剣と盾の誓い
ソルフィーユが監獄塔へ到着する、二週間前に遡る。
リュミエルは、ベッドの中に身を丸め、無力感に打ちのめされていた。
先の奴隷商での出来事。
異端審問官との衝突。
何一つ、守れなかった。
結果として、ソルフィーユは監獄塔へ移送されることとなり、主を失ったリュミエルは、一日中ベッドに潜り、泣いていた。
扉をノックする音が、静かに響く。
「……」
「エストラ=ノワレです。失礼します」
返事を待たず、扉が開いた。
リュミエルの私室に入ってきたのは、ノワレ司書長だった。
室内を一瞥すると、盛り上がったベッドへと近づき、躊躇なくシーツを剥ぎ取る。
「リュミエル様。いつまで、そうしているおつもりですか?」
「……放っておいてください」
「そうはいきません」
ノワレ司書長は、近くの椅子に腰を下ろすと、少しだけ間を置き、穏やかな声で言った。
「聖女様は、裁かれたわけではありません。ただ移送されただけです」
「……相手は異端審問官です。監獄塔に送られたら、何をされるか分かりません」
「ええ。ですが――」
ノワレ司書長は言葉を選び、はっきりと答える。
「聖女様は、お強い方です。勤勉で、努力家で、民からも愛されている」
そして、まっすぐに言った。
「そんな聖女様を、聖騎士であるリュミエル様が信じずに、誰が信じるのですか。それでは、聖女様が悲しまれますよ」
「……私は、無力です」
声が震えた。
「聖騎士である私は……盾にも、剣にもなれませんでした」
「――はっきり言いましょう」
ノワレ司書長の声が、少しだけ厳しくなる。
「そんな弱音を吐く者は、騎士ではありません」
「っ……」
「聖女様は、リュミエル様に何を求めていましたか。思い出しなさい」
その言葉に、リュミエルの脳裏に情景が蘇る。
夜のミレニア大聖堂。
聖女ソルフィーユが、暗殺者サイファの魂を宿したこと。その生き様。
『――聖女ソルフィーユ様……未熟者ではありますが、誠心誠意、聖女様の剣と盾を務めさせていただきます。これは嘘偽りではありません。女神レイディア様に誓って』
『私が進むのは、聖女としての道ではありません。修羅の道です。国が、神が、信仰が……敵に回るかもしれない。それでも、私についてきますか?』
『はい。最後まで、お供いたします』
『その誓いと覚悟、確かに受け取りました。聖騎士リュミエル。私がその使命を終える時まで、どうか私を護ってください――』
リュミエルは、ゆっくりとベッドから起き上がり、ノワレ司書長に向き直った。
「ノワレ司書長……ありがとうございます」
声は、もう震えていなかった。
「考えることが多すぎて、本来の目的を見失っていました」
ノワレ司書長の丸い大きなレンズの向こうから覗く瞳が、もう大丈夫だと語っている。
「私……監獄塔へ行こうと思います」
「行っても、会えないかもしれませんよ」
「それでも」
迷いはなかった。
「私は、聖女ソルフィーユ様の聖騎士ですから」
リュミエルはベッドから飛び降り、素早く身支度を整えると、そのまま部屋を飛び出していった。
残されたノワレ司書長は、静かにその背を見送る。
「……まるで妹のような子ですね。聖女様も、大変でしょう」
その呟きは、リュミエルの部屋に、優しく溶けていった。
リュミエルは銀翼の騎士団本部に足を運び、団長の執務室へと向かった。
「失礼します。リュミエルです」
軽くノックし、返事を待たずに扉を開ける。
そこには、見慣れた顔ぶれが揃っていた。
「リュミエル。いきなりどうした?」
声を掛けてきたのは、銀翼の騎士団二番隊隊長ゼルファード=ラインハルトだった。
「ラインハルト隊長……? なぜ、こちらに?」
「緊急招集が掛かった。お前も無関係じゃない、同席しろ」
室内を見渡すと、一番隊隊長ガイアス=ブルーム、三番隊隊長アーセナル=トゥルーガーの姿もある。
「各隊からの報告をまとめた」
ガイアスが、地図の上に指を落とす。
「聖王国ディオール周辺で活動していた盗賊、傭兵団が、同一方向へ移動している」
「さらに――」
アーセナルが言葉を継ぐ。
「国境を越えて、獣王傭兵団が同じ地点を目指している」
「獣王傭兵団……?」
「ああ。知らないか」
ラインハルトが説明する。
「獣王傭兵団は、タイガー商会の関係組織だ。理由は不明だが、明確な目的をもって動いているのは間違いない」
タイガー商会と聞いて、、リュミエルの脳裏にベルク=ドレッドノートの名が浮かぶ。
確か、複数ある傭兵団の中に、獣王傭兵団の名があったのを思い出した。
その時、扉を叩く音が響いた。
「入れ」
「失礼します。聖庁より取り寄せた、監獄塔収容者一覧でございます」
「ご苦労。下がっていい」
「はっ! 失礼します!」
騎士が退出すると、室内の空気が一段、重くなる。
「ラインハルト隊長……」
リュミエルが、静かに切り出した。
「傭兵団は、監獄塔へ向かっているのですか?」
「ああ」
即答だった。
「恐らくだが、投獄されている犯罪者の脱獄が目的だ。問題は――誰をだ」
ラインハルトは眉をひそめる。
「現在、各地に散っている団員に招集を掛けているが……正直、ギリギリだな」
(まさか……)
リュミエルの胸がざわつく。
(今、ソルフィーユ様は監獄塔へ移送中……。ルーガ=ヴァーミリオン、ナスター=ヘスペリア……その敵討ちで動いた可能性は――)
情報が漏れたとは考えにくい。
だが、完全に否定もできない。
「監獄塔へ、聖女様が移送中です。道中、他の傭兵団に襲撃される可能性があります」
「確かに可能性はある」
ガイアスが頷く。
「だが護衛は万全だ。異端審問官も三人付いている。そう簡単には崩れない」
「……しかし」
「無論、手は打つ」
ラインハルトが言い切った。
「既に、監獄塔周辺の村へ近隣部隊を集結させている。本隊はそれらを吸収しながら進軍する」
そして、リュミエルを見る。
「お前も準備しろ」
「……はい!」
その時、これまで背を向けて沈黙していた人物が、ゆっくりと口を開いた。
「ほっほっほっ……リュミエルや」
「はっ!」
「今回の傭兵団討伐作戦――、お主が指揮を執りなさい」
「……え?」
思わず声が漏れる。
「わ、私がですか? 団長や隊長が――」
「いい機会だろう」
ガイアスが口を挟んだ。
「聖女様を救いたいのだろう?」
アーセナルも、腕を組んだまま言う。
「また一緒に街をふらつきたいなら、今度はきちんと守ってやらないとな」
「えっ!? な、なぜそれを……!」
「当たり前だ」
ラインハルトが肩をすくめる。
「これでも、人を見る目はある」
「ほっほっほっ……」
老騎士は満足げに笑った。
「では決まりじゃ。準備が整い次第、銀翼の騎士団――出撃じゃ」
「「ハッ!」」
各隊長が、順に団長室を退出していく。
最後に残った老騎士は、ゆっくりと立ち上がった。
「ワシは、これから聖庁と元老院へ行く。必要な手続きは、すべてワシが引き受けよう」
「……はい」
「この作戦行動、本来であれば許可は下りんじゃろうな」
一瞬、苦笑を浮かべる。
「だが――ワシも、そう長くはない老体じゃ。政治的な責任はワシが背負う。お主は、お主の責務を果たすのじゃ」
その言葉には、迷いがなかった。
「ありがとうございます。アルステル=ヴァン=グレイブ団長。このご恩、決して忘れません」
「感謝の言葉は、まだ早い」
老騎士は、厳しくも優しい眼差しで見据える。
「まずは、聖女を救い出してからにするんじゃな。傭兵団の目的は……恐らく『奴』じゃろうて。厳しい戦いになるやもしれん」
「はい! どんな相手だろうと、聖女様を救うまで負けません!」
力強く答えたその声に、次代を担う騎士の覚悟が、確かに宿っていた。




