細道での襲撃
ヨアンとの話を終え、月光の牙とも別れを告げ、私たちはグランデル商会をあとにした。
銀翼の騎士団の隊員たちは二人一組で巡回し、夜は近くの宿や酒場を確保して、正面のタイガー商会に睨みを利かせている。
騎士団が張り付いている以上、さすがに正面突破で殴り込む馬鹿はいないらしいが、油断は禁物だ。
行きと同じく、帰りも徒歩で帰る。
理由はただひとつ。
監視している連中を、あぶり出すため。
人の波が途切れた細道に入ったところで、私は小声で囁く。
「……付けられていますね」
気配の読みはソルフィーユの肉体でも健在だ。
視線を向けずとも、相手の数も足取りも把握できている。
「左様でございますか。取り押さえますか?」
リュミエルの指が、外套の内側、聖騎士の常備短剣へ伸びかける。
「折角ですから、私の実力をリュミエルに見てもらいましょう」
「え?」
彼女の足が止まった。
驚きと困惑が同時に浮かんで、胸元のメダルがかすかに揺れる。
「わ、わたくしに、ですか? ま、まさか……その、サイファの……?」
「そんな顔をしなくても大丈夫ですよ。殺しません。……たぶん」
「た、たぶん!?」
声がひっくり返った。
やはり、この反応を見るのは楽しい。
リュミエルが慌てる間にも、背後の足音はわずかに速くなる。
距離十五歩。
右側に一人、左に一人。後方の陰にもう一人。
恐らくタイガー商会の下っ端連中だろう。
「リュミエル、ここから先は――」
ソルフィーユは軽く笑みを浮かべ、歩いてきた道を振り返った。
掌の中で転がしていた金貨を、指先で弾く。
キン、と短い金属音。
弾丸のように飛んだ硬貨は、先頭の男の眉間に吸い込まれ――
「ぎゃっ!?」
情けない悲鳴を上げて男が蹲った。
残り二人は即座にナイフを抜き、夜気を裂くように構える。
慌てるどころか、動きが妙に手慣れている。タイガー商会の下っ端ではなく、軽武装の実働要員と見ていい。
「ソルフィーユ様、加勢いたしましょうか?」
リュミエルの声は真剣だ。手は既に柄に触れている。
「大丈夫です。……見ていてください」
静かで、確信に満ちた声。
その瞬間、男たちが一斉に襲いかかった。
「動くな! 大人しくしろ!」
「嫌です」
短い言葉と同時に、最初のナイフが横薙ぎに迫る。
ソルフィーユは見るより先に身体を傾け、刃の軌道から紙一重で外れる。
次の瞬間、相手の手首に自分の前腕を滑り込ませて角度を逸らす。
ナイフを持った相手に素手で挑むのは無謀。
だが、サイファにとっては日常の手作業に過ぎない。
(刃は怖くない。振るう腕の癖を読むだけでいい)
一撃目をいなしながら足を払うと、男が地面に崩れ落ちる。
落ちた瞬間、ソルフィーユは足先で相手の顎を蹴り上げ、強制的に意識を手放させる。
「あなたたち、本当に近接戦が下手ですね」
呟きながら、二人目が背後から振り下ろすナイフへ身体を半回転させる。
刃が通る位置を正確に読み、すれ違いざまに肘を男の鳩尾へめり込ませた。
吐き気を伴う呼気が漏れ、男は崩れ落ちる。
数秒――それだけで戦闘は終わった。
殺しはしない。
だが、戦えなくする程度なら、迷いはない。
静寂の戻った細道を、リュミエルがぽかんとした顔で見つめていた。
「ソ、ソルフィーユ様……え、今の……その……な、何を、どうやって……」
「簡単な基礎です。リュミエルもいずれ覚えますよ」
「お、お覚えたくありません……!」
「そうですか? 多趣味なリュミエルなら超近接戦闘くらい興味あると思ったのですが……」
ソルフィーユは軽く肩をすくめる。
至近距離で呼吸が触れ合うような攻防、刃と指先の差で生死が決まる世界――。
それはサイファにとって、最も慣れ親しんだ遊び場のようなものだ。
(前世では、同じ技量の相手は全員殺してしまって練習相手がいなくなった。リュミエルが覚えてくれたら、久しぶりに練習ができるのに)
「サ、サイファ……いえ、ソルフィーユ様の実力は理解しました。正直……私の護衛など必要ないのでは、とすら思ってしまいます……」
「駄目です。リュミエルは私に誓ってくれたでしょう。私の目的を達するまで、そばにいてください」
「もちろん、離れるつもりはございません。ですが……ソルフィーユ様がここまで圧倒的だとは思いませんでした」
「相手が弱かっただけですよ。生前はね、気を抜いた瞬間に死ぬのが普通でした」
「ええ……前世の世界怖すぎます……」
リュミエルが心底引きつった顔でつぶやく。
「そんなに怖がらないでください。私の世界では、あれは日常だったんです」
「そこが怖いんです……!」
リュミエルが怯えるのも無理はない。
今になって思えば、私自身もソルフィーユとして生きている限り、あれを“日常”だとは到底思えない。
もっとも、ソルフィーユの日常が普通だったかと言われれば、それも違うのだが。
「さて……問題は、なぜこの人たちが私たちを襲ったのか、ですね」
「尋問しますか?」
「答えるとは思いませんが……折角です。騎士団に引き渡しましょう。それほど距離も離れていませんし、私がここで見張っておきます」
「承知しました。全速力で銀翼の騎士団二番隊を連れてきます」
リュミエルはそう言い残すと、迷いなく細い路地へと駆け出していった。
足取りは軽い。聖騎士としての訓練がよく身に付いている。
「さて……」
私は男たちに視線を戻す。
「尋問という名の拷問でも、始めますか」
男たちの装備からベルトを外し、腕と足を素早く縛り上げる。
三人まとめて固定すれば、反撃の余地はない。
「ほら、起きろ」
最初に倒した男、硬貨の跡が額にくっきり残っている男の頬を、遠慮なく引っ叩いた。
「う……いってぇ……」
「目は覚めたか? なぜ私たちを襲った?」
「……」
答えない。
私は懐から少し大きめの硬貨を一枚取り出し、男の鼻孔に押し込んだ。
「あガガガッ! や、やめろ!」
「やめろと言われて、やめる人間がどこにいる?」
二枚目を無理やり押し込むと、男の鼻があり得ないほど広がった。
人間の鼻孔というのは、思った以上に柔軟らしい。新発見だ。
三枚目の硬貨を取り出したところで、男は涙と鼻水を垂らしながら叫び出す。
「やめてくれ! 頼む!」
「では、なぜ襲ったのか、さっさと吐け」
「ぐ……グランデル商会に出入りしてる怪しい奴を捕まえろって……上から命令されただけだ……!」
「上とは誰だ?」
「タイガー商会の伝令役だ! 名前までは知らねぇ! 俺たちは末端の構成員なんだ!」
「……その割には」
私は男たちの装備を一瞥する。
「装備も統制も取れていますし、動きも早い。末端というより、タイガー商会の実行部隊、そう見えますが?」
男は視線を逸らし、歯を食いしばった。
私は何も言わず、その頬を叩く。
特定の角度で衝撃を与えれば、脳が揺れ、意識と平衡感覚が一瞬で乱れる。
「おえぇ……」
「グランデル商会に出入りしている怪しい奴とは、どういう基準ですか? 普通の客も大勢いるでしょう」
返事を待たず、同じ角度でもう一度頬を叩いた。
「う……うぁ……。言う、言うからやめてくれ……」
男は涙声で続ける。
「ヨアン=グランデルと親しくしてる奴とか……普段見ない顔の奴とかだ……。あんたと、もう一人……女も怪しかった。だから、とりあえず襲って拉致しようって……」
「なるほど。では――」
私は一歩近づき、視線を落とす。
「ヨアン=グランデルと交流のある職人も対象に含まれますか?」
「……っ、ああ。そうだ」
男は観念したように頷いた。
「他の連中が、グランデル商会お抱えの職人を襲うって話をしてた……。今夜にでも、動くはずだ……」
そこまで聞いたところで、私は再び頬を叩いた。
男の意識は、そのまま綺麗に飛んだ。
情報としては十分だ。
これ以上こいつからは得られる情報と時間はない。
(ミラーナ=クロウニット……狙われている可能性が高い)
ヨアンが接触しているところを見られていたと考えるのが自然だ。
今夜、動く。時間はない。
「ソル様!」
振り返ると、細い路地の向こうからリュミエルが駆け寄ってきた。
その背後には、銀翼の騎士団二番隊の姿が見える。
「リュミエル、ご苦労様です。――早速ですが、行くところができました」
「どちらへ?」
「職人街です。急ぎましょう」
「承知しました。ここは騎士団に任せて、すぐ移動します」
私は一度だけ男たちに視線を向け、踵を返した。




