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聖女を測る天秤

 ゲルバトは、一枚の書類を手に取った。

 視線を落としたまま、淡々と続ける。


「次に、賄賂に関する疑義です」


 声の調子は、先ほどまでと何一つ変わらない。


「聖女様は、バラン公爵夫人主催の誕生パーティーに、個人として出席されていますね」


「はい。招待を受けましたので」


「その場で、いくつかの貴族、ならびに商会関係者と個別に会話を交わしている」


「覚えております」


「特に、グランデル商会との関係が深いとの報告があります」


 そこで、初めてゲルバトは顔を上げた。


「金銭、物品、あるいは便宜の供与を受けた事実はありますか」


「ありません」


「便宜とは、直接的な金品に限りません」


 補足する声は、あくまで静かだ。


「治療の優先。面会の許可。発言力の行使。それらを含め、一切ないと断言できますか」


「断言できます」


 嘘ではない。

 私は与えられた権限の範囲で動いただけであり、彼には仕事を依頼したに過ぎない。彼からの便宜は一切なかった。 


 ゲルバトは頷き、次の書類をめくる。


「次に、国民扇動、いわゆる革命容疑です」


 空気がわずかに変わった。

 部屋の隅にいる異端審問官三人の視線も、嫌な感じが伝わってくる。


「聖女様は、治療、公務、民への直接対応を頻繁に行っている。また、日課として街中を走る姿が目撃され、民衆からの支持が急激に高まっています」


「……それが、問題でしょうか」


「支持そのものが問題なのではありません」


 ゲルバトは即座に否定する。


「問題は、その支持が“誰の統制下にあるか”です」


 言葉は柔らかいが内容は鋭い。


「民は、王ではなく、貴族でもなく、教義でもなく――聖女個人を見ている」


「それは、聖女として当然の在り方では?」


「いいえ」


 即答だった。


「それは、王権と信仰の分離を招く兆候です」


 私は、息を詰めた。


「意図せずとも、民が聖女を“判断基準”とし始めれば、それは扇動と同義になります」


「私は革命など望んでおりません」


「存じております」


 ゲルバトは、淡々と言う。


「ですが、意図は考慮されません。結果のみが、評価対象です」


(この男の考え方、異端審問官と変わらないな)


 そして、最後の書類に手を伸ばした。

 紙が擦れる音が、やけに大きく響く。


「最後に――」


 ほんの一瞬、間を置いてから告げる。


「聖女成りかわりの疑義です」


 胸の奥が静かに冷えた。


「数年前の聖女ソルフィーユと、現在の聖女ソルフィーユは、性格、行動原理、対人態度に著しい差異が見られる」


「……人は、変わるものです」


「ええ。変わります」


 否定はしない。


「ですが、別人のように変わる事例は稀です」


 その一言で、理解した。

 これは確認ではない。

 否定でもない。


 分類だ。


「記憶の齟齬、行動傾向の急変、過去の交友関係の断絶」


 ゲルバトは、淡々と読み上げる。


「聖女様。あなたは――“あなた”ですか?」


 問いは刃よりも静かだった。


「私は、私ですよ」


 そう告げてから、わずかに言葉を区切る。


「元孤児で、十歳から六年間、聖女として生きてきました。連日の神力行使、貴族からの要望、国民からの期待――」


 視線を逸らさず、続ける。


「その中で思ったのです。私は、誰かの操り人形ではなく、自分の意思で聖女として職務を全うしたい、と」


 ゲルバトを、真っ直ぐに見る。


「変えられるところは、変えたい。それが、聖女として許されないことだとは思いません」


「……それが、聖王国ディオールの意向に反するとしても、ですか」


 静かな問いだった。


「では、逆にお聞きします」


 声の調子は、変えない。


「ゲルバト監獄神官長。貴方がたは、聖王国ディオールの意向に反するとしても、それが職務だと判断すれば、遂行されるのではありませんか」


 一瞬、沈黙が落ちる。


「異端審問官も、監獄塔も、常に国の都合と一致するわけではない。それでも、貴方がたは“必要だから”動いてきたはずです」


 私は、淡々と言葉を重ねる。


「私がしていることは、それと何が違うのでしょうか。国に従うかどうかではありません。職務を、誰の意思で全うするかの違いです」


 言い切る。

 私がやることと、彼らの行動を見て、齟齬が無いように思えた。思想や行動原理は違えど、私と彼らは目的の為に動いている。それは決して自分勝手の感情ではなく、国の為を思ってのことだ。


「私は、聖女としての職務を放棄していません。ただ、自分の意思で遂行しているだけです」


「……なるほど。聖女様のお考えは理解いたしました」


 ゲルバトは一度だけ頷いた。

 だが、その表情に緩みはない。


「しかしながら、それは“聖女様が聖女である”ことの証明にはなっておりません。成りかわりの疑義が真実か否か――判断するには、まだ足りない」


「では、神力を披露いたしましょうか」


「その必要はありません」


 即答だった。


「この監獄塔には、しかるべき判断を下せる者がいます。聖女様が聖女であるかどうかは、その者に委ねます」


「……それは、ゲルバト監獄神官長が決めることでは?」


「いいえ」


 彼は、淡々と役割を切り分ける。


「私は、聖女様の聴取を行い、情報を整理し、結論をまとめる立場です。それを実行に移すのは、そちらの異端審問官三名」


 そして、静かに続けた。


「ですが、“聖女であるか否か”を判断するのは、別の者です。後ほど、ご紹介いたしましょう」


 私は内心で、状況を整理する。


 私が黒に近い灰色であったとしても、即断罪されないのは、“聖女”という立場があるからだ。


 断罪するのは簡単だ。

 だが、その後の影響は計り知れない。


 新たな聖女の擁立。

 国民の動揺。

 他国への影響。


 それらを考えれば、適切なタイミングが必要になる。


 もし、新たな聖女候補が存在するなら、

 神託院にある『神託の書』に、神託が記されているはずだ。


 だが、そんな噂は聞いていない。

 この三週間の間に神託が降りていれば話は別だが――。


「さて。私からの聴き取りは以上になります」


 ゲルバトは書類を閉じ、静かに言った。


「異端審問官の三人から、質問等はございますか?」


 最初に口を開いたのは、エルディオだった。


「一つ、確認させてください」


 口調は柔らかいが、内容は鋭い。


「聖女様は、ご自身の行動が結果として民衆の判断基準になる可能性を理解した上で、それでも行動を選ばれていますか?」


 これは思想と自覚を問う質問。

 罪ではなく、「分かってやっているか」を見る。


 次に、セラフィナが短く言う。


「命令が下れば、従いますか」


 余計な説明はない。


「それが、聖女様ご自身の信念と相反する場合でも」


 これは服従と優先順位を測る質問。

 答え次第で、危険度が決まる。


 最後に、グレオンが言葉を選びながら続ける。


「……もう一つだけ」


 少し間を置いてから。


「もし、自分の判断が誤りだったと知ったとき――その責任を、誰が負うべきだと思いますか」


 これは逃げないかどうかを見る質問。

 処罰よりも覚悟を問う。


 三つの問いは、それぞれ違う方向を向いている。だが、どれも同じ一点に繋がっていた。


 この聖女は、管理すべき存在か。

 それとも、信じてよい存在か。


 私は、一度だけ呼吸を整えた。


「私は、自分の行動が結果として民の判断基準になり得ることを理解しています」


 エルディオを見る。


「それでも行動を選ぶのは、聖女として職務を果たしているからです。見捨てるという選択を、私は職務として選べません」


 次に、セラフィナへ視線を向ける。


「命令が下れば、従うか――という問いですが」


 少しだけ、言葉を選ぶ。


「私は、聖女として与えられた職務と役割の範囲であれば、従います」


 条件を、はっきり付ける。


「ですが、それが聖女の職務を放棄しろという命令であれば、従えません」


 最後に、グレオンを見る。


「自分の判断が誤りだったと知ったときの責任についてですが」


 声を低くする。


「私が負います。聖女として下した判断であれば、逃げません」


 少しだけ、間を置いて付け加える。


「それが、命をもって償うことになったとしても」


「……矛盾していますね」


 セラフィナが、低く言った。


「従うと言いながら、従わない条件を提示する。責任を負うと言いながら、判断は自分で下す」


 視線は冷たい。だが、声は乱れていない。


「それは聖女ではありません。裁量権を持つ個人です。聖女とは、教義の代行者。意志を持つ存在ではない」


 はっきりと、そう言い切る。


「貴女の答えは、危険です。……理解できるますが、容認できない」


 その場に、短い沈黙が落ちた。


 誰も、すぐには言葉を発さない。

 肯定も否定も、下されないまま。

 理解された。

 だが、受け入れられたわけではない。それが、この場の結論だった。


 ゲルバトは書類を静かに整え、視線を伏せる。


「本日の聴取は、ここまでといたしましょう」


 それ以上の言葉はなかった。


 異端審問官たちの視線が、わずかに私から外れる。代わりに、別の何かへ向けられたような、そんな気配を感じる。


 私は立ち上がり、深く息を吸った。


 サイファとして、ここまで来る道筋は理解できている。だが、ソルフィーユとして、次に待つものは想像したくなかった。


 ――判断は、まだ下されていない。


 だからこそ、次に現れる者は、真実を測るための存在ではない。


 心を折るための存在だ。


 重い扉の向こうで、その気配が確かに待っている気がした。

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