支配の代償
サイファとアルシェが、同時に踏み出した。
狙いは一つ。
ナスター=ヘスペリア。
その動きを見て、ナスターは舌打ちする。
「……はぁ面倒、ドラゴニュート。あの二人を制圧して。絶対に殺さないでよね」
リュミエルを見失ったドラゴニュートに向けて命じた。短い命令、具体性の欠片もない。だが命令は、確かに届いた。
重い足音。床が軋み、空気が震え、ドラゴニュートが動く。契約に縛られた意思のまま、目の前の“障害”を制圧するために。
「……来るわ」
アルシェが低く告げる。
精霊が集い、風の層が形成される。
防御ではない。流れを作るための布石。
次の瞬間。
ドラゴニュートが跳んだ。
巨体とは思えない速度。
一直線の突進。
サイファは即反応する。
「右!」
声と同時に床を蹴る。
アルシェの風が斜めに吹き抜け、突進の軌道が僅かにズレる。それで十分だった。
サイファは懐へ潜り、鱗の隙間へナイフを叩き込む。
――硬い。
だが止まる。
ドラゴニュートの動きが一拍遅れたのだ。
その一拍をアルシェが逃さない。
「――風よ、束ね」
空気が絡み脚を縛る。これは完全な拘束ではない。だが、次の一撃を遅らせるには足りる。
「ちっ……」
ナスターが初めてこちらを見る。
想定より早い。
そして噛み合っている。
ドラゴニュートは命令に忠実だ。
だが、命令が雑すぎる。
制圧。その一言では、どちらを、どう抑えるかが定義されていない。
結果、動きが割れる。
サイファを狙えば、風に足を取られ。
アルシェへ向けば、刃が内側に入る。
二人は、言葉を交わさない。
視線。
間合い。
呼吸。
それだけで、十分だった。
サイファが前に出る。
アルシェが流れを作る。
即席の連携。支配ではなく、選択の積み重ねだ。
ナスターは、歯を噛みしめた。
「……なるほど」
これは、想定外だ。
ナスターの表情から余裕が消え、片手を掲げる。
「……制圧では足りないか」
次の瞬間、彼の足元に黒い魔法陣が浮かび上がった。
精霊ではない。神力でもない。
歪んだ契約魔法に、闇を継ぎ足した力。
「ドラゴニュート。制約を解除する」
アルシェの顔色が変わる。
「やめて……それは……!」
ナスターは聞かない。
「限界を解除。壊れても構わない」
その言葉と同時に、魔法陣が収縮した。
見えない鎖がドラゴニュートの全身を締め上げ、次の瞬間、引き千切られる。
空気が震えた。
ドラゴニュートの身体が膨れ上がる。
筋肉が異常な速度で隆起し、鱗が赤黒く染まっていく。
「グ、ォォォォ……!」
叫びとも、悲鳴ともつかない咆哮。
足元の床が砕け、衝撃波が走る。
「……命令違反は許さない。動け」
ナスターの声が、契約を通して叩き込まれる。
ドラゴニュートは一歩踏み出した。
――速い。
先ほどとは別次元だ。
サイファは直感で跳んだ。
その直後、立っていた場所が粉砕される。
「っ……!」
衝撃波だけで内臓が揺れる。
アルシェが即座に風を張るが、圧力がそれを押し潰す。
「風が……耐えられない……!」
ドラゴニュートはもう、技を使っていない。
ただの暴力。
契約によって引き上げられた力が、肉体を内側から壊しながら、外へ溢れている。
――長くはもたないだろう。
だが今は、一撃一撃が致命傷になりうる。
「サイファ……このままだと……!」
「分かってる」
サイファは歯を食いしばる。
ナスターは、勝つために駒を捨てるつもりだ。
命も、未来も、何もかも。
その姿を見て、サイファは確信した。
(……こいつは、支配しか知らない)
ドラゴニュートが再び踏み込む。
拳が振り下ろされる。避けきれない。
だが、アルシェが前に出た。
「……精霊よ、壊れる力に応えるな」
風が逆流した。
制御ではなく抵抗だ。
暴走する力に、真正面から抗う。
サイファは、その背中を見て理解する。
「――身体強化・黒焔纏」
サイファの全身を、漆黒の炎が包み込む。
それは燃え上がる炎ではない。纏う焔だ。
触れたものを焼き尽くし、空気すら焦がしながら、彼女の動きを縛るはずの抵抗を、すべて削ぎ落としていく。
黒焔を操り、ソルフィーユは踏み出した。
「アルシェ。二人で、奴を片付ける」
「ええ。サポートするわ」
短い言葉。だが、迷いはない。
ナイフに意識を集中させる。
『纏い』
刃が、歪む。
鋭利さを概念として固定したかのように、禍々しい凶刃へと変質すると同時に踏み込む。
ドラゴニュートの腕が迎え撃つ。
硬質な鱗が、刃を阻む。
だが、一撃で終わらせる気はない。
連撃。斬り、潜り、叩き込む。
サイファが独自に組み上げた、『CQC』を極限まで圧縮した超近接戦闘術。
相手の重心、呼吸、筋肉の張り。動く前に読む。力任せの攻撃ほど、軌道は単純だ。
振り下ろされる拳の内側へ滑り込み、肘、脇、膝裏へ刃を走らせる。
さらに風が背中を押した。
アルシェの精霊魔法が動作を軽くし、無理な体勢の隙を即座に埋める。
跳躍が伸び、着地が静まり、次の一歩が半拍早くなる。
「はあぁぁっ――!」
アルシェが踏み込み、シミターが弧を描く。
「ハッ!」
刃が、ドラゴニュートの背中を断ち切った。
鱗が裂け、肉が開き、鮮血が宙を舞う。
それでも、ドラゴニュートは悲鳴を上げない。
限界を超えた力で、命令に従い続けている。
だが変化は確実に現れていた。
踏み込みが、重い。
振り抜きが、遅れる。
一撃の威力も、速度も、目に見えて落ちてきている。被弾が増え動作の繋ぎに、僅かな空白が生まれる。
その“隙”を、二人は逃さない。
黒焔と風が交差し、刃が、鱗の奥へと届き始める。
――押している。
即席の共闘。
選び、合わせ、噛み合わせた結果だ。
そして、ドラゴニュートの限界を越え、膝を突き、とうとう動きを止めた。
「まだよ!」
ナスターが、声を荒げる。
「ドラゴニュート! 立て! 命令よ、止まるな!」
焦りが滲んだ声。
その瞬間――、ドラゴニュートの首元に刻まれた奴隷印が黒く輝いた。
闇でも、炎でもない。不吉な光。
「……ッ」
ドラゴニュートの身体が、びくりと跳ねる。
次の瞬間、全身の鱗に、無数の亀裂が走った。
肉が裂ける。
骨が軋む。
いや――違う。
朽ちている。
命令を無理に重ねられ、限界を超えた肉体が、契約そのものに食われていく。
「グ、ォ……ッ……」
声にならない呻き。腕が、崩れ落ちる。脚が、灰のように砕ける。
それでも、前へ進もうとする。
命令だからだ。
「やめろ……!」
アルシェが叫ぶ。
だが、ナスターは目を逸らさない。
「構わん! 動け! 動けぇっ!」
奴隷印の黒光が、さらに強まる。
光が脈打つたび、ドラゴニュートの身体が削られていく。
生命を燃やすのではない。
存在そのものを、消費している。
サイファは、歯を噛みしめた。
「……これが、お前のやり方か」
支配。
命令。
使い潰す。
そこには、勝利も未来もない。
あるのは、破壊だけだ。
ドラゴニュートの足は砕け灰になった。
拳を突き立て、それでも立ち上がろうとする。
だが、無理な命令のせいか、奴隷印が砕けた。
黒い光が弾け、同時にドラゴニュートの身体が崩壊する。
鱗が崩れ、肉が剥がれ、巨体が音もなく崩れ落ちた。
残ったのは焦げた床と、消えかけの灰。
そして沈黙。
会場に残るのは、重い呼吸と焦げた空気だけだった。
ナスターは、信じられないものを見るように、一歩、後ずさる。
「……な、ぜ……」
答えは、明白だ。
支配に頼った者は、最後に支配に殺される。
「アルシェ! 自分の首を、斬り落としなさい!」
ナスターの叫びと同時に、アルシェの胸元に刻まれた奴隷印が、黒く輝いた。
神力によって契約は更新されている。
だが、それはあくまで表層だ。
ナスターの契約と誓約は、もっと深い場所、魂に近い層に焼き付けられている。
今の更新は、完全な解除ではない。戦闘中に強引に書き換えた、一時的な上書き。
本来なら時間をかけ、段階的に無効化すべきものだ。だが、今はそれができない。
起きているのは、契約のエラー。
命令が直接、肉体を動かそうとしている。
アルシェは、シミターを握り直した。
刃が、細い首筋に添えられる。
震えはない。
だが、意思でもない。
――強制だ。
極限の一瞬。サイファに残された選択肢は、あまりにも少ない。
アルシェを救う?
今は、不可能。
ならば――、元凶を――断つ。
サイファはナイフを投げた。
『纏い』で強化された刃が、空気を裂き、一直線にナスターへ向かう。
だが、ナスターの目が怪しく光った。
舞台袖から、一人の男が飛び出す。
身を投げ出し、刃を受け即死。
ナイフの軌道が、僅かに逸れた。
「――精霊よ」
アルシェの唇が動く。
首筋に赤い線が浮かび上がる。
皮膚がわずかに裂ける。
それでも、彼女は止まらない。
命令ではない。
抵抗でもない。
願いだ。
(刃を――届けて)
逸れたはずのナイフが、
空中で、不自然に軌道を変えた。
風が刃を抱く。
精霊が導く。
刃は弧を描き、ナスターの眉間へと吸い込まれるように突き刺さった。
「――か、はっ……」
短い音。
ナスター=ヘスペリアの身体が、そのまま後ろへ崩れ落ちる。
激戦の末、支配の声はとうとう途切れたのだ。




