<第一部マンハッタン島編 第三章『セレクト・ユア・ポリシー』シーン4>
(シーン4)
「調査旅行なら私物の本の数は減らすべきだ。が、ワンダーなら仕方ない。デューイ教授もそんなことを言っていたな」
元の部屋に戻ってきて、話題も本のことに戻った。
「余白が重要、ですか」
カバンの余白は本のせいでむしろ狭まっているのはシニカルだ。
「そして、俺のセンス・オブ・ワンダーにも付き合え。この本を貸してやる」
「わ、ポアンカレですか!前から読みたいと思ってたんです」
差し出してくれたのは、アンリ・ポアンカレの著作『科学と仮説』だ。今世紀の初め(1902年)に出版され、以来10年以上、現代の科学的思考の最先端とされ続けている、…というのをアーロンが知ったのはコロンビアへ来てからだが。
「貸す条件がある。この8冊のうちの『地下室』を月曜までに読み終えろ」
「ぐっ…」
「薄い本だし、途中までは読んだんだろ?今夜と明日しかなくても余裕だ」
「でも、なぜ、そんな条件を…」
アーロンがドストエフスキー『地下室の手記』を読むのをためらうのは、この小説が読んでて気持ちのいいものではないからだ。文学史上で重要だと言われているし、“アメリカの若者がこれをどう読むのか興味深い”とプリンス教授(ロシア文学研究)に直接言われたので、義務感を感じてはいるのだが。
「言ったろ?センス・オブ・ワンダーだと。付き合えよ」
「それを言われては…。わかりました」
そして夜は更けていった。寝る前に『地下室』を久々に開いたアーロンだったが、飲み会の場面で同僚に無視された主人公が室内をグルグル歩き始めるページで止まっていたことを確認し、同時に主人公への複雑な共感も思い出し、(やっぱり明日にしよう)と思うのだった。
<第一部第三章『セレクト・ユア・ポリシー』完。1918年9月21日終了。翌日の第四章へ続く>
1918年9月21日ぶんの解説パートを10月14日に投稿予定です




