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聖女に転生したけど中身は世界最凶の暗殺者でした  作者: じゃむばた
聖女と南ディオール地方編
105/125

父と子

 グラン=テルムに到着して初めての夜。

 ソルフィーユ一行は湖畔の宿に身を落ち着けていた。


 満天の星空の下ソルフィーユは一人、バルコニーに立ち、湖面を眺めている。


 闇の中に小さな灯りが点々と浮かぶ。漁の小舟だろうか。揺れる火は星の欠片のようで、静かな水面に淡く映っていた。昼間の賑わいとは対照的な、穏やかな時間が流れている。


「聖女様〜、リュミエル見なかった?」


 気の抜けた声とともに、セレナがふらりと姿を現す。

 足取りと赤らんだ目元で、酒が入っているのは明らかだった。


「リュミエルは領主の御屋敷に向かいましたよ」


 夕刻、町の喧騒の中でふと落ちた影。

 その変化に気づき、「ご一緒しましょうか」と声をかけたが、リュミエルは柔らかく、しかしきっぱりと断った。


 無理に同行することもできた。

 だが、あの表情は――決意の顔だった。


 人には土足で入ってはいけない領域が存在する。

 だから今は見守ることにした。 


 湖面の灯りが揺れる。

 穏やかな夜の下で、それぞれがそれぞれの場所に戻ろうとしている。


 ▽


「旦那様、リュミエルお嬢様がお戻りになられました」


「……部屋に来るよう伝えなさい」


「かしこまりました」


 金の髪を後ろへ撫でつけ、整えられた口髭を指でなぞる。重厚な机の前に座る男は、低く命じた。

 メイド服の女性は一礼し、音もなく部屋を辞す。


 やがて、扉を叩く控えめな音が響いた。


「入りなさい」


 扉が開き、淡い色の部屋着に身を包んだリュミエルが姿を現す。

 昼間の無邪気な笑顔は影を潜め、そこに立つのは領主の娘だった。


「お父様、ただいま帰りました」


 静かに頭を下げると、部屋の空気がわずかに張り詰めた。

 

 リュミエルを見つめる男、エルディアス=ヴァン=フォルキア辺境伯。

 

 親子でありながら、そこには領地を背負う者同士の距離があった。


「もう少し早く連絡を寄こせば、夕食を共にする時間もあっただろう」


「……聖女様の護衛任務がございますので」


「報告は受けている。聖騎士の資格を剥奪されたそうだな」


「大聖都へ戻る頃には、復職の予定です」


 短い応酬の後、沈黙が落ちる。


 用件がないのなら下がろう。

 そう口を開きかけた瞬間、エルディアスはゆっくりと立ち上がり、執務机を離れてソファへと移った。


「どうした。そこに座れ」


 予想外の言葉だった。

 リュミエルは一瞬ためらい、それでも命に従い、向かいのソファへ腰を下ろす。


 エルディアスはグラスに酒を注ぐ。琥珀色が揺れ、静かに光を返す。

 そのまま、娘へ視線を向けた。


「……大聖都での暮らしはどうだ」


「……普通です」


「聖騎士であるお前が、普通なはずがあるまい。話を聞かせてくれ」


 聖騎士となって以来、一度も顔を合わせていない。

 手紙すら交わさなかった。


 父は、自分に興味がないのだと思っていた。


 だが今、その目は違う。


「聖女ソルフィーユ様は、素晴らしい御方です。私が生涯を賭してお護りするに値する方だと、心から思っております」


「生涯を賭けて、か」


 エルディアスは低く繰り返す。


「結婚し、爵位を継ぐつもりはないのか」


 その問いに、リュミエルの瞳が見開かれる。


「兄上が領主を継がれるお話では?」


「ノクティエルは才も力もある。人の上に立つ器も持っていよう」


「ならば――」


「だが、野心が強過ぎる」


 言葉が重く落ちる。


「フォルキア領は、エルフの国――エルヴァシア森王国と隣接している。あやつは森の恵みを得るため、さらに奥へと進出する構想を抱いている」


「……っ」


 リュミエルの背筋が凍る。


「それではエルフたちが黙っていません。今は良好な関係を築けているのです。無用に刺激すれば、争いになります」


 静かな夜の室内で、緊張が確かに形を持った。

 

 リュミエルは、わずかに身を乗り出した。


「兄上は、今どちらに?」


「私兵を連れて西の森を探索し、今日の朝には返ってきた」


 エルディアスはソファーに深く座り直すと、更に続ける。

 

「最近、魔物どもの様子がおかしい。作物が荒らされ、領民が襲われている。失踪者も増えている」


 淡々とした報告。だが、その内容は非常に重く、リュミエルも心当たりがある内容だ。


「……北の森で、フォレストエイプが群れを率いて私たちを襲撃しました」


 リュミエルの言葉に、エルディアスはグラスを手に取る。

 一口含み、静かにテーブルへ戻す。


 そのわずかな間に、思考が巡ったのがわかる。


「フォレストエイプの報告は上がっている。だが、それだけではない。ゴブリン、トロール、オーク、オーガ……複数種の群れが、このフォルキア領周辺の森で確認されている」


「そ、そんなに……? それは、いつからですか?」


「目撃情報と被害の記録を遡れば、およそ三、四ヶ月前だ」


 三、四ヶ月前。


 ソルフィーユが監獄塔へ送られた時期と重なる。


 あの塔で何があったのか。

 問うたことはある。だが、ソルフィーユは一言も語らなかった。


 偶然か。

 それとも――。


「バートリー領でも、魔物の群れに襲われました。中には異型の個体も含まれていました。確証は少ないですが……カレドニア帝国の関係者と思しき人物も確認しています」


 室内の空気が、さらに冷えた。


 魔物の増加。

 異型の出現。

 帝国の影。


 点が、ゆっくりと線を描こうとしている。


 だが、リュミエルは首の内で否定する。


 ソルフィーユが監獄塔へ送られたことと、今回の魔物災害は無関係だ。

 塔で何があったのかは知らない。だが、外で獣王傭兵団と対峙していた時、異変の兆しはなかった。


 偶然が重なっているだけだ――そう考えたい。


 ただ一つ。

 変わったことがあるとすれば。


 父であるエルディアスにも打ち明けられない、あの秘密だけだ。


「……先日、飛竜郵便で報せが届いた。バートリー男爵――当時は準男爵だったか。帝国との繋がりを含め、数々の罪が露見し、自害したそうだな」


「はい」


 短い肯定。


「あえて忠告しておく。聖王国内には帝国の間者や売国の徒が紛れている。今回の件にお前たちがどこまで関わっているかは知らん。だが、軽々しく深みに踏み込むな」


「……心得ています」


「分かっているならよい」


 エルディアスは椅子に背を預けた。


「今日は遅い。泊まっていくのだろう」


「はい。今夜は屋敷に。明日は、聖女ソルフィーユ様をご紹介したく存じます。よろしいでしょうか」


「……構わん。それと――」


 そこで、わずかに言葉を区切る。


「家族だけの時は敬語は要らん。私とお前、そしてノクティエルしかおらぬのだから」


 静かな声音だった。


 領主としての命令ではない。

 父としての、不器用な歩み寄り。


 リュミエルの胸の奥で、何かが小さく揺れた。

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