<第一部マンハッタン島編 第一章『冒険への召命』 シーン2~3>
(シーン2)
9月19日午前8時10分ごろ
地下鉄に乗り、コロンビア大学へ向かう。夢のせいなのか、なんだか気だるい。
黄色い新聞を混雑した車内で読む。アーロンは7月までは路面電車を使って通学していたので、地下鉄にはまだ慣れていない。気だるさは、地下で息苦しいからというのもありそうだ。
ユージン・デブスが、起訴中だったが判決が出て、10年の禁固刑を言い渡されたというニュースも気になった。この新聞、いつもは「旅行先ではぐれた飼い犬がフロリダ州からワシントンDCまで帰ってきた」みたいなのんびりしたニュースばかりなのに、レーニンもそうだがたまに真面目なニュースが載る。
社会党の党首、ユージン・デブス。数か月前にDDに連れられて講演会を聞きに行ったんだ。DDがいないのもこのニュースのせいかもしれない。あのあとデブスを小論文の題材にしちゃったけど、教授からまだ返せてもらってないな。もう半年もたつのに…返ってきたら、DDに読んでもらおうかな?…でも、自分でもどんなことを書いたかおぼろげになってきている。
(シーン3)
116thストリート駅ーーつまりは大学前駅で地上に出ると、気だるさが吹き飛ぶような光景があった。
…そういう言い方も、やや大げさな表現だ。ちょっと珍しい恰好の女性がいたというだけなのだから。
カウボーイハット、レザージャケットに乗馬ズボン、頑丈そうなブーツという、マンハッタンの大学の前よりは西部の牧場のほうが確実に似合う服装の少女がいた。街の雰囲気から浮いていることを恥じることなく、かといって強く主張するわけでもなく、ただ風に揺られて歩いている。帽子とスカーフで分かりにくいが、髪の色は黒く、肌や鼻筋にネイティブアメリカンの雰囲気がある。でも肌の色は…いや、気にしすぎるのは失礼だ。
アーロンが驚いたのはここからだ。年齢も不詳のその少女は、そうするのが当然というように話しかけてきたのだ。
「おはよう、学生さん。地下鉄にはどんな風が吹くの?」
立ち止まってしまう。目を見つめてしまう。
「気持ちいい風かな?」
よくわからない質問を、重ねてしてきた。ちょっと眠たそうな声だ。
「いや、そんなことはないよ。変なにおいするし」
立ち止まってしまった言い訳が欲しくて、アーロンはとりあえず答えてみる。
「そうなんだね。みんな、地下鉄は好きで使ってるわけじゃないんだ」
「そうだね」
「わたしは、地面を歩くほうが好き。車もキライ」
「そのほうが気持ちいいのはわかるけど、時間に遅れたくないからね」
「時間って自由なのかな…」
話を終わらせたくなかったけど、これ以上踏み込まない言い訳が欲しくて、時間の不自由さを理由にすることにした。
「ごめんね、僕はもう行くよ」
「私も。風が吹いてきたから」
少女は微笑むだけで、名も告げず、ふわりと人混みに消えていく。
アーロンは数秒、立ち尽くしたままだ。
(これ、物語だったら絶対また会うやつじゃないか?結構かわいかったし、また会えるならうれしいな。いや、また会えるかもしれないと思ったからかわいいと思えてきたのか…うーん、これは儀式の定期性と信仰の持続性の関係に接続できるぞ…)
アーロンの思考はたまにこんな感じになって、大概のばあい主題がぼやけていく。そんな癖にアーロン自身も気づいているが、直そうとはまだ思っていない。




