ガルドの鼻
日が昇る前に東門へ到着し、門兵に事情を説明すると、すぐに衛兵が集まった。
盗賊に捕らえられていた人々は、彼らの手で保護され、簡易的な医療と事情聴取を受けることになった。
その様子を遠目に確認した後、私とリュミエルは闇に紛れるようにして、その場を離れる。
事情を詳しく聞かれて困る身分なのは、こちらの方なのだ。
「私たち……本来なら、堂々と入都できる身分なのですが」
歩きながら、リュミエルが小さく呟いた。
「聖女と聖騎士が盗賊の砦から人々を救出しました、なんて説明できますか?」
私は即座に返す。
「面倒事が増えるだけです。ミラーナへの正式な接触は、日が昇ってからで十分でしょう」
何より、私たちにも仮眠が必要だ。
睡眠不足は集中力を落とすし――お肌にも悪い。
……お肌に悪い?
(最近、思考が妙に女性寄りだな)
服装や所作だけではない。
考え方そのものが、少しずつ変わってきている気がする。
サイファは生前、男だった。
だが今は、ソルフィーユという女性の身体で生活している。
脳の構造か、ホルモンバランスか。
理由は分からないが、確実に影響は出ている。
以前、リュミエルに言われた言葉を思い出す。
『生前は男と聞いておりますが、随分と女性に詳しいし、趣味もそっち寄りなのですね』
知識はソルフィーユのものだ。
趣味については否定したが……否定しきれない自覚もある。
甘い物、装飾品、衣装。
ヨアンから新しい衣装の話を聞いた時も、妙に楽しみにしていた。
(……順応、しているだけだと思いたいが)
考えを切り替える。
「それでは、午後にミラーナ殿の工房を訪ねましょう。それまでの間、私は戒律院と騎士団を当たって、奴隷商について調べてきます」
「お願いします」
情報収集は、リュミエルに任せるのが最適だ。
私は一度別れ、着替えを済ませてから、大聖堂へ戻ることにした。
次に動くために頭と心を、少し休ませる必要がある。
朝のランニングは、いつも通りこなす。
どれだけ状況が変わっても、ルーティンは崩さない方がいい。身体も思考も、一定のリズムを保つ必要がある。
「よう、ソル」
「おはようございます、ガルド」
「……疲れた顔してんな。ちゃんと休んでるのか?」
「この後、寝ますよ」
「聖女ってのは忙しいんだな」
「ええ。人を癒やし、人を導き、存在しているだけで仕事が増えますから」
「ふーん」
ガルドは軽く鼻を鳴らし、並走しながら続ける。
「ま、あとは夜中に屋根の上を走り回るなよ。危ねぇから」
「……気づいていたのですか?」
思わず足を緩める。
「まあな。お前の走りは独特だしな。それに匂いだ」
「匂い……?」
「誤魔化しても無駄だ。俺には丸わかりだぜ」
獣人という種族特有の感覚。
前世の知識や技術では、そこまでは誤魔化しきれなかったらしい。
「匂いで思い出しましたが……」
私は話題を切り替える。
「以前、スラム街で子供が行方不明だと話していましたよね」
「ああ、言ったな」
ガルドの表情が、少しだけ曇る。
「あの匂いだが……たしか、娼館の匂いだ」
「……独特な香り、ですか」
「そうだ。甘ったるくて、鼻に残る。一度嗅いだら忘れねぇタイプだ」
「……ガルドも、娼館に行くのですか」
「ばっ、ばか言うな! 行くわけねぇだろ!」
声を荒げた後、少し照れたように視線を逸らす。
ソルフィーユの顔で娼館に行くかどうかを聞くのもおかしな話だ。今度から言葉は選んで言おう。
「近くを歩くだけでも、風向き次第じゃ鼻につくんだ。離れてても分かるくらいにな」
「その香りは……どの地区から?」
「あー……西門だな。西門の娼館街の匂いだ」
西門。
奴隷商が集まる地区。
人攫いの盗賊。
行方不明になった子供。
そして、現場に残った“香り”。
点だった情報が、静かにつながる。
(……やはり、西門の繁華街が一番怪しい)
狙うべき場所は、もう絞れている。
まずは――
奴隷商に確定だ。
「あんまり西門付近はうろつくなよ」
「心配してくれているのですか?」
「まあな」
ガルドは前を向いたまま、短く答える。
「お前みたいなやつが一番危なっかしいんだ。グランデル商会で会ったときは、なんで身分を隠してるのか分からなかったが……ああやってうろちょろしてたら、いつか大怪我するぜ」
「ご忠告、ありがとうございます」
私は素直に頷いた。
「私も、国民のためにやれることはしておこうと思っておりますので」
「……変わった聖女様だな」
ガルドが鼻を鳴らす。
「前の聖女様は、帝国に逃げようとして殺されたり、すぐに死んじまったり……。民を扇動して革命を起こして、そのまま消えた聖女もいたって聞く」
少し間を置いて、続ける。
「でも、ソルは……なんつーか、不思議だ。危なっかしいのに、目に力がある」
「私も、他の聖女と変わらないですよ」
そう言って、軽く息を吐く。
「ただ、普通に暮らすためには……まず、環境から変えないといけないと思っただけです」
ガルドは一瞬だけこちらを見て、すぐに視線を逸らした。
「……困ったことがあったら、俺に相談しな」
「ありがとうございます」
私は小さく笑う。
「ガルドの鼻は便利そうですからね。いつかお願いすると思います」
「前もそんなこと言ってたな」
「今回は、近いうちに本当にお願いするかもしれません」
ガルドは苦笑し、肩をすくめた。
「……やれやれだな」
ガルドと別れたあとは湯浴みをしてベッドに潜り込んで昼まで寝た。
血の匂いした聖女にも何も言わないのはガルドの優しさか配慮かは知らないが、いつか彼にも真実を伝える日が来るかもしれない。
▽
太陽が燦々と照りつけ、気温は高い。
それでも湿度が低いせいか、直射日光さえ避ければ比較的過ごしやすい陽気だ。
大聖都ミレニアにも、いよいよ本格的な夏が到来したらしい。
流石にこの暑さの中を徒歩で移動するのは骨が折れる。
時間も惜しいので、乗合馬車を利用して東門の職人街へ向かった。
ミラーナの自宅兼工房の場所は、すでに把握している。
途中で馬車を降り、残りは徒歩で向かう。
目的の家の前に立ち、軽く息を整えてから声を掛けた。
「こんにちは。ミラーナさんはご在宅でしょうか」
返事はない。
一瞬、嫌な予感が脳裏をよぎる。
まさか、また――。
考えを振り払うように、今度は少し強めにノックをした。
次の瞬間。
玄関の扉が勢いよく開き、同時に棒状の物体が振り下ろされる。
ぱしっ、と乾いた音。
私は片手でそれを受け止めた。
軌道も、威力も、脅威になるほどではない。
「あっ……え?」
扉の向こうから、見覚えのある顔がひょこりと覗く。
「……もしかして、ソルさん?」
ミラーナ=クロウニットだった。
「ミラーナさん。いきなり物騒ですね」
「いや〜、本当にごめんって! 昨夜、こんな感じで襲われたばっかりでさ。もう、警戒心が限界突破してて〜」
彼女はそう言って、苦笑しながら棒を下ろした。
言いたいことは分かる。
昨夜、訪問者が人攫いの盗賊だとは知らず扉を開け、酷い目に遭ったのだ。
もし、私とリュミエルが数分でも遅れていたら、彼女は今頃、奴隷として売られていた可能性が高い。
そう考えると、背中にひやりとしたものが走った。
「立ち話もなんですから、中へとうぞ〜」
陽気な声と共に、ミラーナの工房へとお邪魔することとなった。




