこに立っていたのは、虎柄の体毛を持つ、巨躯の獣人だった。
さらに大剣を背にした狼獣人と、魔獣グリフォンが翼を鳴らしながら降り立った。
虎柄の大男は凶悪な笑みを浮かべる。
「なかなか生きのいい騎士だな」
その視線が、一直線にラインハルトを捉えた。
「俺たちの傭兵団を、派手にぶっ壊してくれたのはお前か? どうだ、俺の下で働かないか。千人隊を任せてやってもいい」
タイガー=ブラッドファング。
獣王傭兵団、元団長。
ラインハルトは、槍を構えたまま一歩も引かない。
「……断る」
低く、だが明確に言い放つ。
「俺は女神レイディア様の槍。銀翼の騎士団二番隊隊長、ゼルファード=ラインハルト」
声が、戦場に響く。
「聖王国ディオール管理施設『監獄塔』への武力行使。これは我が国への――宣戦布告と判断する」
一拍。
「よって、貴様らを断罪する!」
「ガッハッハッ!」
タイガーは腹の底から笑った。
「言うじゃねぇか。なら――、やれるもんなら、やってみろ!」
ラインハルトはヘルムのバイザーを降ろす。
槍を水平に構え、馬腹を蹴った。
全力の突撃。
狙いは――心臓。
だが、次の瞬間――、宙を舞ったのは、ラインハルトだった。
騎馬はその場で絶命し、ラインハルトの体は無慈悲に地面へと叩きつけられた。
――力量が、違う。
それは、誰の目にも明らかだった。
タイガーの足が、ラインハルトの甲冑を踏みつけた。
金属が歪む嫌な音。
「――グハッ」
肺の空気が強引に吐き出され、ラインハルトの体が震える。
「俺様の勝ちだ」
タイガーは余裕たっぷりに言い放つ。
「どうだ? さっきの誘い……真面目に考えてみないか?」
視線が、銀翼の騎士団へ向く。
「人族のくせに強ぇし、肝も据わってる。まるで地下牢獄にいた聖女みてぇだ」
「――貴様ッ!」
怒声を上げたのは、リュミエルだった。
リュミエルは動きの止まった二番隊に合流し、最初に耳に入ってきたのが聖女の一言だった。
「聖女様に何をした!」
一番隊、三番隊が合流し、
銀翼の騎士団と、獣王傭兵団率いる混成軍が睨み合う。
その空気を、タイガーは愉快そうに吸い込む。
「この国の女は、随分と気が強ぇな」
肩をすくめ、笑う。
「ああ、そうだ。聖女だったな。あの女は俺の嫁になった」
一瞬の沈黙。
「今は忙しい。だが安心しろ――、必ず迎えに行く」
「は……? え……? よ、嫁……?」
リュミエルの声が裏返る。
「何を、訳の分からないことを……!」
「リュミエル、落ち着け」
ガイアスが肩に手を置く。
「状況が、かなり悪い」
リュミエルは周囲を見渡す。
銀翼の騎士団を囲むように、傭兵たちが武器を構えている。
槍騎馬隊の突進力を失った今、数で押し潰されれば終わりだ。
嫌な汗が背中を伝う。
「絶対絶命……ってやつだな」
タイガーが、楽しそうに言った。
「よし。なら、賭けをしよう」
「……賭け?」
「一騎打ちだ」
指を鳴らす。
「お前ら騎士は、こういうのが好きだろ? もし俺様に一撃でも当てられたら、見逃してやる」
「お、お頭!?」
隣にいた狼獣人、ベルクが声を荒げる。
「今がチャンスだ! 銀翼を潰すなら今しかねぇ! 一騎打ちなんて、やる意味が――」
「うるせぇ、ベルク」
タイガーの声が低くなる。
「その牙、引き抜くぞ」
ベルクは即座に耳を伏せ、尻尾を下げた。
この男が、有言実行であることを知っているからだ。
「で?」
タイガーは、リュミエルを見る。
「やるのか。それとも――ここで全滅するか」
殺気が、騎士団を包み込む。
士気は、限界まで削られていた。
「……私が相手になる」
静かな声。
「リュミエル!」
「やめろ!」
ガイアスとアーセナルが同時に制止する。
だが、リュミエルは馬を降りた。
腰に帯びた剣を、ゆっくりと引き抜く。
逃げ道はない。
活路を開くために、だからこそ前に出る。
「私は、聖王国ディオール。聖女ソルフィーユ様の聖騎士、リュミエル=フォルキア」
剣を正眼に構え、名を名乗る。
「女神レイディアの名の下に――私が、貴様を止める」
「聖騎士かッ!」
タイガー=ブラッドファングの口角が、獰猛に吊り上がる。
「いいな。この時代の聖騎士の強さを測るには、丁度いい」
低く唸り、肩を鳴らす。
「簡単に死んでくれるなよ!」
踏み込み。
次の瞬間、リュミエルの視界いっぱいに、鋭い爪が迫った。
――速い。
思考より先に体が動く。
剣を横に払う。
金属と爪がぶつかり合い、火花が散った。
「――っ!」
衝撃が腕を貫く。
痺れが走り、足元の土が抉れた。
間髪入れず、二撃目。
今度は下から。
腹を裂く軌道。
リュミエルは半歩下がり、剣で受け流す。
だが――
「軽いな」
タイガーの一言と同時に、剣ごと弾き飛ばされた。
「なっ――!」
体が浮き、そのまま背中から地面に叩きつけられ、息が詰まる。
「どうした? 誓いは、そんなもんか?」
タイガーは追わない。
わざと距離を取っている。
――遊ばれている。
リュミエルは歯を食いしばり、立ち上がる。
剣を握る手が、わずかに震えていた。
(強い……)
純粋な膂力。
反応速度。
殺しに迷いがない。
これが、獣王傭兵団の頂点。
「来い、聖騎士」
タイガーが、指をくいと曲げる。
「もっと見せろ。お前が守ろうとしている“聖女”に恥じない戦いをな」
次の瞬間。
地面が爆ぜた。
タイガーが消えたと思った刹那、
背後から殺気。振り向く暇はない。
咄嗟に剣を背後へ振るう。
――当たった。
確かな手応え。
だが、止まらない。
「――いいぞ」
耳元で、声がした。
肘が脇腹に突き刺さる。
「ぐっ……!」
体がくの字に折れ、
そのまま地面を転がった。
視界の端で、銀翼の騎士団が息を呑む。
「リュミエル……!」
誰かの叫びが聞こえた。
だが、リュミエルは立ち上がる。
剣を再び構える。
(まだだ)
まだ、倒れていない。
まだ、剣を握っている。
「ほう……」
タイガーが、感心したように唸る。
「いい目だ。殺される覚悟じゃねぇ」
一歩、近づく。
「――守る覚悟だ。しかし、守るだけじゃ俺には勝てねぇぞ」
その言葉に、リュミエルの胸奥で何かが静かに燃え上がった。




