変装道具と隠された神力の秘密
くたくたになり、ミレニア大聖堂の私室へ戻ると、リュミエルが小さな箱を両手で抱えて部屋に入ってきた。
「ソルフィーユ様。ミラーナ殿から、お荷物が届いております」
「開けて中身を確認してちょうだい」
「かしこまりました」
丁寧に封を切ると、中から現れたのはシックなデザインのマスクが二枚。布地は落ち着いた色合いで、過剰な装飾はない。
「思っていたより、ずいぶんと控えめですね」
「ミラーナ殿の普段のテンションなら……羽が、こう、ぶわっと付いていそうですが」
想像した瞬間、あまりにも似合わなさすぎて、思わず笑ってしまった。
「……それはそれで、目立ちますね」
「細かい刺繍が施されています。かなり手が込んでいますよ」
リュミエルが中から一枚の紙を取り出す。
「お手紙も同封されています。読み上げますね」
彼女は静かに目を走らせ、内容を口にした。
「――聖女ソルフィーユ様。ご依頼のマスクが完成しました。注文通り、目立たない仕様に仕上げております。また、認識阻害の魔縫いを施した魔法陣を組み込んであります。聖女様の“あの力”であれば、問題なく作動するはずです。一度試してからご使用ください」
「……やはり、ミラーナには気づかれていましたね」
「近くで見ていましたから。聖女であることも、魔力を扱えることも。彼女なりに、最大限の配慮をしたのでしょう」
私はマスクを手に取り、その感触を確かめる。
やはり、彼女は信用できる存在だ。
装備を整えてくれるだけでなく、秘密を知った上で、何も変わらず接してくれる。
それは、この立場にいる私にとって何よりも得難いことだった。
マスクの内側には、複雑な刺繍が幾重にも編み込まれている。
これが『魔縫い』と呼ばれる技法なのだろうか。詳しいことは分からないが、ミラーナが「認識阻害」の機能を組み込んだと言っていた。
せっかくだ。実際に装着して、試してみることにする。
「……どうでしょう? 似合いますか?」
「え?」
一瞬、リュミエルが言葉を失う。
「……すごいですね。少しお待ちください、鏡をお持ちします」
彼女が手鏡を差し出す。
そこに映った自分の姿を見て、思わず息を呑んだ。
「……これは、驚きました」
鼻から上はマスクで隠れている。
だが、それ以上に目を引いたのは髪の色だった。
濃い紫色。
ソルフィーユの象徴とも言える、虹を溶かしたような銀髪は跡形もなく消え、まったくの別人に変わっている。
「変装道具として、一級品ですね……」
「わ、私も着けてみます!」
リュミエルは少し興奮した様子でマスクを手に取り、そのまま装着した。
次の瞬間、彼女の銀髪が、燃えるような紅に染まる。
「……私は、だいぶ目立ちますね」
苦笑するリュミエルに、私は首を振る。
「原理は分かりませんが……ミラーナ殿が、ヨアンに一目置かれている理由は理解できました」
認識を歪め、外見すら書き換える。
これは単なる変装ではない。
「これなら、二人で行動しても問題なさそうですね」
リュミエルも、小さく頷いた。
▽
翌朝。
今日は公務のない日だったため、日課のランニングを終えた後、そのまま大聖堂の図書室へ向かった。
「トワレ司書長、おはようございます」
「おはようございます、聖女様。本日は、どのような本をお探しでしょうか?」
女エルフ――アルシェに掛けられていた呪縛。
奴隷契約、そしてナスターの異質な支配の力。
それに関する手がかりを探したいが、どう切り出すべきか迷う。
「……違法な奴隷契約の解除方法や、それよりも強い魔法で人を操られている場合、それを治す術について……何かご存じでしょうか?」
トワレ司書長は、すぐには答えなかった。
少しだけ考える素振りを見せてから、静かに口を開く。
「奴隷契約についての書物は、いくつか存在します。ただし、契約魔法そのものは秘匿された技術です。使用できるのは、奴隷商か、特定の監獄神官に限られています」
「そうですか……」
「ですが」
そこで、はっきりと区切った。
「聖女様のお力であれば、解除は可能です」
「……可能、なのですか?」
思わず聞き返してしまう。
「神力聖典には、そのような記述は見当たりませんでしたが」
「はい。神力聖典にも、大法典聖典にも記載されていない内容ですので」
「それは……どうしてですか?」
トワレ司書長は少しだけ目を伏せた。
「聖女様に使わせる奇跡を、限定するため……でしょうね」
その一言で腑に落ちた。
三大奇跡。
そして治療。
それ以外に神力の使い道は存在しない。
そう、思い込まされていただけだったのだ。
実際には、まだ秘匿されている“神力の行使法”があるのだ。
しかも、それは秩序を壊しかねない力の可能性がある。
「……司書長は、それをご存じなのですね」
「知識として、です」
トワレ司書長は即答した。
「私は神力を扱えません。ただ、失われた聖典や、焚書指定された記録を読むことはできます」
「焚書……」
「ええ。かつては、神力による“解呪”も奇跡の一つとして記録されていました」
胸の奥が僅かにざわつく。
「ですが、その奇跡は――管理できなかった」
「管理、ですか?」
「支配を否定する力だったからです。奴隷契約、誓約魔法、魂への刻印……それらを無効化できる奇跡は、あまりにも都合が悪かったのです」
トワレ司書長は淡々と語る。
「ですから削られました。聖典から。神力の“正しい使い方”を」
「……それでは」
「はい。今の聖女様は、“治す存在”としてのみ定義されています」
彼女は、私を見た。
「ですが、聖女様ご自身がどう使うかまでは……誰にも縛れません」
静かな言葉だったが、その重みは十分だった。
「司書長」
「はい」
「その失われた奇跡について……覚えていることはありますか?」
一瞬の沈黙。
だが、トワレ司書長は頷いた。
「はい。私の頭の中、『記憶の貯蔵庫』に残っています」
やはり、この人が鍵だ。
「契約魔法は、単純に“解除”すればいいものではありません」
トワレ司書長は、静かに言葉を選びながら続けた。
「無理に契約を破棄しようとすれば、契約者だけでなく、それを犯そうとする者にも、耐え難い苦痛を与えます。場合によっては、魂そのものを焼き切るでしょう」
「……では、どうするのですか?」
「はい。契約を壊すのではなく、『更新』するのです」
「『更新』、ですか?」
トワレ司書長は、遠い記憶を辿るように視線を落とす。
「神力には、創造、再生、回帰、増幅、そして更新の力があると伝えられています。更新とは、今あるものを新たに作り変える力。より良くも、悪くもできる……非常に危険な性質を持つ力です」
「そんな力が……」
「存在します。ただし」
そこで、声が一段低くなった。
「神力の本領を発揮する行為は、人の器には過ぎた力です。数回の行使で肉体は摩耗し、魂には深刻な障害が残るとされています」
嫌な予感が背筋を走る。
「過去に奴隷解放を掲げた聖女がいました。その方は……数日のうちに、お亡くなりになっています」
「……そんな話、初めて聞きました」
「でしょうね」
トワレ司書長は、わずかに口角を下げた。
「真実とは、常に誰かの手によって握り潰されるものです」
「だから……」
「はい」
私の言葉を引き取るように、彼女は頷いた。
「聖王国ディオール国王、聖庁レイディア教皇も、聖女の力を秘匿してきました」
「なるほど。無理な神力行使をさせないため、が建前で、実際は支配の否定をさせない為に、神力聖典にも、どこにも記述がないのですね」
「ええ」
トワレ司書長は真っ直ぐに私を見た。
「これからお伝えすることは、聖女様の命に関わります。もし、本気で奴隷解放を行うつもりなら……どうか、考え直してください」
一瞬の沈黙。
「……それでも、教えてくださるのですよね?」
私がそう言うと、トワレ司書長は、ほんの少しだけ微笑んだ。
「これは、ただの感ですが」
彼女は静かに言った。
「聖女様はこれから偉大なことを成し遂げるお方だと、私は思うのです――」
トワレ司書長の言葉は静かに、ただ強く、覚悟が含まれていた。




