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<第一部マンハッタン島編 第四章『懺悔室の手記』シーン3-6>

(シーン3-6)

〈人は皆、信仰や人生の重さの中で、自分の名や姿をどう表すかを選び取ることがあります。信仰のあり方もまた、人それぞれです。あなたがいま迷いを覚えているのも、心の奥にまだ言葉になっていない思いがあるからでしょう。大統領がそうしたように、自分の名前に想いを巡らせてみるのもいいかもしれません〉

アーロンの名前は、偉大な指導者であるモーセの、補佐役の兄の名。ファミリーネームは、ネイバーフッド。隣に立つ人の名が、アーロン・J・ネイバーフッドだ。ただ、Jは…?


「トマス…トマスはどっちに投票したんでしょう?」

アーロンは言ってみてから、自分の言葉の多義性に気づく。話題になっているトマスは二人なのだから…、

「僕の友人トマス・J・ジェファーソンと、ウィルソン大統領が捨てた、トマス・ウッドロウ・ウィルソンという名前のその人は…どの党に投票したんでしょうね?」

言っている間に、自分の言葉が冗談のようだと気づく。アーロンには割とよくある癖だ。

〈ふふ……。ウィルソン大統領は“トマス”を捨てたかもしれないけども、副大統領はトマス・マーシャルだよ。トマスの名は捨てられてないよ。あなたの友人のトマス君もね〉

少し笑ってから、冗談で返してくれた。

「うまいこと言いますね」

〈それもまた、神の御業です〉

体のこわばりが解ける。この部屋に入って、今が一番落ち着いている。言うほど狭い部屋だとも思えなくなってきた。これもまた神の御業なのかもしれない。


「前から聞いてみたかったこと、おたずねしたいです。文書(もんじょ)仮説と宗教進化論、きっとご存じですよね?」

〈おや。懺悔室に入るのは初めてだと言っていたのに、いきなりヴェルハウゼンの説を出すとは思わなかったよ〉

小さく息をのむような音が格子の向こうから聞こえた。驚かせてしまったのは事実のようだ。


アーロンが今年の前半で研究課題にされていたのが、ドイツの神学者にして聖書研究家のジュリウス・ヴェルハウゼン。

ヴェルハウゼンが1870年代に提唱したのは、聖書の中でも最古代に編纂(へんさん)されたとされる『モーセ五書』(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)には、“少なくとも二人以上の作者がいる”という文書仮説だった。例えば、創世記では“アダムとイヴが同時に創造された”という記述と、“アダムのあばら骨からイヴがつくられた”という記述が共存している。ほかの箇所でもそういった細かい矛盾を詳しく研究した結果、二つの宗教の信仰が合流して一つの経典になったのが、いわゆる旧約聖書である…とする。


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