12話 絶望の果てに……そして……
多額の借金を抱えての倒産。
生活は一気に苦しくなり、母さんは仕事の時間を増やして俺もアルバイトを始めることを決めたが、肝心の親父はショックが大きかったのか仕事もせずに毎日を悶々と過ごしていた。
唯一救いだったのことは俺の高校の学費が免除になっていたこと。
首席で高校に入学した俺は成績優秀者の待遇を受けていた。
勉強を頑張っていて本当に良かったと思う。
「久しぶりだね、大和くん」
「大輔……さん」
高校の入学式を終えてこれからアルバイトを探そうと考えていた時、急に大輔さんが家を訪ねてきて驚いた。
「あ……今、親父いなくて……」
「いや、いいんだ。今日はきみに用事があってね。突然だが大和くんは……葵のことをどう思っている?」
「え……それは……」
突拍子のない質問に俺が口籠っていると大輔さんは淡々とした態度で言葉を続けた。
「お父さんの会社は残念だったね。これからの生活が大変なんじゃないかい?」
「は、はい……」
どこから聞いたのか、親父の会社が倒産したことを知っていたのか……。
「私は若くして父から会社を受け継いでね、将来的には娘の葵にもと思っている」
大輔さんの会社は色々な事業を展開しているが、主に医療機器の製造販売していることで有名だ。
「葵と人生を共にするパートナーに私は優秀な人材を欲している。きみはどうかな?」
「お、俺は……」
葵のパートナー……?
婚約の相手ってことなのか……?
俺は……優秀なのか?
現時点では勉強はできるほうだと自負しているが……。
「きみのお父さんは本当に優秀だったよ。今は残念のことになってしまったが……」
なんだ……?
なにか……大輔さんの言葉に含みを感じてしまう……。
「親父のことを……高く評価してくれていたんです、ね……」
「当然だよ、それなのに非常に残念だ」
恐ろしい憶測が……俺の頭をよぎる……。
「親父の会社は……大輔さんの会社と同業でしたよね……?」
「そうだね」
「親父の会社は最初軌道に乗って……幸先が良かったらしいです。でも……段々と業績が下降気味になっていったらしくて……」
「……そうだね」
大企業の社長を務める社会人たる威厳なのか……?
「大輔さんは……親父のことを……よく思ってなかったのではないですか……?」
「そうかもしれないね」
粛々とした態度の大輔さんを見て……俺は恐怖を感じた。
「……少し話が逸れたね。私はね、きみの優秀さを証明して欲しいんだよ」
「証明……?」
「大和くんがこの経済的に困難な状況で、もしもそれを証明できるのであれば以前のように家に来てくれても構わないし、葵のパートナーとしても歓迎するよ」
「歓迎と言われても……」
大輔さんには俺が葵に好意を持っていることはお見通しのようだった。
「葵の気持ちも……ありますし……」
「それは当人同士の問題だからね」
「その……証明というのは……どうしたら……?」
「長いスパンで見て……そうだな、難関大学への合格というのはどうだろうか?大和くんがしっかりと実力を出せれば非現実的なことではないと思っているが」
難関大学……。
葵との約束もあるし、当然大学には行きたい。
でも……。
「俺……これからアルバイトも始めなくちゃいけなくて……」
「そうだろうね、勉強との両立は大変だろう。それでも大和くんは葵のために頑張れるかな?」
俺が今、葵と時間を共有できるのは学校だけ……。
ここでこの話を断ってしまったら……高校卒業後、もう葵とは一緒にいられないかもしれない。
「わ、わかりました」
なにがなんでも証明しなければならない。
この高校生活の中、大学の学費を稼いで受験戦争に打ち勝てるだけの学力を備える。
「あ、あの、この話は葵には……」
「していないよ、きみのお父さんの話も。葵には心配を掛けたくはないだろう?」
葵には絶対に心配を掛けたくない。
経済的な事は知られたくない。
でも、それ以上に……もしも親父の会社の倒産の理由が……大輔さんと関係があったら……。
「時間を取ってくれてありがとう。陰ながらきみのことを応援しているよ」
そう言い残して去っていく大輔さんの後ろ姿を見つめていた俺はただならぬ不安に包まれていた。
♢
「夢……?」
長い夢を見ていた。
葵に出会って楽しかった日々……。
茜さん……大輔さん……徹……。
「昼……か……」
どうやら眠ってしまっていたようだ。
時刻は正午を回っていて、今頃学校では文化祭の余韻を残しつつも生徒たちは授業を受けていることだろう。
「熱は……もう大丈夫だな」
脇に挟んでいた体温計を確認すると36.6℃、平熱だ。
もう頭痛も倦怠感もない。
でも……。
「うっ……葵……」
十日前、文化祭があった日。
アルバイトで稼いだ貯金がすべて消えた。
それでも葵にプレゼントを渡したい一心で学校に向かったのだが、後夜祭での葵と徹を見て俺の心は奈落の底に突き落とされた。
その上、大輔さんまで学校にいて……。
徹は葵のことが好きだったんだ。
そして葵も……徹の気持ちを受け入れて……。
大輔さんが言っていた優秀の証明も俺はできなかった。
それができたのは……徹だったってことか……。
徹は大輔さんに認められている……?
相思相愛の葵と徹。
親公認の関係。
「俺……全然気持ち断ち切れてないじゃん……」
速水先輩に看病してもらって話を聞いてもらって、その日は少し心が軽くなった気がしていたけど……。
葵への誕生日プレゼントの処分まで先輩にお願いして、前に進まなきゃって思っていたのに……。
「バカか、俺は……?」
あの時の俺は高熱の上にショッキングな出来事が続いたため、葵を突き放す言葉を口にした。
もう俺の恋は叶わない。
そう決着がついているはずなのに……。
葵の言葉が……俺に微かな希望を抱かせる。
『私……大和と一緒にいたくて……』
『大和、約束……同じ大学に行くんだよね?』
幼馴染だから……友達としてこれからも一緒にいてほしいということなのだろうか……?
それとも……なにか理由が……。
「大和……大丈夫?そろそろ……」
「うん……わかってる……。先に行っててくれ」
声を掛けてきた母さんはキャリーケースと大きなリュックを持って玄関から出ていく。
俺もリュックを背負い母さんの後を追おうとするが、その前に一度自分の部屋を見渡した。
勉強机と椅子、ベッドに空になった本棚。
それ以外はなにもなく綺麗に片付けた。
部屋を出てリビングに行くと親父がぐったりと床に座り込んでうなだれている。
「親父……仕事の当てがないならハローワークに行くなりしろよ」
俺が声を掛けても親父は返事をしない。
「親父は元々優秀なんだから……頑張れよ。……それじゃあ……元気で、な」
親父に金を盗まれた俺だけど……最後に心配ぐらいしてやってもいいだろう。
親父と母さんの離婚が決まってすぐに役所で手続きをした。
母さんが離婚の話を切り出した時、親父は静かに話を聞いていて、それを潔く受け入れた。
「大和……すまなかった」
玄関を出ようとする俺の背後から弱弱しい親父の声が聞こえた。
「元気でな……」
ろくでもない親父だったけど……一緒に過ごしてきた17年間悪い事ばかりではなかった。
ともに笑いあった記憶も楽しかった記憶も当然ある。
俺は親父に言葉を返さず、溢れそうな涙を堪えて、生まれ育った我が家を後にした。
♢
「大和……もういいの?」
「……ああ」
マンションの前で母さんが俺のことを待っていた。
母さんは知り合いに伝手で正社員として働けることが決まった。
親父との離婚を機に、その職場に近い安アパートに引っ越すことになっている。
「大和……ごめんね。本当に……こんなことになって」
「いや……母さんが謝ることじゃない」
最初は無職になった親父に何も言わなかった母さんにも腹を立てたが、今はもうそんな気力もない。
これから俺たちは新しい自宅へと向かうため電車に乗って移動する。
引っ越しと言っても別に他府県へ移動するわけではない。
現在地から遠い場所ではあるが、電車を乗り継いで3時間ほどでこの地域に戻ってくることができる。
「新しい学校、良いところだといいわね」
「あ……うん」
新居からはさすがに距離があって今の高校に通うことはできない。
幸運にも転校先の学校がすぐに見つかり、俺を受け入れてくれることになった。
私立の学校で金は少し掛かってしまうのだが、それは母さんが何とかすると言ってくれた。
転校先の学校は偏差値が今の高校よりもかなり低いので、卒業単位も比較的楽に取得できるだろう。
転校するということは当然……葵と離れ離れになる。
そのことだけが……俺に引っ越しや転校を躊躇させていた。
本当に女々しい。
他に選択肢なんてありもしないのに……。
もうあきらめないといけないのに……。
「大和……大学は……その……」
「母さん……わかってるよ……」
そう……俺は大学にはいけない。
それはもう、仕方がないことなんだ。
葵との約束は……結局……果たせないまま……このままお別れに……。
「待ちなさい、大和くん」
マンションから駅へ向かおうと歩を進めていた俺を呼び止める声が聞こえた。
「大輔……さん」
振り返ると葵の父親である大輔さんの姿があった。
♢
「引っ越すと聞いて……きみを訪ねてきたんだが」
大輔さんは神妙な面持ちで俺の方を見つめてくる。
「宮野……さん」
母さんは大輔さんの姿を視界に捉えると一礼してからすぐに彼に背を向けて歩き出す。
「行きましょう……大和」
「母さん……先に駅へ行ってて……」
俺の言葉に母さんは一度大輔さんの方を見てから静かに頷いて、一人で駅へと歩いて行った。
「これからどうするんだい?」
「どうするのなにも………わかりません」
大輔さんの質問に少しだけ……苛立ちを感じてしまった。
「大和くん…きみには期待していたのだけどな」
期待……?
この人は……何を言っているんだ……。
「きみなら……逆境を乗り越えてくると……そんなふうに思っていたんだが」
逆境を乗り越える……?
俺が……?
「俺は……そんな強い人間ではなかったみたいです……」
「葵のことは……もういいんだね?」
なんだよ、それ……。
いいもなにも……ないだろうが。
俺には……選択肢がないんだから……。
「葵ときみはお似合いだと思っていだのだが……どうやら思い過ごしだったようだ」
「なにを……いまさら……」
俺と葵が会うことを拒んでいたくせに……。
「まあ、葵にはもう婚約者がいるからね」
「こ……婚約者……?葵に……?」
「ああ……そうだ。君もよく知っているだろう、村瀬徹くん。彼が婚約者だ」
葵と徹が……婚約……?
恋人なんて枠に収まらない言葉に、俺は頭が真っ白になった。
「そ、そんな……」
「徹くんも……勿論、葵も……承諾済みだ」
俺の考えが甘かった……。
「二人は同じ大学へ行き」
葵の言葉を……俺と一緒にいたいと言ってくれて……。
「恋人として互いの愛を育み」
もしかしたら、フォークダンスや徹との関係は……何かの間違いで……。
「その後に結婚して」
俺にもまだチャンスはあるんじゃないかと淡い一握りの期待を……抱いている自分がいた……。
「葵と徹くんは子供を授かり幸せな家庭を築いていくだろう」
葵と徹が……子供を……。
葵が徹と……抱き合って……。
「もう……やめて、ください」
転校して葵と離れ離れになっても、その気になればまた戻ってきて会うことができる。
そんな甘いことを考えていたさっきまでの自分を……ぶん殴ってやりたい。
「大和くん、きみは……」
葵の隣に並び立つことなんて、すでにできなかったんだ。
もう手遅れだった。
葵の隣には徹が……俺じゃなくて……。
「きみは今の話を聞いても、どう──────」
「うるせぇ!!」
大輔さんの声をかき消して、逃げるように俺は駆け出した。
これ以上は聞きたくない。
知りたくない。
葵と徹の話なんて……あの二人の明るい未来の話なんて。
『大和くん……これからも、これからもずっと……葵と仲良くしてあげてね』
茜さんの言葉が俺の頭に蘇ってくる。
「ごめん……茜さん……ごめんなさい」
約束のことも大学のことも幼馴染のことも親友のことも
どうでもいい!
考えたくない!
完全に心が砕けた。
すべてに絶望した俺は転校して幼馴染の前から姿を消した。