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聖女に転生したけど中身は世界最凶の暗殺者でした  作者: じゃむばた
聖女と南ディオール地方編
103/123

フォルキア領 北の森

 ペルジーオを出て三日。


 馬車は本来の街道を外れ、まだ薄暗い村道を進んでいた。

 夜明け前の空は淡く、靄に沈んだ家々の輪郭がぼんやりと浮かんでいる。


 門前で馬車が止まる。


 ソルフィーユが降り立ったとき、籠を抱えた女が畑の方から戻ってくると足が止まる。


 視線がマルタに触れた瞬間、籠が滑り落ちた。根菜が土を跳ね、転がる。


「……マルタ?」


 掠れた声が、明け方の冷たい空気透き通るように響く。


 少年が一歩、踏み出すと女は躓きながら駆け寄り、その体を抱きしめた。肩が細かく震え、嗚咽が朝の空気を震わせる。


 リュミエルの呼吸が乱れる。顔を背けた睫毛の先に、光が滲んだ。


 ソルフィーユは視線を空へ逃がした。


 東の端がゆっくりと白み、昇りかけた朝日が、抱き合う二人の背中だけを照らした。


 救えた命が、一つ。

 胸の奥で、救えなかった命の名が浮かぶ。


 ▽


「挨拶はよかったのか?」


 マルタと別れて半日と少し、夜空の下で干し肉を噛みながらガルドが言う。


 焚き火の煙が横に流れる。


「はい。マルタは両親と会えました。私たちは旅を続けます。それだけです」


「村で聖レイディア教の布教でもするのかと思ったが、ソルってあまりやらないよな」


 言い返そうとして言葉が止まる。

 聖典を広げ、頁が乾いた音を立てた。


「ちょっと待て。ここでやるな」


「折角です。皆さんも女神レイディアに祈りを」


 詠み上げる前に、ひょいと聖典が消える。

 顔を上げるとガルドがそれを片手で掲げていた。


 周囲を一瞥する。

 街道から逸れており人目はない。


 咳払いを一つ。


「罰が当たりますよ」


「せめて教会でやれ」


「ガルドは女神レイディアを信じていないのですか」


「信じてるさ。女神レイディア“様”はな。だが、神の名で金を巻き上げる連中は嫌いだ」


 聖典が放られと、ソルフィーユは胸元で受け止める。

 それを見た隣で、リュミエルの眉が寄る。


「……私は金儲けに興味はありません。治療は無償ですし、寄付金には関与しておりません」


「ソルフィーユ様の仰ることは真実です!」


 リュミエルが食べかけの串をガルドに向ける。


「ソルフィーユ様はお金に、まったく興味がないんです! 値切りもしませんし、言い値で買いますし、まとめ買いもしますし……路銀を預かる身にもなってほしいです!」


「冗談だよ。何度かソルの仕事を見ているからな。金に興味ないのは知っていた」


 ガルドが干し肉を噛み直す。

 

「何故、ソルフィーユ様を試すようなことを?」


「……神を信じていない目をしていたから、かな」


 干し肉を持ったままガルドが覗き込むと、焚き火の光が水色の瞳に揺れた。

 その瞳を覗き返すようにソルフィーユは瞬きをしない。


「ソルフィーユ様! この獣人に神の教えを一から叩き込む必要がありそうです!」


 リュミエルが身を乗り出す。


「そうですね。これでも私は聖女です。私を侮辱することは、女神レイディアを侮辱するのと同義。聖典を最後の頁まで読み聞かせるまで、寝かせません」


 聖典を持ち上げる。


「か、勘弁してくれ」


 ガルドが一歩引く。


 焚き火がぱちりと弾ける。


「……緊張感のない連中ね」


 少し離れた岩の上で、セレナが呟いた。


 ▽


 ペルジーオを出て二週間と数日。

 馬車はゆるやかに進み、その先に深い森が広がっていた。

 木々の隙間から射す光が、幾筋もの白い帯となって地面に落ちる。

 

「……」

 

 誰もが森の入口を見ている。

 その中で、リュミエルだけが瞬きを忘れたように立ち尽くし、握った手綱の端がわずかに震えている。


「どうしたのですか?」

 

「……いえ。久しぶりに帰ってきましたから、つい」

 

 リュミエルが視線を落とす。彼女の指先が膝の上で絡まる。 

 森が近づくにつれ、彼女の声は少しずつ低くなっていたことをソルフィーユは思い出す。

 

「里帰りです。ゆっくり羽を伸ばしましょう」

 

 馬車が森の入口をくぐる。

 木々が頭上で重なり光が細くなる。

 

 車輪が根を踏み鈍い振動が足元に伝わると、リュミエルの肩が、その揺れよりわずかに遅れて震える。


 馬車が森道を進む。

 次の瞬間、ガルドとセレナがほとんど同時に飛び出した。

 

「どうしたのですか?」

 

「……数が多い」

 

 ソルフィーユの問いにセレナが短く答える。

 

 森が静まり返る。

 

 ソルフィーユは目を閉じ気を巡らせた。

 木々の向こう。低い位置、右、左。

 ざらりとした視線が肌を撫でる。

 

「リュミエル。囲まれています」

 

「も、申し訳ございません……」

 

 リュミエルの声が揺れる。

 手綱を握る指先が白い。


 森に入る手前から返事はどこか遅れていた。


 馬車が軋みを残して止まる。

 ライナーとバロックが同時に武器を抜いた。

 

「リュミエルは馬車で待機を」

 

 ソルフィーユが前へ出る。

 木立の奥で、枝が軋む。

 

「キキッ」

「ウゥー!」

 

 影が跳ぶ。

 枝から枝へ、茶色の塊が飛び移る。幹が揺れ、葉が降る。

 地面に降り立ったそれが歯を剥いた。

 長い腕。節くれ立った指。握られた石。

 

「気をつけろ! フォレストエイプだ!」

 

 ライナーの声と同時に別の影が動く。


 高い位置。左右に視線が増える。


 鈍い衝突音。

 石が弾かれ、ライナーの盾が震える。

 

「馬車を守れ!」

 

 ライナーの叫びと同時に、セレナが両手を広げた。

 

「風の精霊よ。風の羽衣を纏い、寄せ付けるな――『矢避けの風』」

 

 足元の砂がふわりと舞い、馬車の周囲で空気が渦を巻く。

 飛来した石が目に見えない壁にぶつかったように逸れる。

 枝が軋み軌道を外して地面に叩きつけられ、風が低く唸った。


 蔦を蹴り、高所を渡る影。

 枝が鳴り、上から石が落ちる。

 

 踏み込めば投石。下がれば嘲るような鳴き声。

 距離が詰まらない。

 

「ふむ。ワシの出番かの」

 

 見かねたバロックが前へ出る。

 

 戦鎚の石突きを地に叩きつけると、鈍い衝撃が足元から走る。

 

 幹が震え、葉がざわめく。

 

 木上のフォレストエイプが悲鳴を上げ、さらに高みへ跳ぶ。

 だが振動は止まらない。

 バロックは動じず、地面に戦鎚を打ちつける。

 

「ほれ、土の精霊よ。唸れ衝動、吠えろ地の底から――『大地脈動(だいちみゃくどう)』」

 

 地面が低く唸った。


 馬車を囲む地面が脈打つ。

 土が持ち上がり、沈む。

 幹が軋み、枝が折れる。

 

 高所にしがみついていた影が弾かれ、茶色の塊が次々と落ちる。


 鈍い衝撃音。

 

 裂け目が走る。根がむき出しになり、土煙が上がる。

 すべてが揺れの底へ呑み込まれた。

 

「……バロック、やり過ぎよ」


「馬車の周囲は被害無しじゃ」

 

 鏃が鉄兜を叩く。甲高い音が森に跳ねる。

 

「しかしのお」

 

 悪ぶれた様子もなく、バロックは割れた地面を見下ろす。

 

「あれら、様子が違うわい」


 土煙の向こうに、まだ動く影。

 

「フォレストエイプは群れぬ。あれほど集まり、人を囲むことも滅多にない」

 

「バロック殿の言う通りです」

 

 揺れが収まりきらない地面を見つめたまま、リュミエルが一歩、前へ出る。


「フォルキア領北のこの森には、多様な魔物が棲みます。ですが――フォレストエイプは、もっと南。エルフの国、エルヴァシア森王国が縄張りのはずです」

 

 リュミエルの声が低い。

 

「しかも、群れるなど……聞いたことがありません」

 

「フォルキアの町や村が気になるな」

 

 ライナーの言葉が零れる。

 

 道具を握った影。

 数で押し寄せる魔物。

 人の匂い。

 

 視線を森へ戻すと土煙の向こうで、森がざわめいていた。

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