ガンブレイ戒律官、再び
翌日、大聖都ミレニアに激震が走った。
西門にある奴隷商ヤルクナ商会に賊が侵入し、店主を含む六十人以上の奴隷が虐殺されたというのだ。
現在、現場は戒律院によって封鎖され、詳細な調査が進められている。
公式には強盗事件とされているが、巷では別の噂が広がっていた。
事件当日、商会の地下で違法な奴隷オークションが行われていたという話だ。
犯人はいまだ逃走中。
戒律院が目撃者を募っているという情報も、街中を駆け巡っていた。
その報告をリュミエルから受け、ソルフィーユはまずタイガー商会による証拠隠滅を疑った。
だが――。
「ナスターの遺体が、無かった?」
「はい。現時点での戒律院の調査によれば、死亡が確認されたのはドルドンと奴隷たち、そして商会が雇っていた傭兵のみとのことです。ナスター=ヘスペリアの名は、被害者一覧には上がっておりません」
「……」
ソルフィーユは顎に指を当て、静かに思考を巡らせた。
死体とナスターが一致しなかった?
いや、戒律院はナスターの存在を把握していたはずだ。奴隷商との出入りも確認されている。
死体を隠した可能性は?
リオル=マークイン戒律補佐官とタイガー商会の関係が疑われ、戒律院に監査が入った件は、まだ記憶に新しい。この状況で露骨な隠蔽は、むしろ火に油を注ぐ。
ならば、あの場に第三者がいた可能性。
行方が分からないのは、雷光のバルバトス=ジークフリード。
リュミエルの話では、彼は地下を出る際に「運が良かったな」とだけ言い残し、地上への通路へ向かったという。
道中で関係者を皆殺しにした可能性も考えられる。
だが、それならリュミエルが生きている理由が説明できない。その線も、薄い。
ナスターは奴隷たちを支配していた。
あの奴隷印が放つ黒い光も、明らかに異質なものだった。確かに私はナスターに致命傷を与え、命を刈り取った。その事実に疑いはない。
「ふう……。分からないことを悩んでも、仕方がありませんね」
「そうですね。昨夜のこともありますし、今はしっかり休養を取られてください」
「とは言っても、聖女としての仕事が山ほどありますから。ゆっくり休んでいる暇もありませんけど」
そんなやり取りをしていると、控えめなノックの音が扉越しに響いた。
リュミエルが扉を少しだけ開き、外に立つ人物を確認する。その直後、彼女の声色がわずかに曇ったのを、私は聞き逃さなかった。
「ソルフィーユ様、その……お客様がお見えになりまして……」
「声がこちらまで届いています。ガンブレイ戒律官ですね。応接間にご案内してください」
「畏まりました」
リュミエルはヴァルド=ガンブレイを隣の応接間へと案内する。
私は軽く身支度を整え、応接間の扉を開いた。
「おはようございます。ガンブレイ戒律官」
「聖女殿。朝早くから失礼する」
ガンブレイ戒律官は、以前より幾分か痩せたように見えた。頬はこけ、目の下には疲労の色が濃い。マークインの一件に加え、赤煙のルーガの拠点、そして今回の奴隷商虐殺事件。針の筵に座らされているのだろう。
「聖女殿に、いくつかお聞きしたいことがある」
「お答えできる範囲でしたら」
「……昨夜は、どちらにおられましたかな?」
ガンブレイの視線が、私の瞳を射抜く。
それは聖女を見る目ではなく、明らかに容疑者を値踏みする眼差しだった。
「私室におりましたが」
「証人は? そこの聖騎士も、昨夜は不在だったと聞いておりますが」
「……何が言いたいのですか?」
「昨夜、奴隷商に侵入した賊が、凄惨な虐殺を行った。聖庁はこの件を極めて重く見ている」
ガンブレイは一度言葉を切り、重苦しく続けた。
「奴隷オークションに、聖女殿が参加していたという証言がありましてな。詳細を確認するため、本日伺った」
「待ってください! ガンブレイ戒律官! 聖女様が虐殺など行うはずがありません!」
「黙れ! 聖騎士の分際で口を挟むな!」
「しかし――!」
リュミエルは一歩も引かず食い下がる。
ガンブレイに真正面から歯向かえる者など、聖王国広しといえど彼女くらいのものだろう。それは決して誇張ではない。
相変わらずだな、と内心で嘆息する。
「はあ……ガンブレイ戒律官。私はそんなことはしていませんし、できません。それは貴方も分かっているはずです」
「もちろん、私個人としては信じている。だがな……」
ガンブレイは視線を逸らさず、言葉を重ねた。
「ここ最近、聖女殿がタイガー商会について嗅ぎ回っている理由は何だ? そこの聖騎士、そして先日も聖女殿自ら戒律院へ赴き、タイガー商会について尋ねきた。その直後に、赤煙のルーガの拠点や、奴隷王ナスターが出入りしていた奴隷商が襲撃されている。……無関係だと、断言できる状況ではない」
少々、派手に動き過ぎたか。
アリバイがないのは痛いが、決定的な証拠もない。だからこそ、ガンブレイ戒律官はこうして直接、私の元を訪れたのだろう。
おそらくだが、この先に動くのは彼ではない。
より上位の、より強い権限を持つ人間だ。
「ご心配をおかけして申し訳ございません。聖女として国民の声を聞くのも務めの一つです。たまたま贔屓にしている商会が、タイガー商会から嫌がらせを受けている現場を目にしまして……調べていたところで、あの事件が起きました。私たちも本当に、寝耳に水だったのです。女神レイディア様に誓って、私たちは関係ありません」
「……左様か。我は、聖女殿を信じておる。本当に困ったことがあれば、いつでも頼ってほしい。力になろう」
かつて「庇いきれない」と言い放った男とは思えないほど、急に寄り添うような言葉だった。
その不自然さに、背筋を冷たいものが走る。
――この男は、まだ諦めていない。まだ私を、ソルフィーユを狙っている。
「その時は、よろしくお願いいたします」
「うむ。この後、聖庁から異端審問官が派遣される。今の話を伝えれば、大丈夫だろう」
「……異端審問官、ですか」
異端審問官。
聖レイディア教に対する虚偽の流布、信仰の冒涜、あるいは教義を名乗って悪事を働く者を裁く存在だ。
戒律院とは完全に別系統の組織であり、その実態を私は詳しく知らない。
後でリュミエルに聞いておく必要があるだろう。
ガンブレイは満足したのか、それ以上追及することなく部屋を後にした。
彼と顔を合わせるたびに、ソルフィーユの記憶と感情が私の中でざわつく。正直、非常に消耗する相手だ。
「リュミエル。異端審問官について、詳しく教えてもらえますか?」
「はい。異端審問官は、聖庁の中でも『特権』を与えられた存在です。最も厄介なのは、その特権を行使し、異端者を即座に断罪できる点にございます」
「断罪、とは……その場で命を奪う、という意味ですか?」
「はい。その通りでございます。過去には大貴族が異端とされ、一家諸共、子供までも斬首された例がございます。現在は大聖都ミレニアでの活動は少なく、主に地方で異教徒との争いに対処していると聞いております」
「……どうやら、面倒な連中に目を付けられたようですね」
「ですが、ソルフィーユ様が罰せられるようなことはしておりません。聖騎士である私が、証人として証言いたします」
この世界の裁判制度には詳しくない。
だが、異端審問官の匙加減一つで首を落とされるなど御免だ。
最悪の場合、国を捨てる選択肢も頭をよぎる。
だが、ソルフィーユとしてそれを選ぶ可能性は、限りなくゼロに近い。
私は、生前のソルフィーユがやりたいことをやり、平穏に生きるために、この名を得た。
逃げ続け、怯えながら生きる日々が長続きしないことは、サイファとしての経験が嫌というほど教えている。
あの日、真実を知り、組織を裏切り、元同僚の手で殺された。
新たな生を得た今、同じ過ちは繰り返すべきではない。
――翌日。
異端審問官男女三名が、ミレニア大聖堂を訪れるや否や、聖女ソルフィーユは拘束された。
そして、大聖都ミレニアから遥か東。
険しい山間にそびえる監獄塔へと、移送されることとなる。




