<第一部 マンハッタン島編 第五章『ラフ・メンバーズ』シーン1-3>
(シーン1-3)
9時22分05秒。
バーナビーは想定より65秒遅れでアーロンの回答用紙を確認した。
10分間というかなり短く設定した制限時間だったが、空欄はひとつのみで、他はいちおう埋めてある。問題文への誤解もないようなので、知能指数は110よりは高いだろう。 ただ、バーナビーにわからない言葉が回答文の中にある。 アーロンに向き直り、尋ねてみる。
「3つ、質問がある。まず、宗教力とは?」
『問9:この調査団の目的を現時点でどう推察するか、自由に記述せよ』 にアーロンは“組織的には世界平和、個人的には宗教力とセンス・オブ・ワンダーの研究”と書いていた。この青年はコロンビア大学で宗教史を専攻しているが、その分野の学術用語だろうか?
「デュルケームが提唱した社会学用語です」
デュルケーム…アーロンのカバンの中にあった本の著者だ。今はテーブルの上に並べてある。
「定義をくわしく説明してくれ」
アーロンは困ったように眉根を寄せた。
「デュルケーム自身が定義を定めてくれていなくて…『社会は全ての社会が確実に宗教をもつ』『宗教には宗教力がある』とは言っています。社会を動かすエネルギーなのか、個人を動かすエネルギーなのか、何がそのエネルギーを発しているのか、ほかにも色々疑問はありますが…それを研究しようかと」
バーナビーは時計を見た。すぐにアーロンの回答に目を戻した。
「関係ありそうなのがセンス・オブ・ワンダーだ、ということだな?これもデュルケームか?」
「いえ、ヒューゴー・ガーンズバックという、知り合いの作家が作った新語でして…宣伝してくれって言われてて…あ、でも、けして軽薄な言葉じゃないと思っています。宗教研究で重要だという直感があって、それ自体がセンス・オブ・ワンダーなんですけど、」
バーナビーは時計を見た。予定より100秒以上長くかかりそうだ。32分前の、エリスの解答と解説は数十倍簡潔で滑らかだった。
「そんな奇天烈な由来とは思わなかった。自由に書けとは言ったが」
「すみません…でも他に言い換えようがないんです」
「そうなると、アメリカの宗教力、とは?」
『問10:あなたにとってアメリカとは何か?』、アーロンの答えは“強い宗教力を持つ社会の一つ”。
「もともと、“民主党と共和党の宗教力の違いを研究してみろ”と教授たちに言われてたんです。で、この問題用紙の中で『アメリカとは?』ときかれたから、“アメリカも社会なんだから宗教力持ってるよな”と思いつきました。未定義なので、これから研究していけたら、と…」
質問への答えの中に未定義の要素が含まれすぎている。何も答えていないも同然だ。ロッジ議員は『ウィルソンの意表を突く人材であること』を今回のメンバー選定の基準にしていたが、まずバーナビーが意表を突かれている。
「4つめの質問になってしまうが、世界平和の具体像はあるのか?」
「え?…」
目をくるくる動かしてアーロンは、
「いやぁ…、戦争してない、状態?」
と自信なさげに答えた。
(それも未定義なのか…)
バーナビーは呆れと戸惑いが顔に出るのを、隠しきれなかった。




