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殺しの翌朝

 金鎖の騎士団の一派を処理して得られた情報を、頭の中でゆっくり並べ替える。


 リュミエルを襲わせたのは、マークイン戒律補佐官。

 単なる嫌がらせではない。狙いはソルフィーユ、つまり俺への接近経路の整備。

 護衛を弱体化させ、入れ替え、ガンブレイが俺に近づく隙を作るため。


 ……だが、そこに不可解な点がある。


 婚姻を結びたいだけなら、政治的に話を通せば済む。

 わざわざ護衛をリンチする必要などない。

 裏から殴るということは、表で通らない事情が内部に存在する証だ。


 まず、聖王国ディオール側。

 暗殺者を差し向けてまで聖女ソルフィーユを殺そうとした以上、次期聖女の入れ替えを急ぎたい。

 ソルフィーユでは国家大事には使えず、別の器が欲しい。

 これは理解しやすい。


 問題は聖庁側。

 ガンブレイ戒律官の動きは王国と真逆だ。

 ソルフィーユを殺したくない。婚姻を急ぎたい。

 そのメリットが……ほとんど見えない。


 聖女と結婚したところで、国家との力関係が改善するわけではない。

 せいぜいガンブレイ個人の出世が手堅くなる程度。

 だが、それだけであそこまで強引な行動に出るか?

 理屈に合わない。


 メルドラ宰相とガンブレイ戒律官。

 この二人……表向きは無関係に見えるが、裏では別々に走りながら、同じ一点『聖女の価値』だけを争っているように見える。


 どうしてそこまでソルフィーユに固執するのか。

 聖女がただの神力の器ではなく、もっと政治的価値を持つのか。

 それとも、俺の知らないソルフィーユ自身の秘密があるのか。


 いずれにせよ、王国と聖庁の内部は表面以上に腐っている。


 この程度の情報だけでも、十分に掃除しがいがある。



 夜更けに自室へ戻ると、まずリュミエルの気配が無いことを確認し、扉を閉める。浴室の桶に水を張り、肌についた血の匂いを洗い流した。

 一般市民用の服を一日でここまで台無しにしたのは誤算だ。さて、どう言い訳をするか考えながら、白色の髪を軽くかきあげた。


 夜が明け、まだ薄暗い早朝。私室をノックする音が聞こえた。

 廊下を歩くその靴音だけで、俺は誰なのかを察していた。


「どうぞ」


 現れたのは、目の下に濃いクマをつくったリュミエルだった。昨日はあの有様、そして今朝はこの疲労。何をされたのか、場合によっては、サイファはまた数人ほど静かに片付けるだ必要がある。


「お疲れなのですか? 私はまだ寝ていたことにしますから、リュミエルも少し休んでいていいですよ」


「い、いえ……そういうわけにはいきません。ところでソルフィーユ様は、昨夜はあの後どちらに?」


「考え事があったので大聖堂の敷地内を散歩していました」


「そうでしたか……。商業区の酒場で大きな騒ぎがありまして、巻き込まれたのではと心配していたのです」


「商業区の酒場の騒ぎとは?」


「……あまり気分のよい話ではありませんが。他の騎士団の者ですが、知り合いが五人、殉職しました」


「そうでしたか。リュミエルとは親しかったのですか。今日は無理せず休んでいいですよ」


「だ、大丈夫です」


 親しいかどうかに困る理由はよくわかる。嫌っていた相手が死んだとき、人は涙も笑いも正しく表に出せない。

 サイファはそれを知っていた。復讐すらできず消えていく相手ほど、扱いに困るものはない。


「ところでリュミエル、あなたは普通の騎士ではなく聖騎士なのですよね?」


「はい。聖庁直下の近衛騎士です。国王陛下や教皇様の警護が任務となります」


 つまり、リュミエルは選抜された三百名の中の一人。

 下っ端どころか、騎士の中でも選ばれ過ぎた存在だった。

 過酷な門をくぐり抜け、さらに女性でここに立つ者など、片手で数えるほどだろう。


「私はリュミエルが護衛でよかったと思っています。これからもよろしくお願いしますね」


「!? よ、よろしくお願いいたします!」


 言葉にわずかに困惑が走ったが、それも今だけだ。

 彼女にはもっと働いてもらうつもりだ。


「ところで治療依頼の件ですが、相変わらず多いですね。私が断っていることについて、聖庁から何か言ってきていますか?」


「あ、それについては……治療回数を減らしても構わないので、『特定の人物だけでも』お願いできないかと打診が来ております」


「ふぅん。普通なら怒鳴り込んできても良さそうなのに」


「それと……教皇様から。明日のお昼に昼食をご一緒に、とのお手紙が来ております」


「……教皇ねぇ」


 ソルフィーユの記憶に残る教皇の姿が、ふっと脳裏に浮かんだ。

 白金の法衣、柔らかな微笑み。

 だが、近づくほどに胸の奥がわずかに冷える、そんな相手。


 サイファは手紙に指を添える。

 紙片がわずかに震えたように見えたのは、気のせいだろうか。


 面倒なことになりそうだな。……まったく、ソルフィーユ。お前の残した“厄介ごと”は尽きないらしい。


「わかりました。教皇様にお返事のお手紙をお渡ししてください」


「かしこまりました」


 息を吐いた瞬間、胸の奥から冷えた思考が這い上がる。

 マークイン戒律補佐官もいずれ始末する予定だが、その前に目標の位置と繋がりを洗っておく必要がある。焦って近づけば警戒されるだけ。

 自然に距離を詰める方法……ガンブレイの暑苦しい顔が頭をよぎり、思わず眉間に皺が寄った。


「気は進まないが、確認できそうな案件がいくつかあるな」


 毎日届く手紙は山のようだ。治療の依頼、結婚を申し込む愛の狂気、そしてファンレターと、欲望と敬意が混ざった紙束は一日数十、時には百枚を超える。

 初めのころは全部読んでいたが、正気を保つために途中で諦めた。だが、美しい封筒に高位の蝋印が押されている物は別だ。聖王国や聖庁からの正式な文書であることが多い。


 その中に一通、『バラン公爵夫人の誕生パーティー』の招待状があったことを思い出す。そういえば、ソルフィーユ暗殺事件の翌日、夫人の治療予約をキャンセルしたままだった。さすがに申し訳なさが残っている。これを機に顔を出すのも悪くない。


「リュミエル」


「はい」


「来週末、バラン公爵夫人の誕生パーティーがあるらしいけど、招待客を調べられますか?」


「え……参加なさるのですか?」


「以前、治療をキャンセルしてしまったから。そのお詫びだけど、招待客に妙な顔ぶれが多いなら身の安全のために辞めようと思ってる」


 相手、公爵家への配慮をしつつ、リュミエルの感情にもそっと目を配る。聖女の仕事とは言い難いが、あまりに閉じこもっていると怪しまれる。表の舞台に適度に姿を見せる必要がある。


「バラン公爵様に直接問い合わせれば、理由をお話しするだけで招待客リストは手に入るかと」


「そんな簡単に?」

 

「聖女様が来るとなれば、最上級のサプライズです。公爵様も夫人も、歓喜して城を跳ね回る勢いでしょう」


「……そう。それではお願いします」


 リュミエルは丁寧に一礼し、足早に部屋を出ていった。その背を見送りながら、胸の奥で微妙な違和感が揺れる。聖女という肩書きは、思っていた以上に人々の力学を狂わせるらしい。

 もしも、戒律院の関係者が参加するのならば、その人物からマークインについて情報を引き出せるかもしれない。

 駄目でも、貴族たちとの顔繋ぎの為には必要なことなので問題が無ければパーティーには参加するつもりではいる。


 空いた時間を利用し、俺は昼食の時間まで神力聖典を読み始めることにした。

 

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