<第一部 マンハッタン島編 第五章『ラフ・メンバーズ』シーン1-2>
(シーン1-2)
「バーナビーと呼ばれることが多い。好きに呼んでくれていいが、バーナビーと呼ぶのが効率的だろう」
ハイスクールのころからそれが定着した。
「はい、バーナビーさん。僕は、アーロンって呼ばれることが多いです」
ネイバーフッド(お隣さん)という苗字は、呼びづらいのは確かだ。
「ボクもエリスで良いよ」
「ではアーロン君、まずはこの用紙に記入を頼む」
用紙と筆記用具を置いた机にうながし、座ってもらう。語学や思想傾向についての簡単なテスト。
「10分間だ。その間に私は君のカバンを改めさせてもらう」
「えっ…中を見るんですか?」
「仕方ないよ、アーロン」
28分前にはエリスの荷物チェックをしたが、そのときは彼は快諾していた。今は“ボクだってしぶしぶ付き合ったんだ”というニュアンスでアーロンを誘導している。場面に応じて表情と言葉を選ぶのが上手い。若いが、政治家としての技術を堅実に身に着けている。もっとも、エリスの表情はバーナビーには少し読み取りづらいのだが。
9時10分00秒、テスト開始。
「“使用できる言語を記入せよ”…使えるってどの程度ですか?」
記入作業を始めたアーロンは、20秒もたたないうちにこちらに顔を向けて質問してきた。こっちの表情は分かりやすすぎる。政治家の才能はない。
「日常会話か、読書可能か、研究論文執筆レベルか、程度を付記してくれ」
答えながら、アーロンのカバンを開けた。乱雑だ。
(さっき転んで中味をばらまいたと言っていたな…)
一つ一つ取り出して長テーブルの上に並べる。本が多い。8冊もある。聖書以外は、旅に必要とは一見しては思えない。
聖書、
『The Rough Riders』、
分厚い歴史小説が2冊…ロシア文学の中では穏当なほうか。トルストイの『戦争と平和』の2冊だが、この巻は6巻セットの3冊目・4冊目だったはずだ。途中までは読んだ、ということか。
子ども向けの冒険小説が2冊…マーク・トウェインの『トム』と『ハック』。手垢が染みついている。
『宗教生活の原初形態』は、フランスの学者の著作の英訳版だ。栞がわりの紙片がいくつも挟んである。
『科学と仮説』の作者は名前を知っている。物理学者のジュール=アンリ・ポアンカレは、現フランス大統領のレイモン・ポアンカレの親戚だ。読んだことはないが、高く評価されているという噂は聞いた。
着替えや筆記用具のほかに、水筒が入っている。妙な匂いがした気がして、開けてみる。アルコール臭が鼻を刺す。
「おい、アーロン君」
「え、もう時間ですか?」
「…すまない、あと28秒あった」
アーロンがカッカッと忙しく回答用紙に書きつけているのを28秒待つ。
9時20分00秒。
「時間だ」
テスト用紙を回収して確認する前に、訊かなければいけないことがあった。予定外の行動を早くもさせられている。
「アーロン君、なぜ水筒の中に酒が入っている?」
「…えっ?……あ、これウォッカだ!ぜったい先輩のイタズラだよ!信じてください!…僕、お酒はそんなに好きじゃなくて…とくにウォッカは、昨日、飲んだ瞬間に体が動かなくなって、目が覚めたら朝で、」
嘘はつけなさそうである。子ども向けの小説をわざわざカバンに入れてきたのも、真剣に検討してきた結果だというのであろうか。それとも、不注意で入ったままになっていたか。現時点の印象では、後者である可能性が高い。
シーン1-3以降は10月20日に投稿予定です




