拉致
職人街東門近くの奥まった場所に自宅兼工房がある。そこには女性が一人、真剣な顔で目の前の衣装と珍しい魔物素材を睨見つけている。
衣装は精巧な作りとデザインでこれに手を加えるとなるとデザインが崩れて勿体ない。しかも裏地に特殊な魔法陣が編み込まれていて、それを読み解くにも時間と労力がかかる。
しかし、衣装を見つめるミラーナ=クロウニットには、これを着る存在を想像するだけで興奮が抑えきれずいた。
「二代目が久々に来たと思ったら、とんでもない物を持ち込んだわね。報酬なんかより、この衣装と素材を使える方が価値が高くて困っちゃうわ」
口ではそういうが、頭の中では衣装と素材を組み合わせたデザインを考え、それを紙に何枚も写す。
「それにしても、この衣装の生地、一級品だし市場で出回る物じゃないわ。出所は……聖王国関係者かしら」
ミラーナはエルフの耳より少し短い耳をピクピクと動かし舐め回すように漆黒の衣装を見つめる。
彼女は魔法裁縫師。
性格は陽気で自由奔放、だが裁縫については天才で、魔力を使った強化術式「魔縫い」によって衣服に魔法効果を持たせる職人だ。
「まずは、この衣装に縫い込まれた魔法陣の解析ね」
そう呟き、徹夜を覚悟して作業台に向き直ろうとした、その時だった。
コン、コン――。
控えめなノック音が響く。
無視して作業を続けようとしたが、次の瞬間。
ドン、ドン、ドンッ!
激しく扉を叩く音が、工房全体を震わせた。
「あーもうっ! 今いいところなのに!」
苛立ちを隠しもせず、ミラーナは玄関へ向かう。扉を開けた瞬間、覆面をした男が雪崩れ込むように室内へ踏み込み、背後からミラーナの口を塞いだ。
「むがっ――!」
腕を取られ、床に押し倒される。
喉元に、冷たい感触。
「騒ぐな。騒いだら殺す」
ナイフの刃が視界に入る。
ミラーナは一瞬で理解した。抵抗すれば終わりだと。
「……」
力を抜いたのを確認すると、男たちは手際よく彼女を簀巻きにし、担ぎ上げる。
工房の灯りが揺れ、次の瞬間には扉が乱暴に閉められ、ミラーナ=クロウニットは、夜の闇へと連れ去られた。
東門を抜け、馬車をしばらく走らせた先に、男たちのアジトがあった。
もともとは小規模な盗賊が使っていた古い根城だが、今はタイガー商会の下部組織である盗賊団が力づくで奪い取り、そのまま居座っている場所だ。
彼らはここを拠点に街道を荒らし、盗品や略奪品を闇商人へ卸して金に換える。
盗賊行為と裏取引、それが彼らの日常だった。
そんな盗賊団に、最近ひとつの命令が下っている。
グランデル商会の取引先を襲え。
関係者を見つけ次第、拉致しろ。
それだけの、単純で都合のいい命令だ。
盗賊団の人間たちは、大聖都ミレニアの内側と外側に散り、商隊や関係者を監視していた。
護衛付きの商隊には返り討ちに遭うことも多かったが、街の中は話が違う。
人混み、路地、夜。
そして今回は運良く、一人の女を拉致することに成功した。
「で、この女はどうするんだ?」
縛られ、床に転がされた女を見下ろしながら、男の一人が笑う。
「グランデル商会の関係者を拉致した後は、殺すも犯すも好きにしていいらしいぜ」
「そりゃ上等だ。飽きたらドルドンの奴隷商に売っぱらって金にしよう」
下卑た笑いが、アジトの中に広がった。
そこそこ規模のある盗賊団ではあるが、所詮は盗賊だ。
大半は私利私欲で動く人間ばかりで、統制など形だけ。
命令違反も、勝手な判断も日常茶飯事で、まともに命令を守って動く者はごく一部に過ぎない。
彼らにとって命令とは、「金になる口実」でしかなかった。
――その判断が、致命的な間違いだとも知らずに。
▽
ヨアンから聞いていた工房の場所へ向かう途中、路地の先から、慌ただしい気配が飛び出してきた。
数人の影。
馬車へ何かを積み込み、乱暴に扉を閉める。
嫌な予感が胸を刺す。
「……今の集団、怪しいですね」
急ぎ足で近づくと、扉が開け放たれたままの家が目に入った。
「ソルフィーユ様。ここがミラーナ=クロウニットの工房で間違いありません」
「……遅かった、ですか」
だが、諦めるには早い。
「さっきの馬車、急げば追いつけるかもしれません」
二人が路地を抜けた時には、馬車はすでに東門を潜り、大聖都ミレニアの外へと走り去った後だった。
「リュミエル、追います!」
「了解しました!」
夜の街を抜け、馬車の後を追って二人は駆け出した。
普段からランニングを続けているおかげか、初期と比べて明らかに疲れにくくなっている。
神経を最大限研ぎ澄ませて動いていることもあるが、暗殺者として積み重ねてきた経験と、魔力を微細に循環させる身体強化、の両方が噛み合っているのだろう。
背後をちらりと確認すると、リュミエルが遅れずについてきていた。
彼女も身体強化を使っているようで、足運びは静かで安定している。
時折、こちらを盗み見るような視線を感じる。
言いたいことがあるのだろう。
説明は必要だ。
だが、それは今ではない。
「あそこに……光が見えます!」
リュミエルが声を潜め、前方を指差した。
闇の中に、ぼんやりと浮かび上がる影。
古い砦の輪郭だ。
外には数名の見張りが配置され、松明の炎がゆらゆらと揺れている。
警戒はしているが、動きは雑だ。
緊張感よりも、慢心が先に立っている。
(……なるほど。盗賊の拠点としては、悪くないが――)
私は歩みを止め、呼吸を整える。
ここから先は、音も光も許されない。
奪う側から、狩る側へ。
砦の外壁に沿って、私はゆっくりと距離を詰めた。
足裏に伝わる地面の感触、風向き、松明の揺れ、すべてが計算の中に収まっていく。
見張りは三人。
配置は甘い。互いの死角を理解していない。
私は指を一本立て、リュミエルに合図を送る。
――動くな。
彼女は小さく息を呑み、頷いた。
一人目は、松明を壁に立てかけていた男だ。
炎に意識を奪われ、背後の闇を完全に捨てている。
距離、三歩。
魔力をほんの僅かに流し、足音を消す。
呼吸を合わせ、影が重なった瞬間――。
手刀を顎下に当て、脳を揺らす。
音は出ない。男の体は力を失い、そのまま私の腕の中に落ちた。
地面に寝かせ、松明を静かに倒す。
炎が揺れ、だが声は上がらない。
二人目は、それに気づいた。
「……ん?」
振り向いた瞬間、既に遅い。
私は壁を蹴り、斜めから距離を詰める。
短剣を使う必要ない。
喉元を掴み、息を塞ぐ。
男は抵抗しようと腕を振るが、力が入らない。
十秒も経たず、身体が弛緩する。
次は三人目。
背後から近づき、首に腕を回す。
関節を少しだけ捻る。
乾いた音。
砦の外は、再び静寂に包まれた。
三人目は、異変を理解する前に終わった。
仲間が消えた理由を考える時間すら与えない。
私はゆっくりと振り返り、リュミエルを見る。
「……見張りは片付けました。あまり時間をかけたくありませんので、手早く潜入します」
「…………」
彼女は言葉を失い、ただ頷いた。
砦の中からは、笑い声と酒の匂いが漂ってくる。
まだ、何も気づいていない。
私は扉に手を掛け、音を殺して開いた。
砦の内部は、外とは別の意味で騒がしかった。
酒の匂い、油の焦げた臭い、下卑た笑い声。
盗賊たちは完全に油断している。
私は壁沿いに進み、開け放たれた一室の前で足を止めた。
――ここだ。
中を覗く。
薄暗い部屋の中央、柱に縛られた女性が一人。
乱れた髪、口を塞ぐ布。
だが、その瞳は死んでいない。
ミラーナ=クロウニット。
彼女の前に、二人の盗賊が立っていた。
「へへ……怖がるなって。すぐ終わるからよ」
「職人ってのは、指が大事だよな? 折る前に楽しませてもらうぜ」
ナイフが、布越しに顎を持ち上げる。
ミラーナは必死に首を振るが、声は出ない。
それでも、その目だけは必死に周囲を観察し、チャンスを伺っている。
――逃げ道はない。
――時間もない。
その瞬間、頭に血がのぼったリュミエルが扉の前に立ち、次の瞬間、扉が外側から蹴り破られた。
同時に、彼女は一気に踏み込み、外套で隠れている左手のガントレットで一人を殴り飛ばす。
壁に叩きつけられた盗賊は、呻き声を上げる間もなく沈黙した。
「な、なんだと――」
残った男が慌ててナイフを向ける瞬間、私は既に背後にいた。
顎に一撃。
膝が崩れ、床に沈む。
時間にして、三秒もない。
部屋に残ったのは、荒い息と、縛られたままのミラーナだけだった。
リュミエルが素早く彼女に駆け寄り、口の布を外す。
「大丈夫ですか!」
「……はっ……」
ミラーナは一度、大きく息を吸い、震える声で言った。
「……あなたたち、正気じゃないわね」
その視線が、ゆっくりと私に向く。
「でも……助かった。ありがとう」
私は短く頷く。
「話は後です。ここはまだ敵地ですから」
外では、まだ笑い声が続いている。
盗賊たちは、何も知らない。
自分たちの拠点が、既に内側から崩れ始めていることを。




