奴隷王ナスター=ヘスペリア
深く澄んだ、新緑のような瞳。
魔力の源泉が溢れ出しているかのような輝き。
大地を黄金色に染める穂のような、美しい髪。
エルフ特有の、長く尖った耳。
華奢な身体つきだが、誰もが目を奪われるほど整った顔立ち。
檻の中で、無数の視線に刺されながら怯えているその姿は、疑いようもなくハイエルフの子供だった。
「遥か南の星のヘソ、世界樹の根を抱く地に、エルフの里がございます!」
麻袋を被った男、オークショニアが芝居がかった声を張り上げる。
「その里から、遠路はるばるハイエルフをお連れしました! 見た目は子供ですが――まあ!」
下卑た笑いが混じる。
「年齢はエルフですので、正確なところは分かりません! 皆様もお気づきでしょうが、恐らく二度と手に入らない希少種でございます!」
会場が、静まり返る。
誰もが待っていた。
この男が、競売開始を告げる、その瞬間を。
「――ここで、皆様に特別なお知らせがございます」
オークショニアは、一拍置いた。
「なんと! 主催者様のご厚意により!」
声がさらに弾む。
「その場で――奴隷契約を実演する催し物を行います!」
「「おおおおっ!」」
歓声が、弾ける。
だが、それは喜びの声ではない。
支配が完成する瞬間を見たいという、欲望の音だ。
「それでは、ご紹介いたしましょう!」
オークショニアは、壇の奥へと大仰に手を伸ばした一瞬、間が空く。
「奴隷王――ナスター=ヘスペリア様のご入場ですっ!」
舞台袖から、ひとりの男が現れた。
ひょろりと背が高く、華奢な体躯。
豪奢でも威圧的でもない、どこにでもいそうな風貌。
だが、その足取りには、一切の迷いがなかった。
そして、その半歩後ろ。
護衛として立つ女エルフ。
精霊の気配をまといながら、無表情で周囲を睥睨するアルシェ。
「どうも。ご紹介にあずかりました、ナスター=ヘスペリアでございます〜」
男は軽く一礼しただけだった。
芝居がかった身振りも、大仰な演出もない。
ただ、癖のある喋り方だ。
「本日の奴隷たち、いかがですか〜?」
客席を見渡し、薄く笑う。
「最後のメインディッシュとして、このような特別なエルフをご用意いたしました。購入された方には――」
そこで一拍置く。
「その場で、奴隷契約を実演させていただきま〜す。もちろん、ただの契約ではありません。特別製ですよ〜」
拍手が起こる。だが、それは賞賛ではなく、支配が完成する瞬間を見たいという、期待の音だった。
特別な奴隷契約。
おそらく、ナスターの異能を用いた誓約だろう。
「ご存じない方もいらっしゃるでしょうから、簡単に説明しておきましょう」
ナスターは、教師のような口調で続ける。
「本来の奴隷契約では、強制的に自死を命じることはできません。能力を完全に封じることも、原則として不可能です」
会場が、静かに耳を傾ける。
「ですが、私の契約は少々……仕様が異なりましてね」
その声には、誇りが滲んでいた。
「自死の命令はもちろん、能力の封印。さらには能力の底上げ、新たな力の付与も可能です」
ざわめきが走る。
「ご希望であれば――」
ナスターは、檻の中の子供を一瞥した。
「人格の改変、記憶の書き換えも対応いたします。どうですか? 好みの奴隷を作ってみませんか? 楽しいですよ〜?」
「「おおおおっ!」」
再び拍手が起こる。
私は息を殺した。
ナスターの語る内容は、アルシェが口にしていたものと寸分違わない。
誇張でも、虚勢でもない。
――事実なのだ。
だからこそ、この男は危険だ。
「さぁ、ナスター=ヘスペリア様の特典もございます! このハイエルフを競り落とすのいった誰か!? 本日最後の奴隷、スタートは聖金貨一枚からスタートです!」
そこからは室内が客たちの声で震えた。
聖金貨十枚、二十枚、三十枚。ものの数分で聖金貨百枚を越える。
「聖金貨百二十枚だ!」
ある程度ペースが落ち着いたとき、小太りの男が手をあげる。
「彼がバードリー男爵だと思います」
先程からライバルが手をあげる度に、バードリー男爵が値段を吊り上げている。
どこからそんな金があるのかと思ったが、リュミエルが鉱山を持っていると言っていたことを思いだす。
そして、私はここで動きだす。
「聖金貨ニ百枚」
会場がどよめく。
この掛け金は相手を蹴落とす為の吊り上げだ。バードリー男爵は聖金貨一枚づつ吊り上げていくことに対して、私は約二倍の額を提示する。
オークションでもよく行われる行為ではあり、どうしても欲しい場合は余裕をもって大きな額を先に提示したほうが競り落とせる確率が高いのだ。
「せ、聖金貨二百一枚!」
バードリー男爵が、汗を滲ませながら声を張り上げる。
小刻みに、だが確実に上げてくる。
退く気はないらしい。
「……聖金貨二百五十枚」
私の声は、落ち着いていた。
再び、ざわめきが広がる。
バードリー男爵は、歯を食いしばりながら手を上げる。
「二百五十一だ!」
執念。
だが、その額はもう意味を持たない。
「――聖金貨三百枚」
一瞬、会場の音が消えた。
誰もが、言葉を失う。
次いで、どよめきが爆発した。
「三百……だと?」
「正気か……?」
「本当に払えるのか?」
疑念の声が、あちこちから上がる。
当然だ。
聖金貨三百枚など、国家予算に匹敵する。
そんな金など持ち合わせてはいない。
私は、静かに立ち上がった。
「ご心配なく」
マスク越しでも、視線が集まるのがわかる。
「――今、この場でお支払いしましょうか?」
オークショニアが、驚いたようにこちらを見る。
「そ、それは……」
「問題がありますか?」
私は、ゆっくりと通路へ足を踏み出した。
貴族の令嬢が、落札金を確認するために前に出る。
それ自体は、不自然ではない。
誰も止めなかった。
壇の前まで進む。
檻の中のハイエルフの子供が、こちらを見た。
怯えた瞳。
――大丈夫。
オークショニアが、身を乗り出す。
「では、こちらで――」
その瞬間。
私の手は、迷いなく動いていた。
逆手に持ったナイフが、静かに閃く。
抵抗なく肉を斬り、骨を断つ。
刃が喉を裂き、血が噴き出すよりも早く、オークショニアの首は、音もなく落ちた。
私は、そのまま一歩前に出る。
自然に。
あまりにも自然に。
気づけば、そこはナスター=ヘスペリアのすぐ傍だった。
距離、数歩。
彼の表情は、まだ崩れていない。
私は、刃を構え直した。
オークショニアの首が床を転がり、ようやく会場は事態を理解した。
悲鳴。
椅子を蹴倒す音。
逃げようとする者、腰を抜かす者。
だが、すぐにそれも止まる。
ずしりと重く、鈍い音が響いた。
壇の奥で、鎖が引かれる。
戦闘部族であるドラゴニュートが、一歩踏み出したのだ。
次いで、別の影が前に出る。
雷光のバルバトス=ジークフリード。
その瞳には、かつての英雄の光はない。
命令を待つ、奴隷の目だ。
「……ふふふ。メインイベントが始まったわね〜」
ナスター=ヘスペリアは、観客席にも死体にも視線を落とさず、静かに笑いながら言った。
そのすぐ傍らで、女エルフ、アルシェの指先がわずかに震える。
「やはり、あなたでしたか」
私の視線はアルシェを片隅に、ナスターを捉える。
距離は近い。だが、斬るには障害を取り除く必要がある。
「聖女ちゃん」
ナスターは、確信をもって『聖女』と呼んだ。
「私、ずっと見ていたの。舞台に上がる覚悟は、最初からあったのよね」
(アルシェがほのめかしていた、視界共有。恐らくだが、監視されていた。この状況は仕組まれていたに違いない)
背後で、リュミエルが静かに剣を抜く。
私もまた、呼吸を整えた。
アルシェの周りを中心に精霊がざわめき、空気が張り詰める。
ここから先は、金も言葉も意味を持たない。
――力と意思だけが残る。




