<第一部 マンハッタン島編 第七章『最大公約数』シーン3-4>
(シーン3-4)
「ビリー、君は今、かなり危険な発言をしたぞ」
バーナビーの口調は、叱責を通り越してもはや呆れているかのようだ。
「国債購入者たちの忠誠心を疑うのか、と問われるなら、それは違います。ぼく自身の忠誠心を示すのにはこのバッジでは足りない、と申し上げています」
論理展開の飛躍や省略が多すぎて、傍観者であるアーロンはついていけなくなりつつあった。わかるのは、サイディスがとにかく論戦をしたい、と望んでいるということだけだ。
(そもそも、何の話だったっけ?)
「だからといって、いったいどういうーー」
バーナビーの詰問は、マケルロイ教授の咳払いで中断された。
「ミスター・バーナビー、とりあえず、もう良い。フォレスタル中尉もだ」
「はい」
バーナビーとフォレスタル中尉が声を揃えて返答する。
フォレスタルは、立ち上がって"ビリー"をにらんでいたが、座った。
「私の取るべき態度が分かってきたよ。いつものごとくすればいい…」
マケルロイは講義開始前の、冷静な表情に戻っている。
「彼と私は、学生と教授なんだ。若い学生が誤解をしたり自信過剰になるのを、いちいち目くじらを立てていてはキリがない。その才能に長所があれば伸ばし、短所があれば補うーー私が学生のころに恩師たちにそうしていただいていたように」
そしてまた講義を始める直前のような、不敵な笑みを浮かべた。ビリー君が実は10年ほど前に世間を騒がせた神童サイディスだと知ればまた違うかもしれないが、見た目には20歳そこそこの若造でしかない。プリンストン大学の教授が本気で相手をするのがおかしな話だ。
「私としたことが取り乱してしまっていたようだ。ここは落ち着いて、ビリー君の話を聞こうじゃないか」
「ありがとうございます。実は以前から、学界に名高いマケルロイ氏にうかがいたいことがあったのです」
サイディスがついに殊勝な態度を見せた。
「君の質問はきっと価値のある質問だろう。どんな質問でも答えてみせよう。私を導いてくれたウッドロウ・ウィルソン学長のように…」
「ありがとうございます。ではーー」
と、パンフレットの一冊を手にとって掲げたサイディスの次の一言は、それなのに、少なくとも殊勝ではなかった。
「この『愛国教育シリーズ』ですが、5月ごろから刊行ペースが乱れ、編集方針も迷走していることについて、シリーズの教育ディレクターであるマケルロイ氏のご見解をうかがいたいのです」
「…は?」
だからそのせいで、マケルロイの笑顔が固まった。
サイディスの質問は、これまでの文脈とはかけ離れていて、部屋中の誰にとっても容易な理解を拒むものだった。構わずサイディスは続ける。
「マケルロイ氏の、4月のウィスコンシン大学での発言とその後のニューヨーク・トリビューン紙でのインタビュー記事が影響したものと推測しています。それと、ミスター・ロバート・M・マケルロイはプリンストン大学の教授では、現在はありません。遅くとも6月までに休職されています。報道されていた事実です」
(えっ…!?この人、プリンストンの教授じゃないの?)
アーロンは、サイディスの言葉のうちの、とりあえず理解できるところだけを理解した。
「……秘密を暴露したつもりなのか?私は別に隠していないし、連盟に専念するために自主的に休職したのは去年の10月からだ」
マケルロイは固まった笑顔のまま、絞り出すような反論をした。しかし、サイディスの切り返しはまた早い。
「なるほど。では、ウィスコンシン大学の件は休職とは関係ないのですね。一方で、刊行ペースの乱れや編集方針の変更、元大統領のセオドア・ルーズベルト大佐が、病身であるにもかかわらず5月末にウィスコンシン州を含む中西部で演説ツアーを強行したことは、おそらくですが関係がある」
聞きながら、マケルロイの笑顔はどんどん険しくなっていった。
「……反逆者め…」
不穏すぎる言葉がその口から洩れる。
「その反逆者という言葉が、原因なのですよね?」
「いや、失敬。今のは君に言ったわけではない」
マケルロイは、すぐに“上品で保守的なプリンストン大学の教授”の態度を取り戻した。だがその目には、憎悪にも似た感情をほとばしらせている気がする。
「ウィスコンシン大学の学生たちを、“反逆者だ”と呼んだ。4月6日の演説会でのことですね」
イエロー・キッドの新聞で風刺漫画と記事を読んだときの記憶が、アーロンの脳裏でどんどんよみがえる。




