6話 絶たれた希望
「大和くん、大丈夫?」
「あ、はい……なんとか……」
バイト先の休憩室で倒れてしまった俺は速水先輩に付き添われながら帰宅するために、駅へ向かって歩いている。
先輩は『タクシーを呼ぼうか?』と言ってくれたがそれは断った。
金が掛かることは極力したくない。
「先輩、ここまででいいですよ……」
「こんな状態で一人で帰ったら危ないよ。家まで送るから」
俺の自宅とは反対方向に家がある先輩だが、最後まで送り届けてくれるみたいだ。
迷惑ばかり掛けて申し訳ない……。
(あっ……明日は……葵の……)
駅前に着いたところで目の前にある百貨店のビルが目に入った。
「先輩……すみません、ちょっと……寄りたいところがあって」
「なにを言ってるの?この状況で寄り道なんて……」
「明日は……葵の……誕生日で……」
俺が百貨店の方に目をやると、先輩は俺の言いたいことを察してくれたみたいだ。
「もう……プレゼントを買ったらすぐに帰るからね」
先輩は少し困ったような表情でそう言った。
♢
「で、なにを買うの?」
「それが……なにも決めてなくて……」
最近は葵に怒られてばかりで、何気ない話もできていない……。
今のあいつがなにに興味があるとか、なにが好きなのかとか……よくわからない。
昔は葵のことなんて簡単にわかったのに……。
それだけあいつとの距離ができてしまっているってことなのだろうか……。
「先輩……そういえば、さっき休憩室で言っていた話ですけど……去年の後夜祭の……」
「ん?キャンプファイヤーの話?」
「はい、その時……葵が、嫌な顔してたって……」
去年の後夜祭……俺たちは四人でキャンプファイヤーを眺めていて……。
「あの時、せっかくだからフォークダンス踊らない?って、私が言ったの覚えてる?」
「あー……はい」
その年は高校に進学してからすぐにアルバイトを始めた。
レベルの高い進学校の授業とほぼ毎日行っていたアルバイトの疲労感で精神的にいっぱいいっぱいだった。
そんな時、息抜きに文化祭を一緒に回ろうと速水先輩に声を掛けてもらったんだった。
「そう言ったら宮野さんは私の方を見て、焦ったような困ったような……そんな表情をしていたんだ」
そうだったんだ……。
俺はあの時……楽しかった文化祭の終わりが近づいてきて、また明日からバイトか、なんて考えていたから……気がつかなかった。
「そのフォークダンスになにかあるんですか……?」
「……やっぱり大和くんは知らなかったんだね。そのフォークダンスを一緒に踊って音楽が鳴り止んでも手を繋いでた人たちは結ばれるって話があるんだ」
結ばれる……恋人になれるってことか……。
「……全然知りませんでした」
「そうだと思った。大和くん、正直言うと学校に馴染めてないでしょ?友達とそんな話してなさそうだし」
「……というより、あまり友達がいないんですけどね……」
高校に進学してから友達付き合いも全くしていない俺には、気軽に話ができる相手なんて葵と徹ぐらいしかいなかった。
「それで……葵が焦った顔してた理由って……」
「私が誰かさんとフォークダンスを踊ることが嫌だったんだろうね」
え……?
それって……もしかして……。
「葵は……俺と先輩が踊ることに焦ってたって……ことで……。それって、葵は俺のことを……」
「んー……?それは少し都合良く考えすぎじゃないかな?」
「ど、どういうことですか……?」
「私が『踊らない?』って言ったのは大和くんだけじゃないよ。隣にいた村瀬くんと二人に言ったんだよ」
そう、だった……。
今思い返してみれば、速水先輩は俺と徹の両方に声を掛けていたんだった。
「私にとって最後の文化祭だったから、一度踊ってみたかったんだよね。私は学校の伝承とか気にしないし」
……待てよ……?
先輩と徹が一緒に踊ると思って葵は焦っていたってことなのか……。
そうなると……やっぱり葵は徹のことが……。
「先輩……。好きでもない異性から……プレゼント貰っても、困らせるだけですよね……?」
俺の問いに先輩は呆れたようにため息をついた。
「友達なら全然良いと思うよ、幼馴染なんだし。それとも大和くんは宮野さんと恋人になれる可能性を上げるためにプレゼントを渡すの?」
「それは……違います。俺は……あいつの喜んでいる顔が見たくて……」
恋人にはなりたい。
でも俺はあいつの笑顔が大好きなんだ。
最近はもう見れなくなってしまった笑顔が……また見たい。
「なら、渡せばいいじゃない」
「でも……大した物は渡せないし」
「前にも言ったでしょ、大事なのは気持ちだよ。逆に高価な物を贈られるほうが下心感じて引いちゃうよ」
俺がプレゼントを渡して葵が喜んでくれる自信はない。
もう……葵と徹は噂通りの関係になっているかもしれないし……。
「早くプレゼントを買いに行こう」
「あ……はい」
それでも俺はプレゼントを渡したい。
泣かせてしまったことを謝りたい。
やっぱり俺はあいつの隣に並び立つことを……あきらめられないんだ。
♢
「これで、よかったですかね……?」
プレゼントは百貨店の中に入っている文房具屋で少しだけ良い値段のボールペンを購入した。
「実用的なものはあっても困らないし。きっと喜ぶよ、宮野さん」
値段は2400円で高級なボールペンだとは言えないが、今の俺が買える精一杯の品物だ。
「そういえば今日給料日だね」
先輩はスマホの銀行アプリで給料が振り込まれているかを確認しているようだ。
「そう……でしたね」
俺は通帳を母さんに預けていて、いつも記帳をしてきてもらっている。
学校関係で掛かってくる教育費や食費など必要なら俺のバイト代から出してほしいと言ったのだが、母さんは俺の金を使うことはない。
生活が苦しいのに毎日朝から晩まで働いて……。
あのろくでなしの親父とは大違いだ。
「大和くん、病院はどうする?」
「今日は市販の薬を飲んで……寝ます。改善しなければ……明日行きますから、ご心配なく……」
「無理だと思ったら救急車呼ぶのよ」
「はい、本当にありがとうございました」
電車に降りて少し歩き、自宅マンション前まで到着した。
送ってくれた先輩にお礼を言って、俺はようやく自宅へと帰宅した。
「あぁ……やばいなぁ」
自宅に帰ってきた途端気が緩んだのか、視界が朦朧としてくる。
着ている制服は汗でびっしょり濡れて気持ちが悪いが、億劫で着替える気力もない。
体温計で熱を測ると、39,1℃という表記だった。
リビングにあった頭痛薬を飲んでから足元がおぼつかない中、自室のベッドで倒れるように横になった。
「明日……葵、喜んでくれるかな……」
想い人が喜ぶ笑顔を想像しながら、俺は静かに目を閉じて眠った。
「あぁ……頭痛い……」
夜中に一度目を覚まして体温を測ったが、熱はほとんど下がっていなかった。
激しい頭痛と倦怠感を我慢しながら、それでもなんとか眠りについた。
♢
「ちょっとどういうこと!!説明して!!」
「だから……それは……」
誰かの怒鳴り散らすような声で目を覚ました。
「あ……あぁ……朝か……?」
目を覚ますと太陽の光で部屋は明るくなっていた。
「今……何時だ?」
スマホで時間を確認すると時刻は12時丁度。
「俺……半日以上寝てたのか……?」
もう文化祭が始まっている。
準備を手伝えなかった分、今日はクラスに貢献したいと思っていたのに……。
いや、今からでも間に合う。
昨日よりは少しマシだが激しい頭痛が続いている。
体調は悪いままだが、今日は足を引きずってでも学校に行かなければならない。
「葵……」
葵にプレゼントを渡したい。
それと昨日のことを謝りたい。
「なんてことをしたの!!」
「俺だってな!」
さっきからリビングの方で激しく言い争いをしている声が聞こえる。
「な、なんだ……?」
この声は母さんなのか?
いつも物静かで大人しい母さんがこんなに声を荒げているのを初めて聞いた。
何ごとかと思い、頭痛を堪えながら声のするリビングの方へと向かった。
「母さん……どうか、したのか……?」
やはり怒鳴り声をあげていたのは母さんで、言い争っていた相手は親父だった。
「や、大和……!?」
ろくでなしの生活をしている親父にも怒ったことがない母さんが、こんなに取り乱すなんて……。
母さんも親父も俺のことを見て、なにか狼狽えているような……そんな様子だ。
「親父……なにかしたのか……?」
どうせ親父がなにか面倒なことをやらかしたに違いない。
「ん?俺の……通帳?」
母さんに預けていた俺の通帳がなぜだか床に転がっている。
それを拾い上げた時、昨日給料日だったことを思い出した。
「母さん、記帳してきてくれたのか」
もうすぐ目標としている貯金額200万円に到達する。
勿論この額では4年間大学に通うことは不可能だが、大学に行ってからも速水先輩のようにバイトを頑張るつもりだ。
葵と同じ……大学に………。
「え……?」
通帳を見て……目を疑った。
「なんで……残高が……」
昨日の給料は振り込まれている。
しかし、数日前から数回に分けて金が引き出されていた。
今までの俺の貯金は……ほとんど残っていなかった。