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毒草採取、大聖都ミレニアの外へ

「あら、聖女様。惜しげもなくミレニア大聖堂の図書室へ通っていただけるなんて、とても勤勉ですね」


 図書室に足を踏み入れた瞬間、エストラ=ノワレ司書長の落ち着いた声が響いた。眼鏡の奥にある瞳は、まるで書物そのもののように静かな光を宿している。


「ノワレ司書長が貸してくれた本は、本当に役に立つものばかりで、勉強が捗っています」


「お役に立てて何よりです」


「質問なのですが、ノワレ司書長は本がどこに何があるって、すぐに分かるものなのですか?」


「慣れですね」


「慣れ、ですか……」


 経験で場所を把握するのは理解できる。しかし、誤差ひとつなく配置や順番まで覚えているのは異常としか言いようがない。まるで図書室全体が、ノワレの脳内に丸ごと保存されているようだった。


「今日は何をお探しですか?」


「薬草について詳しく載っている書物を探しています」


「それでしたら、Eの棚の上から二段目。右から五冊はすべて薬草と毒草の関連書です」


 ノワレは一切考える素振りもなく即答した。ネットアーカイブを検索するより速い。情報量に限りはあるが、この女の記憶力は桁違いだ。


 言われた通り棚へ向かうと、確かに『食用野草のすすめ』『薬師になる為には』『庭弄りの極意』『魔物駆除に使う薬品について』『薬も毒になる』の五冊が並んでいた。


 ざっと目を通すと、中にはメモに近い雑多な内容もあったが、丁寧な挿絵が添えられた専門的な書物もある。書いた人物の研究熱心さが伝わってきた。


 五冊を抱えてカウンターへ戻る。


「これを借りたいです」


「薬草に興味があるのですか? それとも毒草?」


「体が温まる薬湯に浸かりたいと思っていて。毒も使い方を間違えなければ薬にもなると聞いたことがあります」


「薬湯……どこかの山奥にそんな温泉があると聞きましたね。もし薬湯ができたら、少し分けてくださいますか?」


「もちろん。できるまで少し時間はかかると思いますが」


「構いませんよ。気長に待っています」


「ありがとう。それでは」


「何か分からないことがあれば、いつでもいらしてくださいね」


 軽く会釈して図書室を後にし、私室へ戻ると、すぐに薬草と毒草の研究を始めた。これからの計画のために、知識は多いほどいい。

 


 次の日から、図書室で仕入れた知識を頼りに、『大聖都ミレニア』の外壁の外へ出て少し離れた森へと足を運ぶようになった。同行するのはリュミエル。

 魔物は少ない区域とはいえ、油断すれば簡単に命を落としかねない。

 知識としては魔物がいるとことは知っていたが、動物と魔物の違いがよくわからないので、実際に捕まえて観察してみたい気持ちがある。


「ソルフィーユ様、あまり奥に行くと魔物と出くわす危険がございます」


「リュミエルがやっつけてくれるでしょ?」


「そ、それはそうですが……ソルフィーユ様に万が一があったら私は……っ」


「万が一なんて起きないわ。ほら、もっと奥へ。この先に目的の物があると思うの」


 リュミエルは神経を張り詰めているが、俺は百メートル圏内の気配を把握していた。怪しい反応はない。今のところ安全だ。


 森の木漏れ日の奥へ進むと、日陰に群生する低い草が目に入った。葉の形、色、湿り気のある土壌、図書室で見た挿絵と一致する。


 クララ草。


 葉には止血と殺菌効果や保湿効果などあるが、今回の目当ては根に含まれる麻痺成分だ。マークインを事故として処理する為の重要素材である。


「ソルフィーユ様、奥から真っ直ぐこちらへ向かってくる気配があります!」


「あら、困ったわね。対応できる?」


「お任せください!」


 リュミエルの警戒と同時に、ソルフィーユの気配察知にも反応があった。巨大な猪、ホルスタインの牛ほどのサイズで、牙が湾曲し、突進すれば樹木ごと薙ぎ倒すほどの質量だ。


 ソルフィーユはすばやく木陰に身を隠す。一方リュミエルは剣に手を添え、真正面から構えた。


 ジャンボ猪は唸り声とともに地面をかき、直線で突進。トラックの衝突のような勢いだ。


 だがリュミエルは相手の動きをよく観察し、半歩だけ右へ体をずらす。そのまま剣を抜き、すれ違いざまに腹部へ切りつけた。


 ジャンボ猪が『ぴぎぃい!』と悲鳴を上げる。


 サイファとしての経験でも、リュミエルの戦闘技術は酒場で殺した騎士とは比べものにならないと分かる。突進、切り返し、方向転換、そのすべてに無駄がない。


 何度も仕掛けてくる猪は、そのたびにカウンターを受け、切り傷を増やし、動きの勢いが落ちていく。そして――。


「トドメッ!」


 リュミエルの剣が首元を捉え、巨大な体がどさりと崩れた。鮮やかな太刀筋に、思わず拍手をしたくなるほどだった。


「ソルフィーユ様。この魔物はどうしましょうか?」


 そもそも魔物って食べられるのだろうか。

 食べてお腹を壊すことはないのか疑問だ。


「騎士団の厨房に送ってあげたらどうかしら?」


「おお、それは皆が喜びます! 聖女様と二人で狩ったと言えば、騎士団は涙しますよ!」


 ……そんな大袈裟な、と心の中でつぶやく。

 そして、この魔物食べられるのかと驚きだ。


「ところでソルフィーユ様、その籠に沢山入っているのは何ですか?」


 籠の中には野草がびっしり詰まっていた。もちろん目的のクララ草の根もしっかり確保してある。


「本日の目的の物ですよ」


 目的の薬草を手に入れるのに思ったより時間を費やしてしまったこで、あまり時間がない。バラン公爵夫人の誕生パーティーまでに効能を一通り試し、即座に使える状態にしておく必要がある。実戦で『効きませんでした』では命取りになる。


 静かに籠を抱え直し、森の出口へ向かった。

 計画の準備は、ここからが本番だ。

 


 大聖堂の奥にあるテラス。その横には、陽光を受けて温かさを保つ広い温室がある。歴代の聖女が薬草を育てたり、瞑想に使ったりしてきた場所らしい。空いている小部屋を借りれば、作業場として申し分ない。


 以前、土いじりをしたいと話した時、管理人があっさり許可してくれた。その小部屋が今日の工房だ。薬物を作るには、視線が届かず、音も漏れにくい理想的な空間である。


 今回は乾燥や粉末作業は行わない。乾燥には数日かかるし、急ぎの仕事には向かない。確実に効果を得るため、クララ根を生のまま圧搾し、麻痺成分を抽出することに決めた。道具が足りないのは仕方がないが、頭を使えば代替はできる。


「リュミエル。私はしばらく温室の工房に籠もります。あなたは適当にしていていいですよ」


「え、あ……はい」


 小手を外し、腕まくりまでして完全に手伝う気だったらしい。かわいそうだが、毒物の調合に目撃者は不要だ。工房からリュミエルを押し出し、扉に鍵をかける。


 静かな空間に一人。作業を始めるには十分な環境だ。


 まず、籠からクララ草を取り出し、根と葉を分ける。目的は根の麻痺成分。葉は別の用途になるため脇へ避けた。


 根を水桶に沈め、丁寧に泥を落とす。指先にまとわりつく粘り気が次第に取れ、表皮が滑らかになっていく。よく水気を切り、ナイフで外皮を薄く削ぐ。生姜のような淡い色が露わになった。


 それを細かく刻み、香りが強く立たないようゆっくりと綿袋へ移す。袋の口を固く縛り、即席の圧搾機にセットした。


 油圧ポンプなど望むべくもない世界だ。代わりに、鉄柱に袋を吊り下げ、下部に括りつけた棒を回して捻り、圧力で液体を搾り出す。

 極めて原始的だが、構造としては正しい方法だ。袋が幾重にもねじれていくたび、きしむ音とともに透明に近い液体がしずくとなって落ちていく。


 ぽたり。ぽたり。


 受け皿に落ちた液体は、淡い黄緑色をしていた。刺激臭はないが、ほんのりとした土の匂いがある。クララ根の成分が溶け出した証拠だ。


「……悪くないな」


サイファとしての経験が、搾り出した液体の粘度と色を見て当たりだと告げた。しかし圧搾液だけでは不純物が多い。そこで鍋を火に掛け、逆さにした金属蓋をのせ、中央に小石を置く。熱で内部が蒸され、立ちのぼった蒸気が冷えた蓋の裏に水滴となって集まる。


 ぽたり、ぽたり。


 蓋の中央で集まった水滴が、置いておいた小皿に落ちていく。色も匂いもほとんど無く、麻痺成分だけが抽出された蒸留液だ。圧搾液より遥かに純度が高く、扱いやすい。


 パーティー当日。これをほんの一滴、マークインの杯に落とすだけでいい。


 ソルフィーユは小皿を持ち上げ、透き通った液体を光にかざす。満足げに息をついた。これで準備の第一段階が整った。

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