15話 課される条件
大和のことが好きなんだと自覚してから、私は少し変われたと思う。
人見知りで臆病な性格だったけれど、周囲の人たちとも打ち解けるようになった。
「ねぇ大和、これってどうやって解くの?」
「これは二次方程式の解の公式を使って─────」
中学生になった私たちはこうやって勉強の予習をするのが日課だった。
まだ学校で習っていないところも大和は自学自習でテキストを網羅していて本当に賢かった。
私も彼のおかげでそこそこの学業成績ではあるけれど、懸念していることがあって……。
「大和、高校って……どこに行くの?」
「まだ決めてないけど、とりあえずこの辺りで一番偏差値が高い私立の……」
「海明学園?」
「あ、そうそう。俺の家は中流家庭だから本当は公立の方が親は助かるんだろうけど、海明にはたしか成績優秀者制度ってやつがあってな」
さすがは大和。
私たちの中学で海明学園高校が射程圏内なのは彼ぐらいだろう。
しかも成績優秀者だけが受けられる学費免除も狙っているなんて……。
「海明、か……」
「どうしたんだよ、葵。ため息なんかついて」
そんな偏差値が高い学校……今の私には難しいかも……。
でも……。
「私も……海明……目指してみよう、かな」
身の丈に合っていないと思ったけど……どうしても大和と一緒にいたい。
そんな想いからの言葉だった。
「そうしろよ!葵なら絶対に受かるって!」
「え、う、うん。でも……今の私の実力じゃ……」
「大丈夫だって!」
大和は自信満々な態度で太鼓判を捺してくれる。
「大和はさ……私と一緒に高校へ通うことになったら……嬉しい?」
「う……うん。そりゃあ……嬉しいよ。頑張ろうな」
照れながらそう言ってくれた彼を見て、私はニヤニヤが止まらない。
もしかしたら大和も私と同じ気持ちだったりして……なんてね。
「な、なに笑ってるんだよ?」
「べ、べつに!ほら、勉強の続きしよう!」
彼と同じ高校へ行く。
それが私の大きな目標になった。
♢
学校が休みのある日曜日。
私の家に大和だけではなく彼のお父さんの雄二さんもやってきていた。
中学3年生になった私たちは休みの日も勉強に明け暮れていた。
数か月後に迫った受験に備えて、日々頑張っている。
「ちょっと休憩するか」
「そうだね」
しばしの休憩タイム。
お菓子を食べながらテレビを見て、大和と他愛もない話をする。
このひと時がたまらなく好きだった。
「なぜわかっていただけないんですか!?」
「そんな話は認められない!」
別室で話をしていたお父さんたちの怒鳴り声が突然聞こえてきて、私たちの憩いの場がかき乱された。
「おい、大和!帰るぞ!」
「え、どうかしたの?」
私たちがいるリビングにやってきた雄二さんは鬼の形相だった。
「牧野くん、待ちなさい!」
お父さんの呼び止める声を雄二さんは気にも留めない。
「どうしたんだよ、父さん!ま、またな、葵」
そのまま大和を連れて玄関から出て行ってしまった。
私のお父さんも少し眉間にしわを寄せていて、どう見ても機嫌が悪い。
「お父さん……なにか、あったの?」
常に寡黙で落ち着いてるお父さんが気性を荒くしているのを初めて見た。
重苦しい空気の中、お父さんは静かに口を開いた。
「葵……大和くんとは……もう関わるのをやめなさい」
「え……え!?な、なんで……!?」
突然のお父さんの言葉を全く理解できなかった。
「葵も来年には高校生になる。そろそろ利害関係を考えていかなけばならない」
「り、利害って……?」
「人生を歩むことは社会で生きること。人望や能力、利益か不利益か」
ますます言っている意味がわからない。
「とにかく、大和くんとは距離を置きなさい」
「なんでそんなこと言われないといけないの!?お父さんも大和のこと優秀だって褒めてたじゃない!それなのに」
「彼は本当に優秀なのか?」
お父さん……なにを言っているの……?
「大和の成績知っているでしょ!?いつも学年一位なんだよ!」
「レベルの低い公立中学で一番になっていても優秀の証明にはならない」
優秀の証明……?
その言葉に私は腹が立った。
「大和は優秀だよ!私はそんな彼と同じ高校に行くんだから!」
「同じ高校に……どこの学校を目指している?」
「そ、それは……海明学園、だけど……」
中学3年生になって成績は大きく上昇したけれど、自分に自信がない私は海明学園の名前を出すのに少し臆してしまう。
「海明学園……」
そう呟いたお父さんは少し俯いた。
その表情からはなにを考えているのかわからない。
「海明はレベルが高い。そこに受かれば確かに現時点では優秀だと言えるだろう」
「大和なら絶対に受かるよ!私だって勉強を頑張って絶対に一緒に入学するんだから!」
同じ高校に通って、その先だって……ずっと大和と一緒に。
「そんなに彼と一緒にいたいのか?」
「うん、そうだよ!」
「なぜだ?」
「なぜって……そ、それは……」
そんなの決まっている。
大和のことが大好きだから。
でも、そんなことを簡単に口にすることはできない。
親にそんなことを言うなんて……恥ずかしいし……。
「なぜ大和くんと一緒にいたいと思うんだ?」
口籠っている私にお父さんは真剣な眼差しで質問してくる。
「大和と一緒にいると……楽しいから……」
彼のことが好きだからとは素直に言い出せなかった私はそんなふうに言葉を発した。
そんな安直な理由で……と、叱責されてしまうと思って身構えたけれど……。
「……お父さん?」
「あ、ああ……」
さっきまで気難しい顔をしていたお父さんが私の言葉を聞いて、目を丸くしていた。
「そうか……楽しい、か……」
リビングの机の上に立て掛けてある亡くなったお母さんの写真を見つめているお父さんの表情は柔らかい。
こんなお父さんの表情を初めて目にした。
「もう一度聞くが、大和くんは優秀なのだな?」
「そ、そうだよ!どんな環境の学校に行っても大和は絶対に優秀だよ!」
「それならば海明学園の入学試験を首席で合格することも、彼ならば難しくないということだな?」
「え……首席……?」
大和は本当に賢いけれど……首席で合格できると断言できるものなのかは今の私にはわからない。
「それぐらいのことをやってのけるのなら、葵を大和くんと同じ高校に通わせてやってもいい」
「な、なにそれ!?私たちが海明に合格しても、大和が首席じゃなかったらなにかするつもり!?」
「その時は転校でもして、葵に合った学校を用意すればいい」
「行きたい高校も選ばせてくれないの!?」
私が強く反論すると、お父さんは鋭い眼光でこちらを牽制した。
「そうだ、子供の将来を見据えて導くのが親の務めだからだ!」
鋭い目つき、荒げた声……さっき一瞬見せた穏やかな表情は鳴りを潜めて、今のお父さんの態度からは恐怖を感じて体が震えた。
「わ、私は……大和と一緒に……いたくて……」
そんなお父さんを目の当たりして、臆病だった心が顔を覗かせてしまう。
この雰囲気……昔にも……。
「大和くんは優秀なのだろう?それでも首席での合格は難しいか?」
「で、できるよ。大和なら……必ず……」
少し前まで臆病だった自分の弱い心が出てしまった私は小声で言い返すのが精一杯だった。
「わかった。受験の結果を楽しみにしておく」
そう言い残してお父さんはリビングを出ていった。
「なんで……こんなことに……」
寡黙で少し怖いイメージがあった父だけど、お母さんが亡くなってからは私に対して優しかった。
でも、さっきのお父さんの言動からは恐怖を感じてしまって……つい……大和なら首席で合格できると言ってしまった。
「大和なら、大丈夫……きっと……」
…………そうだ。
…………思い出した。
「お爺ちゃんに……よく似ていた」
私が幼い時に亡くなったお爺ちゃんと、さっきのお父さんの姿がダブって見えた。




