11話 過去と約束
「おまえ……名前は?」
茜さんが入院していた頃、葵と一緒に何度かお見舞いに行ったことがあった。
そんな時に、こいつと出会った。
「俺は、牧野大和。きみは?」
「村瀬徹。そうか……おまえが大和か」
後に俺の親友となる徹と知り合ったのは、茜さんが入院していたこの病院での出来事だった。
徹の父親は医者、母親は看護師で二人ともこの病院で働いていた。
「おまえ、随分優秀らしいな」
この時、初めて会った俺のことを徹は知っている様子だった。
「いや、別にそうでもないけど」
「チッ、なに謙虚ぶってるんだよ」
今とは違って当時の徹は高圧的というか傲慢というか、そんな印象だった。
「大和くん、お父さんにお小遣い貰ったの。ジュース買いに行こう!」
葵は病院のエントランスにある自販機へ向かおうと、笑顔で俺と手を繋ぐ。
そんな俺たちを見た徹は怪訝な表情で声を張り上げた。
「ま、待てよ、葵!俺が奢ってやるから!」
なぜか怒りをあらわにしている徹が俺と葵の繋いでいた手を強引に切り離そうとしてくる。
「なにするの!?村瀬くんあっちいって!」
徹の態度が気に入らなかったのか、葵は大きな声で彼を牽制する。
「行こう、大和くん」
徹から逃げるように葵は俺の手を引いて距離を取った。
病院にお見舞いに行くたびに徹と葵のこんなやり取りがあったことが記憶に残っている。
今思えば、あの時から徹は……葵のことが好きだったんだと思う。
♢
茜さんが亡くなって葵はとても悲しんでいた。
父である大輔さんは仕事をしばらく休んで葵の傍にいたみたいだけど……。
葵は心を閉ざして、学校も休んで家に閉じこもっていた。
「葵、ゲームでもするか……?」
「……ううん、いい」
なんとか葵を元気づけようと色々なことをした。
母さんに手伝ってもらって茜さんがよくしてくれたように、クッキーを焼いてみたり……。
そういえば当時少ない小遣いをはたいてなにかプレゼントを贈ったこともあったような……。
それでも葵は塞ぎ込んでしまっている。
少し経って学校には来るようになったが、落ち込んでいて誰とも話すらしない。
そっとしておこうと俺は葵に声を掛けるのを控えていたのだが……。
「ねぇ牧野くん!これから遊びに行かない!?」
「え?あー……」
ある時、クラスメイトから遊びに誘われた。
普段はずっと葵と一緒にいるから他の同級生と遊びに行くなんて久しぶりだ。
「ほら、行こうよ!」
「そう、だな……」
葵のことは勿論気になっていだが、しつこく声を掛けるのも却って逆効果かもしれない思った。
「ま、待って!大和!」
「あ、葵?」
「私と一緒に帰ろう!」
さっきまで塞ぎ込んでいた葵が俺の手を勢いよく引いて走り出す。
この日を境に葵は立ち直っていったのだが、なにが彼女の気持ちを奮い立たせたのかは今もよくわからない。
そういえば、この時からだったけ?
葵が俺のことを呼び捨てにするようになったのは……。
♢
「大和くん、いつもありがとう」
葵の父の大輔さんは娘が立ち直ったことをすごく喜んでいた。
「きみはお父さんに似て本当に優秀だな」
俺の親父は大輔さんの会社で働いている。
所謂、大輔さんと親父は上司と部下という関係だ。
二人は休日に時々互いの家に集まって酒を飲んだり、仕事のことで話し込んだりと仲が良かったのだが……。
あれは中学生の時だった。
俺と親父は葵の自宅にお邪魔していた。
俺が葵とテレビを見ていると、いつもは仲が良い親父たちが恐ろしい剣幕で言い争いをしている声が聞こえてきた。
「おい、大和!帰るぞ!」
「え、どうかしたの?」
親父の表情から怒りが滲み出ていることがわかった。
「牧野くん、待ちなさい!」
大輔さんの静止を振り切って親父は俺を連れて速足で帰宅した。
「父さん、どうしたんだよ?」
「大和……もう、宮野さんの家には行くな」
状況から見て親父と大輔さんが喧嘩していたことは理解していたが……。
親父の言葉の意味がよくわからなかった。
それから間もなく、親父は勤めていた会社を辞めて起業した。
親父は以前から自分で会社を立ち上げて経営してみたいと考えていたらしい。
大輔さんは親父の社会人としての能力と貢献度、将来性を大きく評価してくれていたそうだが、親父の退職の旨を聞いて強く引き留めてきて口論に発展したそうだ。
「あの……葵は……いますか……?」
親父たちが喧嘩したことなんて俺たちには関係ない。
俺は親父の言葉を無視して葵に会うために彼女の自宅を訪れたのだが……。
「大和くんか……」
玄関から姿を見せたのは葵ではなく大輔さんだった。
「あ、あの……葵は……」
「大和くん、申し訳ないのだが、もううちには来ないでもらえるかな?」
「え……?」
大輔さんまで親父と同じことを言い出したので俺は驚いて声が出なかった。
門前払いされたこの日以降……俺が葵の家に立ち入ることはなくなった。
♢
俺が葵と一緒にいられるのは学校と登下校のタイミングだけだった。
「大和……今日、お父さん家にいないんだ。久しぶりに来ない?」
「いや、家政婦さんに見られたらきっと報告されるだろうからな」
大輔さんは多忙で家に帰ってきていることは少ないが、数人の家政婦が常に在住しているので俺が訪ねてきても厄介払いされるだけだ。
「大和の家は……だめ……?」
「俺の親父も葵を家に入れるなって言ってるからなぁ……」
「ねえ、大和……このまま離れ離れになったりしないよね?」
不安な表情の葵を見て、俺の胸は苦しくなった。
「当たり前だろ!」
「う、うん!絶対に同じ高校に行こうね!」
毎日ように葵と時間を共にしてきた俺は親父たちの勝手な理由のせいで相当ストレスが溜まっていた。
しかし、それをバネに俺は都内でも指折りの有名な私立の進学校に首席で合格することができた。
勿論、葵も一緒だ。
「ねえ、牧野くんだよね!?首席で合格した!」
「あ、うん。そうだけど……」
入学式の日、俺は多くの生徒たちに囲まれていた。
「どんなふう普段勉強してるの!?」
「満点で合格したって本当!?」
「すげぇ!マジで天才じゃないか!」
有名な進学校なだけあり、首席で合格した俺のことを同級生たちは気にしてくれているみたいだった。
「大和、大丈夫か?行こうぜ」
「あ、ああ」
大勢の生徒に囲まれていた俺を連れ出してくれたのは徹だった。
この時の徹は随分大人びた性格に成長していて、俺もこいつのことをすでに親友だと思っていた。
「大和!絶対に大学も一緒に行こうね!」
入学式のこの日。
葵がそんな言葉を掛けてくれた。
「ああ、そうだな」
これが俺の心に深く刻まれた約束。
こうして俺と葵と徹は同じ高校に進学したのだが……。
親父の会社が倒産したと聞いたのは、この数日後のことだった。