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女エルフとの取引

 通路の空気が、女エルフの前へと引き寄せられていく。

 皮膚が粟立ち、サイファの脳裏で警鐘が鳴った。


(……これは危険だ)


 彼女の前方で空気が圧縮され、淡く光る幾何学模様の魔法陣が浮かび上がる。


(来る――魔法だ)


「――風の精霊よ、集まりて刃となれ。『真空の刃』」


 放たれたのは目に見えない空気の斬撃。

 詠唱通りなら、空気そのものを刃として飛ばす必殺の魔法だ。


 狭く、一直線の通路。回避は不可能。


 (直撃する)


 判断は一瞬。


 ――身体強化・黒焔纏。


 全身を黒い魔力で覆い、防御に徹する。


「くっ……!」


 見えない斬撃が通路を薙いだ。

 両腕を交差させて受け止めるが、魔力の膜を切り裂き、皮膚に熱い痛みが走る。


 血が、わずかに滴った。


「……」


 女エルフの目が、細くなる。


「片腕を貰うつもりで放ったんだけど……」


 低く、感心したように言う。


「あなたの魔力、想像以上に濃いわね。しかも特質魔力なんて」


 剣先を下げたまま、こちらを見据える。


「厄介な相手だわ。次は本当に、殺しかねない。だから……」


 一拍置いて。


「見逃してあげる。引き返してくれない?」


 その声音に敵意は薄く、警告と譲歩が混じっている。


「そんなに戦いたくないのか?」


「ええ。戦いたくないわ」


 即答だった。


「理由を聞いても?」


「好きでここを守っているわけじゃないから」


 はっきりとした言葉。

 そこに、迷いはない。


「そんなことを話していいのか? ドルドンやナスターに聞かれたら、困るのはお前だろう」


 女エルフは、肩をすくめた。


「ドルドンはともかく……ナスターは、見ているだけよ」


 一瞬、胸の奥がざわつく。


「聞こえてはいない。だから、こうして話してる」


(……ナスターの力、視界共有……か?)


 しかし、口ぶりからして音声までは届かない。

 完全な監視ではない。

 だからこそ、彼女はここで門番をやっている。


「だったら、なおさら退く理由はない」


 ナイフを構え直す。


「ここを越えれば、何かがある。そうだろ?」


 女エルフは、短く息を吐いた。


「……貴女の探し人は、この奥にいないわ」


 剣を握る手に、力が戻る。


「これ以上はどうなっても知らないから」


 風が再び集まり始める。

 だが、先ほどとは違う。


 魔力の流れが、微かに乱れている。


(……躊躇している)


 彼女は命令で動いているが、意思までは縛られていない。


「シッ」


 魔法を使わせる余裕を与えるわけにはいかない。

 一気に間合いを詰め、手数で押し切る。


 縦横無尽のナイフさばき。喉、脇腹、手首。致命点を狙い続けるが、女エルフは一歩も引かず、全てをシミターで受け流した。

 刃と刃が擦れ合い、金属音が通路に反響する。


(ならば、これはどうだ)


 狭い通路なら、その通路そのものを使えばいい。壁を蹴り、天井を踏み、空間を跳ぶ。


 この世界ならではの魔力運用。本来なら重力に逆らうことなどできない。筋力がどれほどあっても、天井を足場にするなど不可能だ。


 だが魔力は、その不可能を平然と覆す。


 この力を得てから、私は可能性を拡張し続けてきた。

 夜の屋根走りも、外壁の登攀も、今では呼吸の延長だ。


 この狭い空間は、私にとってすべて足場になる。


「――精霊よ、我を守れ。『風の障壁』」


 上方から一気に突き立てる。

 しかし刃先の直前で、幾重にも重なった風の波が生まれ、ナイフは弾かれた。


「……魔法とは厄介だな」


「貴女みたいに小手先が上手なだけな人間では、精霊使いには勝てないわ」


「精霊使い……魔法とは違うのか」


 女エルフから読み取れる情報は多い。

 戦闘技術、精霊魔法、そしてナスターの名を当然のように口にする点。


 彼女はただの用心棒ではない。

 ならば攻略口は、そこだ。


「なぜ手加減をする。私を撃退するだけなら可能だろう」


 攻防の合間、刃を交えながら言葉を投げる。


「貴女が何かを探っているからよ。私も同じことをしているの」


「随分と余裕だな」


「ええ。私が貴女を無力化したら、ナスターが貴女を奴隷化するでしょうね」


「……負けるつもりはない」


「私もよ。でも、もし貴女が私に勝てたなら……一つ、約束してほしいことがあるの」


 交渉か。

 彼女は恐らく、この場を守るために強制されている。オークション会場、あるいは商品。

 だが本心は別にある。


 意図はまだ読めない。だが聞く価値はある。


「……話を聞こう」


 ナイフとシミターが再び激突し、剣戟の音が通路を震わせる。


「私を殺してもいい。でも、奥の部屋に囚われているエルフの子供を攫ってほしいの」


「エルフの子供?」


「ええ。あの子は里から誘拐された、ハイエルフの子よ。救い出さなければ、取り返しのつかないことになる」


 ハイエルフ。

 希少どころではない。ソルフィーユの知識では、エルフの王族に等しい存在。寿命も常人とは桁が違う。


 なぜそんな存在が、ここに囚われている。

 そして、この女エルフとナスターの関係。


「最近の子供の誘拐に、ナスターが絡んでいるのか」


「さあ。わからないわ。ここに流れてくるのは希少種だけ。子供自体が少ないもの」


 彼女が言葉を切る。


「……そろそろ時間切れよ」


 背後の通路から、複数の足音と声。

 戦闘音が漏れた。包囲されるのは時間の問題だ。


「子供には手を出さない」


 刃を構えたまま、静かに告げる。


「もう一度聞く、私が知りたいのは、ナスターの所在だ」


 女エルフの瞳が、僅かに揺れた。


「ナスターを殺しに来たの?」


「ああ」


「ナスターはここには居ないわ。来るとしたら週末の奴隷オークション。その日は必ず姿を現すわ」


「本当か?」


「ええ。本当よ。できれば私が殺してやりたいくらいだけど、自由が利かないの」


「……奴隷契約か?」


「それもあるけど、ナスターは奴隷を特殊な力でコントロールしたりできるの。相手の視界を共有するとかね。他にも記憶の改竄とか、能力を制限したり――」


「侵入者がいるぞ!」


 女エルフからナスターに関する情報を聞き出そうとしたが、背後の通路から声が聞こえた。

 どうやら本当に時間切れのようだ。


「……名前は?」


「私の名前は……アルシェ。これ以上は他は思い出せないの。さぁ、行きなさい」


「私はサイファ。また会おう――」


 サイファはアルシェに背を向け走り出す。


「いたぞ! 捕らえろ!」


 数名の武装した兵士が入って来た。

 外に居た警備の者たちだろう。


 手加減をしている余裕はなさそうだ。

 悪いが、数人死んでもらう。


 鋭い槍の一撃を紙一重で交わし、手首を切り裂く。


「うわっ、て、手がぁぁあ!」


「よくもやりやがったな!」


「シッ!」


 進行方向に槍が振るわれる。

 急制動を効かせ、左腕脇下を切り裂く。


「ぐああぁぁっ! だ、誰か、治療をっ!」


「死ねぇ! 侵入者め!」


 クロスボウを構えた兵士がトリガーを引き、矢が真っ直ぐとサイファに跳んでくる。


 ナイフを逆手に取り、矢を刃で受けて軌道を逸らす。

 

「は? バカなっ!」


 クロスボウの充填は間に合わない。一気に詰め寄り、鳩尾に拳をめり込ませる。空気が潰れる音とともに、兵士の身体が折れ曲がった。


「応援を呼べ!」


「囲んで殺せ!」


 次から次へと現れる武装兵。

 アルシェとの戦闘で傷を負いながらも、サイファは目立つ神力を使うことなく激戦を切り抜け、脱出路へと駆け抜けていった。


 ▽


 激しい戦闘音が、通路の奥へと遠ざかっていく。


 張り詰めていた緊張の糸が切れたかのように、アルシェは深く息を吐いた。


 周囲に漂う精霊たちが、心配そうにこちらを見つめている。

 だがアルシェは、ナスターの魔法によって、精霊と自由に意思を交わすことすらできなかった。

 許されているのは、命じられた精霊魔法の行使だけ。


 名前もすでに曖昧だ。

 自分のフルネームすら思い出せない。


 記憶に残っているのは、この通路の奥に囚われているハイエルフの子供とナスターの存在だけ。


(彼女は……ナスターを殺せるのかしら)


 胸の奥で静かに思考が回る。


(これは賭け。もし駄目なら……命を賭けてでも、私がナスターを殺す。そうして、あの子を救うしかない)


 ハイエルフだけは守らなければならない。

 それだけは、絶対の記憶だった。


 ナスターですら消せなかった、唯一の核。


(今は……サイファが無事に逃げ切れたことを祈るしかないわね)


 アルシェは静かに目を閉じ、再び仮初の無表情を纏った。 

 



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