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<第一部マンハッタン島編 第四章『懺悔室の手記』シーン3-8>

(シーン3-8)

しばらく前から懺悔室の外があわただしくなってきていた。15分くらいという約束で受け付けてもらったのに、おそらくもう30分以上経っている。次のミサの開始も近づいている。

これで最後のつもりで、アーロンは一番大きな質問をぶつけてみた。

「ありがとうございます。それで結局、唯一の神というのは、どういう存在なのでしょう?」

〈聖トマスも、そのようにイエスにお尋ねになりました。イエスご自身は、“私が道であり、真理であり、いのちなのです”とお答えになりましたが…(ヨハネ14:5~6)〉

アーロンはやはり、“疑い深いトマス”なのかもしれない。ウィルソン大統領は、”疑い深いトマス”でいたくなくて、名を捨てたのかもしれない。


〈あなたは、その答えでは満足しないでしょう。ですから、もう一段、奥深い教えを授けましょう〉

長引いていることへの焦りは神父の声にはない。神父のほうから“もう行かなきゃいけないんで、終わりにしましょう”となることはないのだろう。それだと、神の御業には限界があるということになり、信徒の悩みを受け止めきれないということになる。


最後の質問の答えは、暗記しやすかった。アーロンも、聖書の中でとくに印象に残っていた箇所だ。

〈ヨハネによる福音書の冒頭には、こう記されています。

『初めに(ロゴス)があった。ロゴスは神と共にあった。ロゴスは神であった』(ヨハネ1:1)

英語では 『言葉(Word)』 と訳されますが、ギリシャ語の『Logos』にはもっと深い意味があります。単なる言葉以上に、(ことわり)、秩序、世界の根源原理を指すのです。神は単なる声や音ではなく、万物の基礎にある理そのものとして、わたしたちに現れてくださった〉

“最初に言葉があった”…聖句の中で、アーロンが一番好きな言葉だと言っていいかもしれない。小説にハマり、空想を堪能するアーロンの趣味と人生を、聖書が肯定してくれているような気がしていた。ただ、Logosは言葉よりも根源的な概念だ、というのは初めて知った。

〈そしてまた、ヨハネの手紙一には、こうあります。

『神は愛である。愛のない者に神はわからない。神を知る者は愛に生きる』(第一ヨハネ4:8~10,16ほか)

つまり、唯一の神は、ロゴスであり、同時に愛そのものです。

世界を支える法則のように揺るぎなく、それでいて母が子を抱くように優しく包み込む存在。理と愛が一致するところに、わたしたちは唯一の神を見出すのです。だからあなたが理解に迷っても、愛することをやめなければ、すでに神に触れているのだと、わたしは信じます〉

神父は最後に赦しの句を唱えてくれた。

〈息子よ、あなたは鋭い。だからこそ申し上げます。疑いを楽しむその心さえ、神は扉の材料にして、あなたを外へ連れ出される。今夜は詩編を一つ――例えば詩編139か詩編23をゆっくり唱えてみなさい。知性の部屋に、信頼の小さな扉を一つ、そっと開けておくのです。では…“Deus, Pater misericordiarum… Ego te absolvo a peccatis tuis, in nomine Patris, et Filii, et Spiritus Sancti. Amen.”〉

ラテン語の意味は分からなかったが、Amenで締められていたのでアーロンもアーメンと答えた。

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