第三話 後継者
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◎この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません
ドォン……ドォン……!
「な、何の音だ!」
砂山家との国境近くに夜営していた五人の兄と家臣達は、突然の轟音に飛び起き、周囲を見回す。
そこへ息を切らした見張り番が、転がるように駆け込んできた。
「たっ、大変です、敵陣がすぐそこに……!」
「何!?」
見張りが指さした方角を見ると――その先には無数の松明と旗が揺らめいている。
「な……いつの間にこんな大軍が!」
「おい、俺達完全に囲まれているんじゃ……!?」
仮眠中で微睡んでいた兄達も、ようやく自分達の身に何が起こっているのか理解する。
「き、奇襲だ!」
「北が空いている! 退け、退けえっ!!」
怒声と共に冴木家の五人の兄や家臣達は、散り散りになって森の中へと消えて行った。
***
「……そなたの言った通りだな」
その一部始終を、馬上の六ノ丞と惟重が高台から静かに見下ろしていた。
「惟重様のご助力のおかげです」
六ノ丞は馬を降りて惟重の足元に跪く。
「この度は誠にありがとうございました。この御恩はいつか必ず……」
惟重が目を細める。
「……また何かあれば来い」
「ありがとうございます」
背を向けた惟重が、夜の闇に溶けていく。
***
馬を返した惟重は、昼間の六ノ丞の策を思い返していた。
“兄上達が寝入った頃合いを見計らい、辺りに松明と旗を大量に掲げ、太鼓や喚声で冴木家の軍勢を遥かに上回る大軍が包囲したように見せかけます。元々事前準備のない戦。突然の包囲に彼らは混乱と恐怖の中、早々に退散するはずです”
「!」
惟重の目が大きく見開く。
「あえて冴木家側にあたる北の方角だけ空けておけば、逃げ道はそこしかないと考えるでしょう」
「……幻の大軍、ということか」
「はい」
惟重が馬を走らせながら、ふっと笑う。
(……やはりあの男、只者ではない。射会でも度肝を抜かされたが……決して敵に回したくはない男だ)
***
それから半月が経った。
「兄上達の行方は?」
「それがやはりどこにも……」
忠兵衛も困惑の表情を隠せない。
五人の兄達は、相変わらず誰一人として冴木家に戻って来ていない。
(どこかに潜伏して兵を立て直しているのか? しかし、あれほどの敵がいると知って、再びそのようなことをするか?)
戻ってきた兵達も、暗闇ではぐれたものの当然先に戻っていると思ったという。
まだ家督争いに決着もついていないのに、それを放棄して行方を眩ますことはないだろう。
(そのうち何事もなかったかのように帰ってくるに違いない)
「――ところで、廃寺に避難している領民達の様子は?」
兄達の到着前に全員無事に避難できたものの、国境付近でまた何かがあってはいけないと、あれから念のため廃寺に留まってもらっていた。
「はい、今日にでも村へお送りする予定です」
「そうか、その前に一度赴こう」
「かしこまりました」
***
「あ、六ノ丞様だ!」
「六ノ丞様~!」
廃寺へ向かう道すがら、子供達が駆け寄って来る。
「見て見て!」
「これ、ほら、すごいでしょ?」
「……秋茜か」
「たくさん飛んでるよ!」
空には秋茜が無数に舞い、稲刈りを終えた田を朱色に染めていた。
「美しいな……」
田を飛ぶ秋茜を見つめた後、子供の手のひらにいる秋茜に視線を移す。
「仲間のところに返してあげよう。皆、寂しがっている」
「うん!」
六ノ丞の言葉に、子供が「ほら!」と言いながら秋茜を空に放つ。
「皆の住んでいるところにもいるのか?」
「うん、僕の住んでるところの方がもっとたくさん虫がいるよ。蟋蟀でしょ、鈴虫でしょ、松虫でしょ」
「この前、大きな蟷螂を見つけたよ。こんなに大きいんだ」
男の子が両手を広げて見せる。
「そんなはずないじゃん!」
「本当にこの位あったんだって!六ノ丞様なら信じてくれるよね!」
「そうか……」
子供達の会話に思わず目を細める。
「……今日で帰るの寂しいな」
わいわい騒ぐ皆の傍らで、一人の女の子がふと呟く。
「少し離れてはいるが、また来ると良い」
女の子の表情がみるみる明るくなる。
「僕も、僕も!」
「もちろん。ただお父さんやお母さんと一緒ならな」
「本当!? じゃあお願いしてくる!」
「私も!」
「僕も!」
歓声を上げながら、子供達は廃寺へ向かって元気いっぱいに走り出す。
「……弟や妹がいたらこんな感じなのかもな……」
その背中を見送りながら、そっと呟いた六ノ丞を忠兵衛がちらと見上げる。
「坊ちゃま……」
だが、すぐいつもの六ノ丞の顔に戻る。
「……暗くならないうちに皆をお送りしよう」
「はい」
***
廃寺では避難していた領民達が、最後の掃除していた。
六ノ丞の姿に気付き、皆手を止めて振り返る。
毎日通っているおかげで、もうすっかり顔なじみだ。
「いよいよ今日が出発だな。不便をかけて申し訳なかった」
「六ノ丞様のおかげで、夜安心して眠ることができました。ここ最近落ち着かない日が続いていたので」
「ご飯も美味しかったよ!」
飛び跳ねながら会話に加わろうとする子供の頭を撫でる。
「……こちらこそ、危ない目に遭わせてしまい、また慣れない場所に連れ出してしまい申し訳なかった」
六ノ丞が頭を下げる。
「な、何をなされる。こちらこそ本当にありがとうございます」
「六ノ丞様は、我らの誇りじゃ!」
「そうじゃ、そうじゃ」
「冴木家を継ぐのは六ノ丞様しかいない」
「そうそう!」
「我らと同じ目線で話してくださる殿など、他にはおられません」
「まるで総竹様の再来だ」
皆口々に声を上げる。
「六ノ丞様がお殿様になってよ!」
足元で先程の子供も飛び跳ねる。
そんな子供の頭を撫でて抱き上げると、六ノ丞はよく通る声で皆に告げる。
「国境付近も落ち着きました。暗くなる前に皆様をお送りします。支度をして正面へ」
***
「……坊ちゃま」
自室に戻った六ノ丞に、忠兵衛がお茶を差し出す。
「――ご存じですか?」
「?」
「……家臣達からも六ノ丞様に後継ぎになってほしいとの声が多く挙がっております」
「……」
湯呑に口を付けた後、ふうと息を吐く。
「……知っているだろう、私はそのようなことに興味がないと」
「ええ。しかし、もしこのまま兄君達が戻って来なければ、そうも言っていられません」
「一時的に行方を眩ませているだけだ。直に帰ってくる」
「……そうでしょうか?」
湯呑を置き、いつにない強い口調の忠兵衛を見上げる。
「どういう意味だ?」
「あれだけ後継者争いをしていた兄君達が、誰一人として戻ってこないのは不思議に思いませんか? 全員一緒にいるのか、数名ずつが一緒にいるのか、それとも五人全員が違うところにいるのかは分かりませんが、今戻れば君主の座に近づくはず。なのに誰からも音沙汰もないのは不可解です」
「……どこかで休みを取っているのでは? 父上が亡くなってから落ち着かなかったゆえ……」
「この大切な時期にですか?」
そう言われると何も返せない。
「今の冴木家は不安定です。君主不在がこのまま続けば、その不安定さに乗じて他国に攻め入られるやもしれません」
「……」
「総竹様が大切にされてきた冴木家を潰しても良いのですか?」
「……」
忠兵衛のその言葉に、六ノ丞の拳が膝の上で強く握り締められる。
「もはや傍観しておられる時ではございません。冴木家の将来をお決めいただけるのは六ノ丞様しかおられません」
「……」
六ノ丞の瞳が揺れる。
「……出過ぎた真似をして申し訳ございません。失礼いたします」
静かに襖が閉じられる。
忠兵衛は生まれた時からずっと側についてくれている老臣だ。
普段はほのぼのとしているが、頭が切れる。
自分の性格も分かった上でそう言ってくれているのだろう。
しかし、自分の望みはここで静かに暮らすこと――ただそれだけだ。
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