14話 自覚した想い、誓い
「こちらが死亡診断書になります」
「はい、ではこれから葬儀の準備を────」
お母さんが亡くなってもお父さんは淡々としていた。
「お母さん……昨日は元気だったのに……」
眠るように横たわるお母さんを見て涙が止まらない。
「お母さんはね、天国で葵ちゃんのことを見守ってくれているよ」
そう私に声を掛けてくれたのは看護師をしている村瀬先生の奥さんで徹くんの母でもある紀子さんだった。
「あ、葵……ほら、ハンカチ」
息子の徹くんも涙を流している私のことを気にしてハンカチを差し出してくれる。
目の前のもう動かないお母さんの姿を見て私はショックで平常心ではなかった。
「ほら、葵ちゃん……大丈夫よ」
気遣ってくれているのだろうけど、徹くんと紀子さんの言葉は……私にまったく響かなかった。
それからは滞りなく事が進んで、お通夜、お葬式、火葬が終わってしまった。
来てくれた大勢の人たちはお母さんの死を悼んでくれていたけど……すぐに皆、普通の日常に戻っていく。
「葵、学校に行く時間だ」
「私……行きたくない……」
精神的ショックが大きすぎた私は学校に行くことを拒んだ。
そんな私にこれ以上お父さんはなにも言わなかった。
四十九日後、お世話になった村瀬先生やスタッフの人たちにお礼を伝えるために私はお父さんに連れられてお母さんが入院していた病院を訪れていた。
「先生、大変お世話になりました」
「いえ、本当はこういう物を頂くわけにはいかないのですが」
村瀬先生はお父さんからお礼の品を申し訳なさそうに受け取った。
「斎藤さんはいらっしゃいますか?生前妻のことを大変気にかけていただいていたので、直接お礼を言いたいのですが」
私にも親切にしてくれた看護師の斎藤さん……。
「実は斎藤さんは数日前に急遽退職されたんです。なんでも家庭の事情とかで……」
「そうですか……」
とても優しかったあの人の笑顔を私は今も覚えている。
♢
お母さんが亡くなってから、お父さんは自宅で仕事をしていることが多くなった。
お父さんなりに私のことを心配して、なるべく家にいるようにしてくれていたのだろうか……。
「葵、なにか欲しいものはあるか?」
普段はあまり話しかけてこないお父さんがそんなことを言い出したので少し驚いたけど……。
「べつに……ない」
「本当になにもないのか?今日、誕生日だろう?」
誕生日……。
ああ、そうだ……。
今日は私の誕生日だったけ。
そんなこと……忘れていた。
ううん……どうでもよかった。
「なにかあるんじゃないのか?欲しているものが」
そういえば去年は一時退院していたお母さんがケーキを作ってくれったけ?
……会いたい。
ただ……会いたい。
「お母さんに……会いたい……」
私は俯いたままそう答えた。
「葵……すまない」
わかってる……。
もう会えないって……。
「ケーキが冷蔵庫に入っているから、好きな時に食べなさい」
そう告げたお父さんは仕事があるのか書斎に戻っていく。
冷蔵庫を開けると色々なフルーツでデコレーションされている大きくて豪華なケーキが入っていた。
それを見ていると、去年お母さんが作ってくれて一緒に食べたケーキを思い出す。
「うっ……お母さん……」
広い家のリビングで一人きりの私は大きな声を上げてひたすらに泣いた。
♢
「葵、ゲームでもするか……?」
「……ううん、いい」
大和くんは私が学校を休んでいることを気にして、よく様子を見に来てくれていた。
プリントを持ってきてくれたり、その日に学校でどんなことがあったかとか、他愛もない話をたくさんしてくれた。
ある時はクッキーやお菓子を持ってきてくれたり、流行っている漫画を貸してくれたり……。
私をなんとかして元気づけようとしてくれていたんだと思う。
「葵……もしかして……泣いていたのか?」
「え……な、泣いてないよ!」
「でも……顔に涙のあとが……」
「泣いてないって!」
大和くんが家を訪ねてくるまで一人で泣きじゃくっていたことを恥ずかしくて知られたくなかった。
「あ、葵!そ、その……」
ポケットの中から小さな紙袋を取り出した大和くんはたどたどしく言葉を続けた。
「た、誕生日、おめでとう!」
「え……あ……」
突然のことに状況を理解できないでいると、彼は優しく私の手にその紙袋を手渡してくれた。
「これって……」
「う、うん……開けてみて」
その小さな袋を開けると、何本かの鉛筆や消しゴム、それにボールペンが入っていた。
それらは私が好きなアニメのデザインが施されていた文房具だった。
「大した物じゃないけど……色々考えてさ、葵が喜ぶかなと思って……」
……すごく嬉しかった。
大和くんがプレゼントをくれたからという理由だけじゃない。
彼が私のことを想ってくれて、心配してくれて……そのことがたまらなく嬉しかった。
「あ、葵、どうした!だ、大丈夫か!?」
涙が止まらない。
さっきまで暗かった気持ちが晴れて明るくなる。
彼の優しさが私の心を照らしてくれる。
でも……。
「うん……へいき……」
お母さんの顔がすぐに私の頭の中に浮かんできて……また気持ちに影が差す。
私の大好きだったお母さんが死んじゃったのに……なんで私、こんなにも喜んでいるの?
さっきまで亡くなったお母さんのことで大泣きしていたのに……大和くんにプレゼントを貰って、満ち足りていた自分に腹が立った。
「葵……その……辛いと思うけど、俺にできることがあったら」
「大丈夫……だよ」
私は本当に子どもだった。
「でも、俺……葵のことが心配で」
「大丈夫って言ってるじゃない!!」
心の悲しみを、自分自身への苛立ちを、昇華できないストレスを大和くんにぶつけてしまった。
「もう帰って!!」
大和くんは私のことを心配してくれていただけなのに……。
「う、うん……ごめん……」
せっかく来てくれた大和くんを泣き叫びながら追い返してしまった。
その後また一人になって、少し落ち着いたところで罪悪感に苛まれる。
「私……なんで……」
あんな態度を取って……もう大和くんは家に来てくれないかもしれない。
嫌われたかもしれない。
「大和くん……お母さん……」
悲しみという泥沼に嵌ってしまっていた私は……涙を流すことしかできなかった。
♢
「葵、おはよう」
「大和くん……どうして……」
翌日の早朝、ランドセルを背負った大和くんが私に家にやってきた。
「昨日は、ごめん」
「あ……ううん、大和くんは……悪くないよ。ごめんなさい」
もしかしたら嫌われてしまったのではないかと思っていたため、彼の顔を見た瞬間とてもほっとした。
「学校……一緒に行かないか?」
お母さんが亡くなった心の傷が癒えたわけではない。
でも目の前にいる彼と……大和くんと一緒にいたい……。
その感情が、私に一歩踏み出す勇気をくれたのかもしれない。
その日は久しぶりに学校に登校したけど、人見知りの私は特別仲が良い友達は大和くん以外にはいないため、声を掛けてくるクラスメイトはいなかった。
「あ!牧野くん、おはよう!」
「ああ、おはよう」
「牧野、宿題でわからないところがあるんだけど、教えてくれよ」
「うん、いいよ」
大和くんはクラスの人気者だった。
頭が良くて社交的で、なにより思いやりがある。
小学校に入学した時から彼は男女関係なく同級生から慕われていた。
「今日牧野くん誘うんだよね?」
「うん、そのつもりだったけど……宮野さん来ちゃったね」
数人の女の子が教室の隅で大和くんの話をしていて、その声がクラスで孤立している私の耳に入ってくる。
「牧野くん、いつも宮野さんと帰っちゃうから遊びに誘いづらいんだよね」
「最近宮野さん休んでたからチャンスだと思ってたけど……」
昔から大和くんは人気者だけど……最近は特に女の子から注目されている気がする。
「実は私、牧野くんのこと好きなんだよね」
え……?
「ズルいよ!私だって牧野くんのこと結構前から!」
好き……?
大和くんのことが……?
「っていうかさ、マジで宮野さんって邪魔じゃない?」
なんとなくそんな気がしていたけど……皆、大和くんのことが好きだったんだ……。
「そうそう、いつも牧野くんの隣にいてさ」
私は……邪魔者だったんだ……。
人気者の大和くんと一緒にいる冴えない私は……まったく釣り合ってない。
「葵、大丈夫か?久しぶりに学校にきて疲れてないか?」
本当に優しい人。
孤立している私を気にして、いつも彼の方から近づいてきてくれる。
「う、うん。大丈夫だよ、ありがとう」
なんだろう……。
緊張して大和くんの顔が見れない。
顔が……体が……熱い。
「あ、それ、使ってくれてるんだ」
「う、うん!」
私の筆箱には昨日大和くんが贈ってくれた誕生日プレゼントの鉛筆や消しゴムが入っている。
そうだ、ちゃんとお礼を言わないと。
「大和くん……いつも」
プレゼントのお礼と日ごろの感謝を伝えようとしたその時だった。
「また宮野さん、牧野くんと話してるよ」
「ぼっちのくせにね」
怪訝な表情でこちらを見ているクラスメイトのそんな声が微かに聞こえて、私は言いかけていた言葉を呑み込んだ。
「葵?」
「あ……うん……なんでも、ないよ」
「大丈夫か?しんどいなら、保健室に行くか?」
「ううん……大丈夫だから……気にしないで。一人にして……」
本当は大和くんとたくさんお話したい。
しかし、心の弱い私は周囲の視線や反応を恐れて、そんなことを口走ってしまった。
「……うん。わかった」
「あ……やま……」
大和くんはそう言うと、そそくさと自分の席へ戻っていってしまった。
去っていく彼の表情が……とても暗かったように見えた。
心配してくれていたのにあんなことを言って、怒らせてしまっただろうか?
心が締め付けられるように痛い……。
昨日大和くんがプレゼントしてくれたペンを大事に握りしめて、私は寂しさを押し殺していた。
♢
放課後になった。
あれから大和くんは一度も私に話しかけてこなかった。
自分から一人にしてって言ったくせに、彼が来てくれなかったことに寂しさと焦りを感じていた。
ランドセルに教材をしまって帰る準備ができたところで教室を見回すと、大和くんの姿がないことに気がついた。
いつもは私のもとに来てくれるのだけど……。
「大和くん……」
私は急いで教室を出て下駄箱に向かうと、靴を履き替えている大和くんを発見した。
だけど、彼は数名の女の子たちとなにか話をしている。
「ねぇ牧野くん!これから遊びに行かない!?」
彼に話しかけていたのは、クラスメイトの女の子たちだった。
その子たちは休み時間に大和くんのことが好きだと言っていた人たちだ。
「え?あー……」
なんで……?
なんで大和くんを誘うの?
「ほら、行こうよ!」
お母さんだけじゃなくて……大和くんまで遠くに行っちゃったら……。
「そう、だな……」
彼がそう答えた瞬間、お母さんが亡くなった時と同じぐらいの喪失感が私の心を蝕む。
「待って……待ってよ……」
臆病な私は……彼を呼び止める勇気がない……。
その刹那……。
『もしも葵が大和くんのことが好きなんだったら……』
ふと……お母さんの言葉を思い出した。
「ま、待って!大和!」
気がつけば私は叫んでいた。
走り出していた。
彼の手を握っていた。
「あ、葵?」
『呼び捨てにするのはね、その人と仲良くしたいって気持ちがあるからだと思うよ』
大和くんのことを私は初めて呼び捨てにした。
「私と一緒に帰ろう!」
誰にも渡さない。
彼を失いたくない。
「あ、葵!そんなに走らなくても!」
大和の手を引いて下校道を全力で走る。
「大和、いつもありがとう!ほんとにありがと!」
心臓の鼓動が早い。
顔と体がすごく熱い。
その理由が全力で走っているからではないことをもう理解している。
『だからもしも葵が大和くんのことが好きなんだったら……捕まえとかなきゃだめよ』
お母さん……私ね……。
「大和、今日も勉強教えてくれる!?」
「あ、ああ、勿論!」
大和のことが好き……大好きだよ。
「誕生日プレゼントありがとう!すごく嬉しい!」
私がそう言うと、彼は少し照れくさそうに微笑んだ。
私たちは互いに握っている手の力を強める。
大和の温もりと優しさを感じるこの手を絶対に離さないと、そう心に誓った。