10話 出会いと俺の初恋
俺は昔から周囲とは少し違っていたのかもしれない。
物心がついた頃の一番古い記憶は幼稚園の年長ぐらいの時だ。
クラスの同級生が鬼ごっこをしたり、先生の何気ない話でゲラゲラと笑ったり……。
なにがそんなに面白いのだろう?
なにがそんなに楽しいのだろう?
俺はそんな皆の輪の中に入ることなく、一人で図鑑や絵本を読んで過ごしていた。
今思うと、この頃は孤立していて他人と会話をしたことなんてほとんどなかった。
そんなある日、俺は親父に連れられてある豪邸を訪れた。
「こんにちは。あなたが大和くんね。私は宮野茜と言います。よろしくね」
「よろしく、おねがいします」
「まあ、すごくお利口ね」
俺に声を掛けてくれた茜さんはとても綺麗な女性だった。
「ほら、あなたもご挨拶して」
茜さんの後ろに隠れていた俺よりも背が低い女の子がこちらを覗き見ながら恥ずかしそうにしている。
「ぼく、まきのやまと。よろしく」
俺から声を掛けるとその女の子は照れながらも姿を見せてくれた。
「わ、わたしは……あおい……」
彼女は母である茜さんのスカートを強く掴みながらすごく怯えているように見えた。
これが俺、牧野大和と宮野葵の最初の出会いだった。
♢
「昆虫はね、足が6本あって体は硬いんだって」
「大和くんは物知りですごいわね。次はなにを教えてくれるの?」
いつも俺を褒めてくれる茜さんが大好きだった。
「葵もこっちにいらっしゃい」
「う……うん」
葵は人見知りで幼稚園に行くのを拒んでいたため、家に引きこもっている状態だった。
突然やってきた俺のことをかなり警戒していたようだが……。
「それ……なに……?」
「いきものずかん、だよ」
俺が持っていた多種多様な生き物が載っている図鑑に興味を示したらしい。
少し怯えた表情をしているが茜さんが手招きすると恐る恐る葵はこちらにやってきた。
「はい、見ていいよ」
俺が図鑑を広げて葵に渡してやると、彼女は目を輝かせてそれに釘付けになった。
「ワンちゃんがたくさんいる!ねえ、これもワンちゃんなの!?」
「それはオオカミっていうんだよ」
興奮して図鑑を手に持っていた葵の隣に俺が座すと彼女は露骨に怯えた表情を見せる。
「ほら、葵。こっちはネコちゃんが載ってるわよ」
茜さんは橋渡しをするように俺と葵の間に割って入って頭を撫でてくれた。
「あの……や、やま……」
「大和くんだよ」
この時、初対面の俺たちには距離があったけれど、それは上手に埋めてくれていたのが茜さんだった。
「や……やまとくん。このいきものは……なに?」
「うん、それはね─────」
葵は人見知りで臆病だったけれど、好奇心旺盛で俺の話を真剣に聞いてくれた。
俺も自分と同じ目線で話ができる人間と出会えて嬉しかった。
その日はずっと葵と図鑑を見たり一緒にテレビを見たり、食事をしたり……。
俺たちの心の距離が無くなるのにそんなに時間は掛からなかった。
「本日はありがとうございました。ほら大和、挨拶しろ」
「おじゃましました」
この一日で俺は葵と仲良くなれたことがすごく嬉しかった。
俺にとっては初めてできた友達だったから。
「あの……これ……」
玄関へ見送りにきてくれた葵は、俺の持ってきていた生き物図鑑を名残惜しそうに抱えている。
「それ、貸してあげるよ」
「い、いいの……?」
「うん」
「ま、また……来てくれる……?」
そう尋ねてきた葵の隣で茜さんは静かに微笑んでいた。
「うん、またあそぼう!……あ、葵」
少し緊張しながら俺は彼女の名前を呼んだ。
「絶対だよ、大和くん!」
満面の笑みで俺の名前を呼んでくれた葵がすごく可愛かった。
こうして俺たちは幼馴染になっていった。
そしてこの時俺はすでに……葵に恋をしたんだと思う。
♢
その日を境に俺は毎日のように近所にある葵の家に遊びに行った。
「いつもありがとうね。葵と遊んでくれて」
茜さんはいつも俺に優しくしてくれる。
俺と葵のためにクッキーを焼いてくれたり、絵本を読んでくれたり。
「大和くん……これからも、これからもずっと……葵と仲良くしてあげてね」
時々茜さんが俺にそんなことを言っていたことを、今でも覚えている。
そしてその表情がどこか寂しそうに見えた理由が……幼い俺にはわからなかった。
一年ほど経って俺たちは小学生になった。
「大和くんと同じクラスになれたらいいなぁ……」
小学校の入学式の日に葵が不安そうな顔をしながら隣を歩いている。
「大和くん、なにか良いことあったの?」
「え?……べ、べつに……」
葵はお金持ちが通う学校に行っちゃうと母さんに聞かされていたから、こうして一緒に通うことができて俺は内心とても嬉しかった。
どうして葵が俺と同じ公立の小学校に来ることになったのか知らなかったけど……。
「今日は葵のお母さん来てないのか?」
入学式が行われる体育館には沢山の保護者の姿があるが、葵の両親は来ていなかった。
「あ、うん……。お母さん、しんどくて行けないって。お父さんはお仕事だし……」
寂しそうな顔をして俯く葵を見た俺は彼女の手を強く握った。
そうすると葵は少し顔を赤らめながらも花が咲いたように笑った。
「俺がいるから寂しくないだろう?」
「……うん!大和くん、ありがとう!」
こうして俺たちの小学校での生活が始まったのだが……間もなくして茜さんが入院したと聞いた。
あとから知った話だが茜さんは若くして癌を患っていたらしい。
今でも優しかったあの人の顔を時々思い出す。
茜さんが亡くなったのはそれから数年後のことだった。