13話 出会いと私の初恋
誰に似たのだか、私は臆病な子供だった。
人前に出ると緊張して声を出すこともできなかった。
幼稚園に通う年齢になり入園したけれど周囲の元気な子供たちとはろくに話もできずに浮いてしまい、私は家に引きこもっている状態だった。
優しいお母さんはいつも笑顔で接してくれるけど……心配を掛けてしまっていることは幼いながら自覚していた。
そんなある日のことだった。
「ぼく、まきのやまと。よろしく」
突然、彼は私の前に現れた。
初対面の私を前にしても彼はとても堂々としていて、その表情や目はとても優しかった。
知らない人を前にして体が震える。
でも……なんでだろう?
「わ、わたしは……あおい……」
なぜかこの人は……幼稚園にいた他の子どもたちとは少し違うような気がしていた。
これが私、宮野葵と牧野大和の最初の出会いだった。
♢
私の家にやってきた牧野大和くんはとても物知りだった。
色々なことを知っていて彼の話を聞いているお母さんはとても楽しそうだった。
「葵もこっちにいらっしゃい」
お母さんに呼ばれて少しだけ彼に近づいたけれど、やっぱり他人は怖い。
でも彼が持っていた大きな本が気になって……。
「それ……なに……?」
「いきものずかん、だよ。はい、見ていいよ」
私の問いに彼は落ち着いた様子でそう答えてくれた。
とても可愛い動物たちが載っているその図鑑に心が惹かれた。
「ワンちゃんがたくさんいる!ねえ、これもワンちゃんなの!?」
「それはオオカミっていうんだよ」
図鑑に夢中になっている私の隣に彼が腰を下ろしたので、私は怖くて体が震える。
「ほら、葵。こっちはネコちゃんが載ってるわよ」
お母さんは私と彼の間に入って、コミュニケーションを取れるようにサポートしてくれていた。
「あの……や、やま……」
「大和くんだよ」
彼とは初対面でとても怖かったけど……。
「や……やまとくん。このいきものは……なに?」
「うん、それはね─────」
彼はとても優しかった。
多分私が怯えていることを理解してパーソナルスペースにこれ以上踏み込まないように配慮して接してくれていた。
「このアニメがすきなの?」
「う、うん……いつも、みてるんだ……」
図鑑を一通り見た後、私たちはテレビで放送していたアニメを一緒に見た。
私がいつも夢中になっていたそのアニメは女の子の主人公が魔法少女に変身して困っている人たちを助けていく定番な内容だった。
「このこが……わたし……すき、なんだ。カッコよくて……」
勇気を振り絞ってそのアニメに登場するキャラクターが好きだということを伝えてみたら……。
「そうなんだ、おれはこっちのこがすきだな。かわいいし」
「そ、そうなの!このこもすごく、わたしすきで!」
彼とはとても会話が弾んだ。
今まで他人と関わりがなかった私にとって、こんな感覚初めてだった。
でもこの時の幼すぎる私はなにも気づいてなかった……。
きっと彼は私が話しやすいように立ち振る舞ってくれていたことに……。
私と同い年なのに少し大人びて見えた彼のことがカッコよくて……私はドキドキしていた。
「おじゃましました」
あっという間に時間が流れて彼が帰宅する時間が来てしまった。
「あの……これ……」
私は彼が持ってきていた図鑑を抱きしめながら、名残惜しい気持ちを押し殺していた。
「それ、貸してあげるよ」
「い、いいの……?」
「うん」
私が寂しい気持ちになっているのはこの図鑑を貸してほしかったからではない。
もっと彼と……一緒にいたかったから。
「ま、また……来てくれる……?」
また遊びたい。
またお話したい。
色々なことを教えてほしい。
「うん、またあそぼう!……あ、葵」
私の名前を呼んでそう答えてくれた彼を見て、気持ちがパッと明るくなる。
「絶対だよ、大和くん!」
自然と笑顔が零れて、私は彼の名前を呼んだ。
こうして私たちは幼馴染になっていった。
友達と遊ぶって……こんなに楽しいことなんだ。
この時の私はそんなふうに思っていたけど……私にとって大和くんが特別な存在だったと気づくのは、もう少し後のことだった。
♢
大和くんは毎日のように家に遊びに来てくれた。
人見知りだった自分が彼とこんなに仲良くなれたことが嬉しかった。
「葵もあと少しで小学校に通うのね……」
お母さんがそんなことを呟いた。
「小学校って……大和くんも……一緒……?」
「大和くんはね、公立っていう地元の小学校に行っちゃうのよ。葵は私立っていうところだから……」
「な、なんで!?私も公立がいいよ、大和くんと一緒に!」
私のその言葉にお母さんは少し困ったように微笑んだ。
人見知りで幼稚園にも通えていない私だけど……彼と……大和くんと一緒にいたい。
その一心で私は訴えた。
「お父さんに相談してみようね」
「あ……う、うん……」
私はお父さんのことが怖かった。
寡黙で仕事ばかりしているお父さんと物心ついた時から話をした記憶はない。
「あ、あの……お父さん……」
「なんだ?」
恐る恐る書斎で仕事をしているお父さんを訪ねたけれど……緊張して、声が出ない。
「あなた、葵がね、大和くんと同じ小学校へ行きたいんですって」
隣で付き添ってくれるお母さんが代弁してくれる。
「大和くんか……」
お父さんは少し考えを巡らせてから言葉を発した。
「わかった。葵、しっかり勉強を頑張りなさい」
「う、うん!」
初めてお父さんが私のことを見てくれたような気がして嬉しかった。
そして、大和くんと一緒に学校へ通うことができる。
その事実が私を幸せな気持ちに包み込んでくれていた。
でも、そんな気持ちも束の間で……私の心に影が差し始めたのはそれからすぐ後のこと……。
小学校の入学式を終えてから間もなく……お母さんは体調を崩して入院した。
「大丈夫よ、葵」
入院している病院のベッドの上で静かに微笑むお母さんは、いつも通りに見えた。
今になって考えれば……相当無理をして私に心配を掛けさせまいとしてくれていたんだと思う。
「茜さん、ご加減はいかかですか?」
「はい、なんとか……」
このおばさんはこの病院に勤めている看護師の斎藤さん。
とても優しい人でお母さんのことをいつも気遣ってくれていたことを覚えている。
「葵ちゃん、今日もお見舞い?偉いねぇ」
斎藤さんは私の頭をよく撫でてくれた。
飴玉をくれたり、ジュースを買ってくれたり、本当に親切な人だった。
♢
「お、おい!おまえ……名前は!?」
「あ……あおい……」
お父さんは先生とお話があると言って、私は一人病室前のソファに座っている時だった。
「俺は……村瀬徹だ。その……よろしく」
私と同い年くらいの男の子がよく話しかけてくるようになった。
当時、まだ人見知りだった私はなぜか執拗についてくる彼に嫌悪感を抱いていた。
「でさ、俺この前のテストでも満点だったんでだぜ!」
「そ……そう」
なんでこの子は私にしつこく話しかけてくるのだろう?
彼はお母さんの主治医である村瀬先生の息子さんだから、お父さんに仲良くするようにって言われているけど……。
「俺、将来父さんみたいな医者になるんだ!だから毎日勉強頑張ってるんだ!」
村瀬くんのお父さんもお爺さんもお医者さんで彼はそのことを誇りに思っているよう見えた。
「葵は勉強得意か?」
「私は……少し苦手、かな」
この時の私は勉強が苦手だったけど、わからないところは大和くんが親切に教えてくれるので勉強自体は好きだった。
「宿題とかわからなかったら教えてやるよ!」
「べつに……いい。大和くんが教えてくれるし……」
「大和……って、誰だよ?」
「私の……大切な友達」
大切な友達……。
私にとって大和くんがそんな存在だと形容したことに少しだけ恥ずかしさが込み上げてくる。
「な、なんだよそいつ!俺のほうが絶対偉いぞ!そんなやつに教えてもらうなよ!」
村瀬くんは突然大きな声を出した。
いつもの私なら怯えてしまって臆病な一面が出てしまうけれど……。
「なんでそんなこと言うの!?村瀬くんより大和くんの方が優しいし賢いしカッコいいよ!」
私が言い返してくると思っていなかったのか、村瀬くんはポカンとした表情をしていた。
こんなに腹が立ったことは今までなかったかもしれない。
まだしつこく話しかけてくる村瀬くんを無視して私はお母さんの病室に戻ると、今あった出来事の不満を口にした。
「村瀬くんそんなことを言うんだよ!大和くんの方がすごく優しいよ!」
「徹くんはね、葵と仲良くなりたいのよ」
「そんなんじゃないよ!村瀬くん、さっき会ったばかりなのに……私のことを名前で呼び捨てにしてくるし!」
「大和くんも葵のことを呼び捨てにしているでしょ?」
「そ、それは……大和くんはいいの!」
そう…大和くんはいいんだよ!
だって大和くんは私の……大切な友達で……。
「呼び捨てにするのはね、その人と仲良くしたいって気持ちがあるからだと思うよ」
そう言ったお母さんは遠い目をしていたような気がした。
「葵、これで飲み物でも買ってきなさい」
「あ、うん。ありがとう」
村瀬先生とお話を終えたお父さんが病室に戻ってきて、私にお小遣いをくれた。
「葵、他の患者さんもいるから走っちゃだめよ」
「はーい」
院内にあるコンビニへ向かおうと病室を出ようとした時……。
「茜、抗がん剤の量を増やしてみて────」
「私……もしかしたら、このまま─────」
少しだけお母さんとお父さんの会話が聞こえた。
「大丈夫……僕と葵が傍にいるから……」
「うん……ありがとう……大輔」
話の内容はよくわからなかったけど、二人が名前で呼び合っているところを私は初めて聞いた。
♢
お母さんは本当によく頑張った。
辛い治療を乗り越えて、一時的に退院したこともあった。
もしかしたら……このままずっとお家に帰ってきて、また一緒に……。
そんなふうに思っていた。
「ねえ、葵、大和くんのこと好き?」
「え、え!?な、なんで!?」
「ううん、もしかしたらそうじゃないかなぁ……と思って」
私は小学校4年生になって、少しだけだけど……お母さんの容態がかなり良くないものだと知っていた。
でもこの日のお母さんは食欲もあったし、最近は辛くて会話もできないことが多かったのに、饒舌に話しかけてくれた。
「そ、そんなのわからないよ……好きとか……」
「そっか……大和くんはね、すごくいい子よ」
「うん、知ってるよ」
「だからもしも葵が大和くんのことが好きなんだったら……捕まえとかなきゃだめよ」
「や、大和くんは……友達だよ!」
とても顔が熱い。
大和くんのことを考えると……心臓が高鳴る。
「本当に……よく似てる……」
似てる……?
静かに微笑みながらお母さんはそう呟いた。
「葵、最近学校はどう?楽しい?」
「う、うん。大和くん以外の人とはあまりお話しないけど……」
この日はお母さんとたくさん会話をした。
こんなに喋ったのは久ぶりだった。
今思うと、これがラストラリーだったんだろうと思う。
この翌日にお母さんは亡くなった。