広場での惨事
翌朝。
グラン=テルムの広場は、張り詰めた空気に包まれていた。
西の森を警備や探索していた部隊が、複数の魔物の襲撃を受けたという。
そして、耳に入って来たのは死傷者多数という言葉。
ソルフィーユは宿で朝食をとっていると、宿に来た住民がそんな話を報せを店主に伝えていた。
そんな会話に聞き耳を立てていたソルフィーユは即座に可能性を組み立てる。
帝国の人造魔兵。
あるいは、フォレストエイプのような統率された群れ。
いずれにせよ、偶発的な遭遇ではない。
リュミエルは屋敷に呼ばれている。
待つという選択肢はなかった。
「ちょっと、聖女様どこにいくの?」
「広場の様子を見に」
「リュミエルが居ないのに勝手に外に出回れても困るんですけど」
「なら付いて来てください」
「あっ! こら! あーもう!」
セレナはソルフィーユの背中を慌てて追いかけ、そのまま広場へ向かう。
二人が広町の広場に到着すると、石畳の上に布が何枚も敷かれていた。
その上に、十数名の負傷者が横たえられている。
裂けた鎧、抉られた傷口。
血の匂いが朝の冷気に混じっている。
うめき声が、あちこちから漏れる。
その傍らで、膝をつき、泣き崩れている者もいた。
動かぬ兵士の手を握り、名を呼び続ける声が途切れ途切れに響く。
戦場ではない。ここは町の広場だ。
それでも、現実はすでに悲しみと戸惑いの色が侵食している。
ソルフィーユは一歩踏み出した。
迷いはない。救える命がまだここにある。
「重症者から治療します。責任者の方は?」
広場に響くよう、はっきりと告げる。
間もなく、装備の整った一人の男が歩み寄ってきた。
無駄がない動作だが、ソルフィーユに向ける視線は鋭い。
「お前、この町の者じゃないな。治療師か?」
「そのようなものです。隣のエルフ族は精霊魔法を扱えます。手分けして負傷者の治療にあたりたいのですが、宜しいですか?」
男はソルフィーユを頭から足先まで値踏みするように見ると、わずかに鼻を鳴らす。
「治療師は一人でも多い方がいい。報酬は後で払う。怪我人を頼む」
短く言い残し、踵を返す。
広場の端へ向かう背に、数名が付き従った。動きに無駄がない。戦闘訓練を受けた従者だと分かる。
「なによ、あいつ。偉そうに」
セレナが小声で毒づく。
だが、態度から察するに相応の地位にある人物だろう。今は感情より優先すべきものがある。
ソルフィーユは視線を負傷者へ戻した。
「セレナ、出血の多い者から。私は神力で危険な人から一人ずつ治します」
「わかったわ」
広場は騒然としている。だが治療は静かに、正確に進めるしかない。
救える命を、ひとつでも多く。
セレナが軽症者の治療に取りかかったのを確認し、ソルフィーユは一人の男のもとへ歩み寄った。
顔は青白く、唇は紫に変色している。
呼吸は浅く、途切れ途切れ。
家族が名を呼び続けているが返答はない。
命の灯は今にも消えようとしていた。
ソルフィーユは静かに膝をつき、そっと虫の息の男の胸に掌を置いた。
周囲の家族は戸惑いの表情を浮かべる。
だが次の瞬間、その顔が凍りついた。
淡い光が、掌の下から広がる。
腹部に大きく抉れていた傷が、ゆっくりと塞がっていく。
裂けた皮膚が結び直され、肉が再び形を取り戻す。
青ざめていた顔色に血の気が戻り、紫だった唇が健康な色へと変わる。
やがて、男の呼吸が深く安定する。
まぶたが震え、ゆっくりと開いた。
「あなた!」
涙混じりの声が弾む。
「……ん? 俺は、一体……」
まだ状況を理解できぬまま男は弱々しく呟いた。
その周囲で安堵の息が一斉に漏れ、広場の空気がわずかに変わった。
「さあ、次はどなたですか?」
声を張ると、あちこちから手が挙がる。
選んでいる時間はない。
ソルフィーユは最も容体の悪そうな者へと歩み寄り、次々に『治癒』を施していく。
掌から溢れる神力の光が、朝の広場を淡く照らす。
裂けた傷が閉じ、砕けた骨が繋がり、途絶えかけた呼吸が戻る。
そのたびに、広場に集まった人々の間にどよめきが広がる。
やがて、誰かが小さく呟いた。
「……聖女様だ」
「本物なのか?」
その言葉は波紋のように広がり、広場を満たしていく。
大小さまざまな怪我を癒し続ける。
セレナも精霊魔法で傷を塞ぎ、出血を抑え、連携は淀みない。
結果、広場に運ばれた生存者は、誰一人として命を落とすことなく救われた。
だが、代償は確実に蓄積している。
器に満たされた神力は無尽蔵ではない。
枯渇しかけるたび、ソルフィーユは己の魔力を削り、少しずつ神力へと変換して補う。
体の奥が熱を帯び、わずかな眩暈が走る。
「聖女様……うちの主人を救ってくださり、ありがとうございます。このご恩は一生忘れません」
「お父さんを助けてくれてありがとう!」
気づけば、周囲には人垣ができていた。
涙を流す者。
深く頭を下げる者。
子どもが無邪気に袖を引く。
ソルフィーユは慌てて首を振り「務めを果たしたまでです」や「女神様のお導きがあっただけです」と人々に伝える。
そう答えながらも、胸の奥で静かに息を整える。
救えた命の重みが、今さらのように実感として押し寄せる。
怪我人を救えたのは良かったが、運ばれてきた時点で既に息を引き取っていた人は救えなかった。
亡くなった方の親族からは「何故、私の夫は治せないのですか」と言われたとき、ソルフィーユの胸を締め付けるようだった。
死者の傷は治せても、魂だけは治せない。
失った命は神力を持ってしても不可能なのだ。
一瞬、リュミエルの顔が思い浮かぶ。
あの奇跡は二度も出来るとは思えない。
結果、リュミエルに大きな枷が出来たのも事実。
死者を生き返らそうとする行為は、大きなペナルティが存在すると、ソルフィーユは感じていた。
「ソルフィーユ様、この騒ぎは一体……」
人垣をかき分け、リュミエルが姿を現す。
視線が広場を一巡し、負傷者と、その家族の姿を捉える。
「今朝、大勢の方が負傷して戻られ、治療にあたっていました」
「そうでしたか……」
胸に手を当て、小さく息を吐く。
「フォルキア領内で、魔物の群れが同時多発的に出現しています。西の森だけではありません。各地で被害が報告されているようです」
落ち着いた声音だが、その奥に緊張が滲む。
リュミエルから詳細を聞き、ソルフィーユは状況を整理する。
「魔物災害、ですか。……カレドニア帝国の関与も考えられますね」
人造魔兵の出現は報告されていない。
もしあれが投入されていれば、被害はこの程度では済まなかったはずだ。
だが、群れの統制や同時発生という点は、偶発とは考えにくい。
自然発生か。
それとも意図的な誘導か。
広場の空気はまだ重い。
救えた命と救えなかった命。
その狭間で、次の一手を誤ることは許されない。
「話が変わりますが、領主……私の父ですが、聖女様とお会いになるそうです」
「わかりました。ご挨拶に伺いましょう」
ソルフィーユに感謝の言葉を投げかける人々の中、ソルフィーユたちは広場を後にした。




